翠の間
□青天の霹靂〜蠢き〜
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池田屋事件、禁門の変を経て、新撰組の名も世に知られるようになっていた。
その裏で、変若水の実験も新撰組内部で続けられており、羅刹を目撃したことにより監禁された雪村千鶴。
男ばかりの新撰組に男装で身を置き、己の不運にも逃げ出さず、皆の役に立とうと働く健気な姿に、幹部達は暖かいものを感じていた。
斎藤もそうだった。
父を探すため男装し、江戸から一人で京までやってきた彼女を、正直、無謀で世間知らずとは思ったが愚かだとは思わなかった。
ふとしたときに見せる柔らかい笑顔に、心が暖かくなった。
ある日の昼下がり、茶を入れようと自室を出た斎藤は、庭の掃き掃除をする千鶴を見つけ立ち止まる。
(今頃、何処でどうしているのだろうか。。。)
ふとよぎった想いに、千鶴の姿に千歳を重ねる。
千鶴を透して、遥か遠くの千歳を見ていた斎藤は、後ろに近付く気配に気付かなかった。
「よお!斎藤。千鶴がどうかしたか?」
ひくっと動いた斎藤の肩に、普段では有り得ない程、明らかな動揺が見える。
しかし振り向いた斎藤は、いつもと変わらず静かにゆっくりと原田を見た。
「いや、なんでもない。」
「そうか?なんか千鶴を見てるようだったが。」
「雪村を見ていた、という訳ではない。少し考え事をしていただけだ。」
「ならいいけどよ。あんま無理すんなよな。」
「無理などしていない。」
「そうか。まぁ、忘れられねぇてんなら、忘れる必要なんてねぇだろ。」
ぽんと斎藤の肩を叩き、原田は歩きだした。
原田は以前、永倉、藤堂と共に“飲み比べ”と称し、斎藤に延々と酒を飲ませたことがあった。
永倉が見たという、《斎藤の取り逃がした“くのいち”》について探りをいれるつもりだったのだが、原田以外の二人はあっという間に酔い潰れ、結局話を聞けたのは原田だけだった。
『川で助けた時から、透き通るあの瞳が瞼の裏から離れぬ。何故だろうな。』
浮いた話のない斎藤が、色事に疎いのはわかっていたが、屯所に礼を言いに来たあの人物がくのいちだったとは、原田も驚いた。
『川で助けたって、あの、龍之介に似た女だろ?』
『あんた、、、女だと、何故わかった。もしや、、、俺がおらぬ間に千歳に何かしたのではなかろうな!』
斎藤から漂う殺気にぞっとしながらも、原田は斎藤の切なく叶わなかった恋を悟る。
その後、斎藤をなんとか宥め、酌をしながら、千歳という女が浮浪者であり、女の身で野宿などと心配になった斎藤が千歳の世話を焼いたこと等、事の経緯が斎藤の口から語られた。
寡黙で物静かな斎藤だったが、彼が実は面倒見の良いことは幹部なら皆知っている。
原田にも斎藤が、千歳のことを親身に考えて行動したのはわかったが、好意を寄せるが故に必要以上になり過ぎていたことはわかった。
無口な斎藤が、言葉足らずだったのだろうということも。
そのため誤解し逃げられ、それを追っているところへ新八の二番組が来たので取り囲んだということらしい。
しかし、間者という訳ではなさそうだと原田は思う。
情報収集が目的ならば、女の身体を武器に斎藤を誑し込むのは定石。
斎藤の行動は、まさに“鴨が葱を背負ってくる”だ。
それを逃げたということは、間者やくのいちではないだろう。
『疚しい気持ちがなかったかといえば、、、否だ。。。それほどまでに、美しかったのだ。。。。女らしく装った姿が、、、、あの眩しいほどに輝く天色の瞳が。。。。だが、すぐにどうこうしようなど、思う気持ちは、毛頭なかった。。。大切にしてやりたいと、、、俺が、守ってやりたいと、、、思ったのだ。。。』
ぼそぼそと呟くように話をしていた斎藤の声がいつの間にか聞こえなくなり、彼が正座をしたまま寝てしまったのを確認した原田は、やっと自分も眠れるとほっとし、ごろんと天井を仰いだ。
『生きてりゃ、きっと、逢えるさ。生きてさえいれば、、、な、斎藤。』
原田は、告げることなく終わった斎藤の恋に、切なく甘酸っぱいものが心に広がるのを感じながら、斎藤をこれほどまでに夢中にさせた千歳に、もう一度会ってみたいものだと思い、目を閉じた。