山羊さん郵便

□拝啓、一人ぼっちの家族様
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『拝啓、一人ぼっちの家族様』





夜の海が望める駐車場。そこで唯一停車していた車の中に、一つの家族の姿があった。海は昼間に家族が遊んでいた時とは打って変わり、今は静かで人気が全くない。車はライトを消しているため、外の月明かりは一際綺麗に輝いていた。そんな光景に背を向けて座っていた母親が、後部席で仲良く寄り添って眠る子供達から、正面の海を見据えるように姿勢を戻す。母親はほっと短く一息置くと、運転席にいた父親に発進を促した。


「そろそろ行きましょう、あなた」

「そうだな…」


少し疲れを見せる妻の横顔に、夫は覚悟を決め、ギアをドライブに切り替える。昔の思い出を振り返りながら、夫はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。少しずつ、少しずつ…車は海へと近付いていく。駐車場の縁石を乗り越えて、車は子供を含む家族四人を乗せたまま、八月の海へと落ちていった。





「うわぁ!」


息も切れるような全力疾走で、男が公園の公衆トイレに駆け込む。しかし彼が悲鳴を上げて地面に座り込んだ理由は、中で待ち構えていた子供が原因だった。汗一つ流さず、息一つ乱れていないその子供は、先程まで男と追いかけっこをしていた人物だ。最も、二人は血縁的な関係でもないし、知り合いでもない。なら何故追いかけっこをしているのかと言うと、それは男にもわからなかった。


「ねぇ、そろそろ逃げるの諦めてくれない?じゃなきゃ僕、地の果てでも追い掛けるよ?」

「この悪魔め…俺の行くとこ行くとこに現れやがって!なんなんだよお前は!」


二人の追いかけっこは実に丸二日も続いていた。いきなり男の目の前に現れて『手紙を受け取るまで帰らない』と言い出したこの少年は、自分の事をやぎだと名乗った。男はろくな会話もせずに今まで逃げ続けていたが、この子供は人間じゃない。それはこの二日間の逃走劇で、嫌と言うほど感じていた。


「悪魔?それってもしかして、あの山羊の頭をした奴の事を言ってるの?だとしたらとんだ山羊違いだね」

「俺からしてみればお前も悪魔みたいなもんなんだよ!」

「俺達はただの配達員です」

「…誰だ!?」


男が後ろを振り向くと、また新たな人物がトイレの入り口に立っていた。茶髪で、オレンジの鞄を下げていて、顔立ちが男を追いかけ回していた子供とよく似ているその少年。まるで機械か人形のように無表情を貼り付けている彼は、男に向かって軽い会釈をした。


「初めまして、俺は白やぎのL。そっちの黒やぎが貴方の亡くなったご家族から手紙を預かっています。それを受け取ってさえ頂ければ、後は読まずともDが貴方を追い回すような真似はしません」

「まぁ、新しい手紙がきたらまた届けに来るんだけどね」

「あいつらの…手紙?」


男の顔色に動揺が浮かぶ。しかし死者からの手紙を届けられた生者など、得てして同じような反応しか見せないので、やぎ達は気に留めなかった。


「菊地香苗さん、光太郎君、愛華ちゃん。全て菊地肇さん、貴方に宛てられたお手紙です」

「う、嘘だ…でたらめを言うな!死んだ人間が手紙なんて書けるか!」

「!」


白やぎのLに向かって、男が体当たりを仕掛けてきた。衝撃で吹き飛んだLは壁にぶつかり、流しの上に飾られていたペットボトルの花瓶が倒れ、Lの足元を濡す。隙が生まれたのはその一瞬だけだったが、男は上手く身を翻して逃走に成功した。


「L君、大丈夫?」

「ああ、なんともない。だけどまた逃げられてしまった」


残されたDはLに駆け寄り、Lは濡れた靴を気にしながら足に体重をかける。すると靴の中で水がしみ出る音がして、無表情の顔に極々小さなしわが寄った。
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