翠の間

□青天の霹靂〜一縷の光〜
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京の街を離れ、千歳が秦に抱き抱えられ辿り着いたのは八瀬の里近くの森の中、千歳がよく散歩に来ていた湖だった。

秦はそっと千歳を下ろすと、優しく微笑む。


「貴女は此処に倒れていたのですよ。千歳。貴女にはいつも驚かされますが、今回は驚愕し一睡もできませんでした。。。
できることなら、あの日からやり直したい。そして我が里へ連れ帰るべきでした。」


いつの間にか眉根に深い皺を寄せる秦からは、怒りにも似た強い気が流れ出していり、千歳はその気にあてられふらりとよろめく。

千歳の腰に片手を回し強く引き寄せる秦に、千歳はその胸に強く手を付いた。


「...秦。。。驚かせてごめんなさい。心配をお掛けしました。それより、秦がこんなに立派な若武者になっているとは思いませんでした。秦に逢えてよかったです。」


無邪気に微笑む千歳を見て、秦は言った。


「逢えてよかった...ですか。貴女という人は、、、思った以上にお馬鹿に育ったようですね。人の世を護り闇に堕ち、人間と契りを交わし真の姿を晒すとは。。。救いようがない馬鹿ですよ。」



鋭い瞳で辛辣な言葉を吐く秦の腕に更に力が籠り、ギュッと千歳を抱きすくめる。



「...あ、あの、ちょ、ちょっと、、、秦?!?」



狼狽える千歳の様子には目もくれず、秦は言った。



「いいですか、千歳。貴女は初霜という由緒正しき鬼の一族の頭領なのですよ。その貴女が祝言も挙げず、仮初めに夫婦の契りを交わすなど、私は絶対に認めません。しかもその相手は人間ならば猶の事です。天霧が何と言おうと、私は断じて認めない。」




「・・・秦 。。。。」




切なげな秦の声色に、千歳が静かにその名を口にする。

次の瞬間、秦の顔が目の前に迫り唇に温かいものが押し当てられる。

あまりに突然過ぎて、口付けられていると気付くのに時間がかかる。

逃れようと思った矢先・・・



「...ヒュ〜♪ 人気のないこんな所で昼前から逢引か? 」



サッと秦の唇が離れた。



「って、それどころじゃないぜ、おまえ。勝手にそいつ連れ出しちまって、あの天霧が鬼の形相だったぜ。そいつの旦那との約束聞いただろ。気持ちはよくわかるが、一人で勝手なことしてんじゃねぇよ!ったく!だからおまえは餓鬼だってぇの!行くぞ、千歳。」



何も言わない秦から千歳を掻っ攫い、匡は八瀬の里へと跳んだ。




八瀬の里に着き、匡に連れられてきた先では、千姫が文を書いていた。

目線はそのままに千姫は言った。



「ご苦労様でした、不知火匡。秦はしばらく八瀬には出入り禁止と伝えて下さい。」

「それだけでいいのか?あいつは鬼の約束を破ったんだぜ。それも、てめえの身勝手な嫉妬で。」



千姫は筆を置き、すっとこちらへ向き直った。

厳しい眼差しが千歳を貫いたが、すぐに匡へと移される。



「いいのよ。身勝手な鬼は他にもいるしね。しばらく頭を冷すくらいで十分。じゃあ、伝えて頂戴ね。」



短い返事の後、匡が出て行った部屋の中に沈黙が訪れた。

さすが八瀬の姫といった威圧感に、千歳は先ずは自分が言葉を紡ぐべきと心に決め、居住まいを正し深く頭を下げた。



「千姫、私の勝手な振舞いはもうご存知とは思いますが、私は何一つ後悔はしておりません。
あの夜、京の市中で闇に囚われそうになった際、心を砕かねば私は闇の配下となり護るべき世を悪鬼となり蹂躙せしめたでしょう。
一族の闇の記憶がある限り、私が闇へ下るのは容易い。
しかし、、、それだけは、避けねばなりませんでした。
私に大切なものをたくさんくれた、護るべき貴女方の為に。。。」



「、、、千歳、一先ず頭をお上げなさい。」



おずおずと顔を上げた千歳の目に、瞳を潤ませる千姫の姿が映り、思わず絶句する千歳を千姫はぎゅっと抱きしめた。



「どれほど心配させれば気が済むの。こんな身体になって。。。
貴女はもっと自分が大切に想われていることを自覚なさい。
心の欠片を受け取った私達の哀しみを、考えなかったのですか?
不知火兄弟に天霧を始め、風間や琴浦の翁様までが手を尽くし血眼になって探したのですよ。
それでも、貴女の鬼の気は微塵も感じられず、皆案じていましたが。。。
千歳、、、女としての自分を受け容れたのですね。」



千姫の身体がゆっくりと離れ、温かい瞳に包まれた。



「、、、女としての、自分。。。」



何かを思い出して耳まで紅色に染める千歳に、千姫は目尻を拭いながら微笑んだ。

千姫は鬼の真の力は、気の昂ぶりと共に姿に現れ、女鬼は処女を失い女と成る刻、必ず真の姿に戻ることを告げた。




「、、、知らなかった。。。」




「当たり前よ。
これは生娘には禁忌とされているもの。知らなくて当然よ。
私はね、同じ女として嬉しいのよ、千歳。
一刻は男装ばかりして、身も心も男に成りたがっていた貴女が人間とはいえ殿方と心を通わせたんですもの。
まあ、、、男鬼連中は違うだろうけど。。。特に不知火兄弟はね。。。
でも、人間を選んだことに後悔はしていないんでしょう?
これから先の生を彼と共に生き抜く為に、貴女は此処へ戻ってきたのよね?」



千姫の言葉に、千歳は深く頷いた。



「、、、あの人ともう一度逢いたい。できることならば、共に...生きたい。。。。」



頬を染め伏し目がちに答えた千歳に、千姫はその手を強く握りしめた。



「どんな手を使ってでも、絶対に貴女の身体を闇から救い出すわ。」



諭すように紡がれた言葉に千姫の思いが伝わり、千歳の目頭を熱くさせる。



「、、、ありがとう。千姫。。。」



未だ嘗て見たことのない、はにかんだ千歳の笑顔は、愛おしい人を想う女の顔だった。

それを目にした千姫は、今までにない気概を感じ、拳を握りしめた。



「こういうときの為に私の名は在るのよ!八瀬の千姫の名を思い存分利用してやるわよ!」



千姫の怖いくらいの意気込みに、千歳の心は温かくなる。





( 死をも恐れることなどなかった私を生かす為、尽力を尽くしてくれる人がいる。

それも...鬼としての生を全うする為ではなく、人と生きるためだと解っていても変わらずに。。。

鬼ではなく人と契りを交わしたことを、嬉しいと言ってくれる。

ああ、私は幸せものだ。

こんなにも、温かい想いを注いでくれる友がいる。

もう、この優しい友を哀しませたくない。

今から、どんなことが待ち受けていようと、、、私は一人ではない。

待っていてくれる友が、愛おしい人がいる。

それだけで、明日が怖くなくなる。

ありがとう、千姫。)



まだ見ぬ明日が闇に続こうと、心に灯った希望の二文字は、一縷の光となり、千歳の闇を照らした。
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