陰惨たる図書館
□幸福の王子
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「こんにち――…あれ?」
今日の図書館はいつもと少し様子が違っていた。何処か寂しい…と思ったら、何時も私を笑顔で出迎えてくれる筈の管理人の姿がない。台所を覗いても、階段を覗いても、内部は物音一つなく静まりかえっていた。
「出掛けてるのかな…」
残るは二階か、本のいるあの子供部屋のみ。セフ君ぐらいはいるだろうと、まだ足を踏み入れ易い後者を選んだ。
「こんにちはー…」
これで本日二度目の挨拶。ノックをしたけど返事が無かった為、勝手に上がらせてもらった。まさかセフ君までいないのだろうか。念のため彼の定位置である四番目の棚を覗くと、そこには膝を抱えて長椅子にもたれる人影がいた。
「ラジエルさん!?」
それは姿を見失っていた管理人だった。声をかけても彼は膝の中に顔を埋めたまま、一向に目覚めようとしない。
「ラジエルさん!ラジエルさん!」
泣きそうになりながら思いっきり肩を揺さぶった時、管理人の足とお腹の間から何かがこぼれ落ちてきた。床に落ちた弾みで表紙が開かれ、真っ白なページが露になる。それは一瞬の間に強く発光すると、人の形をとって見せた。
「――ぶはぁあっ!!」
大袈裟な息を吐き出し、セフ君は汚れる事も顧みず倒れ込んでしまった。髪はぐちゃぐちゃ、緋い瞳はうっすらと潤んでいる。
「ど、どうしたの?」
「どうしたなんてもんじゃないよ…ねぇ、僕どっか凹んでない?涎でボヨボヨになってたらどうしよう…」
体を捻り、セフ君は背中を見せた。特に変な所は無いし、ラジエルさんの口許も綺麗だ。多分本体も涎でボヨボヨになっている事はないだろう。
「大丈夫そうだけど…」
「…そう、ならいいけど」
安心とは別の意味を含む息を吐き、セフ君は今だに反応を見せない管理人を睨んだ。
「寝ちゃったの?」
「僕を読んでる途中でね。全く、君が来なかったら後一週間くらいはこのままだったかも」
ありがとうと言うセフ君の心のこもらない感謝の言葉に、私はただ苦笑いをするしかなかった。
「あ、それ受け取ってくれてたんだ」
板を打ちつけられた窓から僅かに漏れる光。その窓枠の上に、以前彼にプレゼントした飴入りの小瓶があった。私が指差した先を見て本は素っ気なく「ああ」と呟く。見ようによっては照れ隠しのようにも感じられるけど、それは簡単に打ち壊されてしまった。
「いらないから返そうと思って」
「……はい?」
小瓶はコルクも包装のリボンもほどかれておらず、店で売られていたままの姿を保っていた。どうやら飴は嗜好品としてでは無く、ただ返品を待つだけのオブジェとして置かれていたらしい。
「知ってるよね?僕が食べたり飲んだり出来ないこと」
「で、でも…口とか汚れないから大丈夫かと思って」
「それにラジエルにはお茶をあげたんでしょ?こんなに貰っちゃ君に悪い気がするし」
「ラジエルさんにあげて、セフ君にあげないのは不公平な気がして……」
「別にそんな事で怒ったりしないよ。飴が物語なら別だけど」
「それも分かってたけど…」
みるみる萎んでいく私を不思議そうに見つめる目に、もう何も言える事が無くなってしまった。これはあまりない経験かもしれない。プレゼントした物をプレゼントされるなんて。
「そんなにがっかりする事…?」
「それは…そうでしょうよ」
「ふーん」
素っ気ないにも程がありすぎる。彼にとってはこれが普通なのかもしれないけど。
プレゼントは失敗か…。
大人しく諦めて小瓶に手を伸ばした時、それよりも僅かに早くセフ君が動いた。
「じゃあいいや。貰っておく」
「え?でも無理しなくても――」
セフ君は小瓶の底を持ち上げ、それを細い光の帯にかざしてみせた。味ごとに違う色をした飴が光を通し、まるでガラス玉のように輝いて見える。瓶をクルリと回せば中の飴玉が崩れ落ち、宛ら即席の万華鏡のようだった。
「飴にとっては不本意かも知れないけど、こう言う楽しみ方もあるしね」