翠の間

□青天の霹靂〜蠢き〜
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【京の夜、街に辻斬りが出るし、嵐山には鬼が出るんやて。物悲しい笛の音が聞こえるらしいで。恐ろしいわ。】




(笛の音だと?。。。)





巡察中に耳に入った街の噂に、斎藤は聞き耳を立てていた。

春に川で助けた千歳のことから、目を背けようとすればするほど、胸を抉られる様な痛みを感じた。

もう終わったことだ、忘れようと、もがけばもがくほど忘れられなかった。

千歳と別れたあの日に夜、微かに笛の音が聞こえた気がした。

斎藤は噂の真意を確かめるため、非番の夜、嵐山へと行くことを決意する。






一雨頃に秋も深まり肌寒い夜、満月とはいかないが月明かりが夜道を照らす中、斎藤は提灯を手に一人嵐山へと歩いていた。

門限なるものが規律にある新撰組だったが、小用で出かけたいと副長に申し出ると、“たまには息抜きも必要だろう”と快く承諾してくれた。

あの噂もあってか人気のない夜の道に、斎藤の踏みしめる枯葉の音だけが、カサカサと響いていた。

ふいに風にのり、遥か彼方から甲高い鹿の声が“ヒュィッ!”と聞こえた刹那、山のほうから澄んだ笛の音が響きだす。

まるで、呼び合う様な笛の音と鹿の音は、秋の夜に解けるように物悲しく切ない音を奏であっている。

楽の知識などない斎藤の心にさえも、深く染みいるその切ない音色に、斎藤の脚はいつしか止まっていた。





(これほどまでに美しい音ならば、鬼や魑魅魍魎とて聞こうと山をおりてくるかもしれんな。)





鬼や妖怪といったものを信じている訳ではなかったが、斎藤は右の腰の物を一度手で確認するように触れてから、止まった脚を再び進めた。

山の麓に辿り着いた時、近くの寺から鐘の音が響いた。

その鐘の音が合図だったように、笛の音がぴたりと止み、辺りには静寂が訪れた。

(確か、山の中腹辺りから聞こえたようだが、間に合うか!)

月明かりと提灯の明かりを頼りにザザッと走りだした斎藤を、山の中腹から天霧は見ていた。





(あれは、確か新撰組の斎藤。噂の真意を確かめるため、足を運んだか。見つかると何かと厄介ですね。)

「千歳、時間ですが、今宵はもうすぐ満月ということもあり大層明るい。紅葉を見ながら山を一周してから帰りましょう。」

「いいのか!天霧!」

「ええ、その代わり木々を渡り翔けますよ。明るいとはいえ、夜ですので充分気をつけてください。」

「わかった!」

近くまで迫った斎藤の足音に、天霧は急ぎ山の頂上へと木々の上を翔け出した。

それを追うように翔け出した千歳だったが、夜露に濡れる木々の枝に足を滑らせる。

「うわっ!痛!!!」

「千歳!!!」

千歳の腕をグイッと掴み、反対の手で思わず叫んでしまった口を押さえた天霧だったが、幸い人である斎藤の耳には聞こえていなかったようで、ほっと胸を撫で下ろした。

「言った傍から、貴女という人は。。。」

「あはは、ごめんなさい。」

「どこか怪我をしたのでは?」

「髪が枝に引っかかっただけだよ。」

天霧は千歳の髪を素早く枝から解き取り、小さな手を引き、再び翔け出した。






山の中腹まで駆けつけた斎藤は、ふと足を止め立ち止まった。

(何故、俺はあの娘にここまで執着しているのだろう。剣に生き剣に死すだろうこの身に、血塗られたこの手に、女などいらぬと、何度も迷いを断ち切ったはずなのにな。。。)

己の未熟さに虚しくなり、引き返そうとした瞬間、月明かりに照らされキラリと光る糸を見つける。

(あれは?蜘蛛の糸か?)

斎藤は近付き手を伸ばす。

手に取り蜘蛛の糸ではないと解った瞬間、驚きに深い藍色の瞳が見開かれ淡く輝く。

(青色の髪の毛だと!)

刹那、一陣の冷たい風が吹き下ろし、手の中の髪がふわりと舞った。

「っ!!!」

咄嗟に掴もうとしたが、柔らかい髪は風と共に薄暗い闇へと消えてしまった。





(所詮手には入らぬ、ということか。。。俺も案外女々しいものだな。)

何もない掌を見つめ、そして何かを振り切るように、ギュッと強く握り締めた斎藤は、静かに山に背を向け、屯所へ戻るべく歩きだした。
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