陰惨たる図書館

□マッチ売りの少女
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「……おや!」



暗い廊下の先で待っていたのは紅茶の甘い香りだった。足音に気づき、カウンターに座っていたラジエルさんが驚いたように私を見上げる。それを見て、今まで内に溜めていた気持ちが一気に爆発した。



「何で、何で何も説明してくれなかったんですか!!」



ランプを棚に置き、掴み掛かりたい衝動の代わりにありったけの声を出して怒りをぶつけた。カウンターを叩きつけた衝撃でカップに入っていた黄金色の液体が波打ち、少量が防波堤を超えてしまった。



「アハハ、すみません。変な事言ってらしたんで、てっきり話し手の方かと。そうとわかれば明かりぐらいお出ししたんですがね〜」



怒鳴ってもラジエルさんはラジエルさんだった。溢れたものを拭き取り、優雅にいい香りのする紅茶を傾ける。これじゃあ謝られてる気がしない。



「…なんなんですか?ここって。それに貴方達も……」



カップをソーサーに置き、管理人はニッコリと笑った。



「ここは図書館。私はその館長であり本の管理人で、セフはここで唯一の本です」

「それは知ってます!そうじゃなくて……!」



聞きたい事がありすぎて、何から聞いていいのか整理が追いつかない。口だけが先走ってしまい、後がつっかえてしまった。そんな心を汲み取ってくれたのか、おし黙った私の代わりにラジエルさんが口を開いた。



「セファーは人の一生である物語を記録する特別な本なんです。そしてそれを守るのが管理人の役目。セフに書かれていることは全て事実ですよ。と言うのも、筆者は実際に体験したその人たちなのですから」

「それって……」

「どの物語を読まれました?」



私はさっきのお爺さんのお話しを思い出した。何処の国のお話しなのか、恐ろしくも歪んだ愛の話し。妊婦の腹を抉り出し、胎児を奪うという彼の物語。その後の末路はやはり異常と言う形で幕を降ろした。



あんなのが本当にあったって言うの?



「『かぐや姫』です。お爺さんが妊婦さんを殺しちゃう…」



うん、とラジエルさんは軽く頷いた。椅子から立ち上がり、直ぐ後ろの部屋へと入って行く。カチャカチャと何かがぶつかり合う音が聞こえてきた。



「随分前のお話しですねぇ。その筆者も紛れもなくそのお爺さんですよ」



どうやら向こうはキッチンへと続いているらしい。ラジエルさんはカウンターに置かれている物と同じカップと、布を被った小さな篭を片手に姿を現した。



「彼は綺麗に着飾った何かを抱えてここに来ました。『月が娘を連れて行く』とか言ってましたね。腐乱臭が物凄かったので、早々に部屋に連れて行きましたけど」

「あの部屋に来たんですか!?」



それを聞いて背筋がぞっとした。あの赤ん坊は、あのお姫様はまだ体が完成してはなかった。お爺さんは姫が死んでいる事にも気付いていなかったのだ。



「人は筆者になった時、天に物語を記録されるんです。世界に記憶される為に」




温かい湯気が立ち込め、並べられたカップに注がれる。布を外し中から現れたのは、丸くこんがりと焼けたシンプルなクッキーだった。



「しかし天はその全てを記録している訳じゃありません。血生臭い物語もあるし、心を失った物語もある。そうした普通とは少しずれてしまった物語を、天は嫌うんです。天の代わりにそれを記録するのがここに居るセファーなんですよ」

「………」



紅茶の中にいる自分がなんとも滑稽な表情で私を見つめていた。悲しみからか、困惑からか、不安そうに眉間にしわを寄せている。水面が揺れ、彼女は何処かに消えてしまった。



「じゃあ私…死んじゃったんですか……?」

「いいえ。貴女は生きていますよ。稀に筆者以外にも此処を訪れる事が出来る人がいるんです。貴女もその一人ですよ」



管理人の笑顔にほっと胸を撫で下ろす。彼の話しは何となく理解したというよりは、そういうものなのかと鵜呑みにするしかなかった。記録だのよく分からなかったけど、それよりも大きな疑問が胸の内から込み上げてきたからだ。
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