小噺・弐

□THE・ふたご座誕2017〜
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*2017.9.22 真田誕

『手をつないで、うちに帰ろう』



 品行方正、文武両道、容姿端麗、エトセトラエトセトラ。
 明彦を誉めそやす言葉は数え上げればきりがなく、近隣の住民からは挨拶もきちんと返してくれるとてもよくできた息子さんねと羨望の眼差しも多い。
 けれど真田夫妻は困ったように笑いながら答えるのだ。

 “まだまだ手のかかる、やんちゃな子ですよ”


***


 明彦が真田家に引き取られてから最初の誕生日を迎えた時のことだった。

 施設側から書類と共に知らされただけの生誕記録だが、共に過ごし祝福することで初めて自分達は親子としての繋がりを持ち、家族になれる。夫婦は――特に帰国子女で海外文化に親しみの深い妻は、そう信じて疑わなかった。
 もう一人家族になるはずだった娘の分まで惜しみない愛の言葉をそそぎ、些細なことでも大功を成したように誉めちぎり、もちろん人道的に反することがあれば(それは滅多になかったけれど)厳しく諌めもした。
 毎日が挑戦と発見の連続で、それでも何があろうと前向きに笑う妻と全てをおおらかに包み込む夫は手に手を取り合い明彦と接してきた。
 そうして迎えた誕生日。腕によりをかけて拵えた御馳走と、苺と生クリームたっぷりの丸いケーキがダイニングテーブルに並んでいる。夫は昼から休暇を取り、プレゼントを片手にそろそろ帰宅してくる頃だ。
 楽しみで楽しみでたまらない。愛しい息子のはにかむような笑顔を想像して妻は鼻歌う。
 けれど夫妻の予想はあっけなく裏切られることとなる。

 明彦が当日に家出をしたのだ。

 無人の部屋と開かれた窓、風に煽られ揺らめく草色のカーテンを目にし、妻は顔色を変えて家を飛び出した。よく遊びに行く公園、一緒に買い物に行ったスーパー、通学に使う道程、何処を探しても居ない。
 居ない。居ない。居ない。息子が居ない!
 明彦、と名前を呼ぶ。明彦、何処に居るの?手当たり次第に声を張り上げる。これではまるで散歩中に飼い犬に逃げられた飼い主のようだ。けれど妻は、こんな時どうすればいいのかそれ以外に思いつかないぐらい動転していた。警察や夫に連絡を――そんな簡単なことすら頭に思い浮かばない程に。

 初潮と同時に子宮に酷い悪性の腫瘍が見つかり、このままでは命に関わるからと子供を産むことの尊さを知る間もなく全摘出された。夫はそんな妻の事情を知って尚、生涯の伴侶として共に生きることを誓ってくれた。
 例え痛みは伴わなくても、ようやく出来た大切な家族だ。もし、息子に、明彦に、何かあったら――!!

「おばさん、どうしたの?」

 息を切らしながら闇雲に辺りを探し回っていると背中から声を掛けられた。今この状況で、その少年の声はまさに救世主のようだった。
「アキが家出?」
 途方に暮れすがり付くような声で状況を説明する妻に、少年は一言ふうん、と返すだけだった。
「ケーサツとか、おじさんにはもう電話した?」
 その時初めて妻は一番にするべきことに気が付いた。息子と同い年である少年の方が余程冷静なことを恥ずかしく思い顔を赤らめる。尚且つ、この少年ならば息子の行き先に心当たりがあるのではないかと頼ろうとしたのだ。
 ひとまず家に戻ろうと踵を返し、爪先の違和感にたたらを踏む。足元を見れば右足に庭掃除用のサンダル、左足には外出用のパンプスを履いていた。しかも左右逆のままだ。夢中で走り続けていた為今の今まで気付かなかった。
 驚きに短い悲鳴を上げる妻を見て、少年が呆れたように小さく吹き出す。
「おばさん、慌てすぎだよ」
 仕方がない、と言わんばかりに小さな手が差し伸べられ、そのまま見知らぬ方向へと案内される。
「多分……多分だけど。アキはこっちに居ると思う」
 二人が通う学校とは正反対の方向だ。寂れた、小さな空き地。何も見当たらないけれど、と疑問に思う妻の手を引き、空き地の隅に置かれた大きな土管の側へと歩み寄る。二メートルほど離れた地点でぴたりと足を止めると少年は妻を見上げた。
「ねえおばさん、アキのこと怒る?」
 突然の問い掛けに虚をつかれたが、妻は首を横に振る。今はとにかく息子の無事が知りたかったし、帰ってきてさえくれればいいのだと。
 それを聞いて少年は頷き、手を離して一人土管の中へと進む。そして聞こえたのは拳骨を振るう音と、少年の怒声だった。
「お前、何やってんだよ!!」
 突然の出来事に驚き妻が駆け寄ると、狭い土管の中で掴み合いの喧嘩をしている少年と息子の姿があった。明彦!と悲鳴を上げる。
「おばさんはちょっと黙ってて!!」
 慌てて止めようとする妻の手を払い、少年が再度息子に詰め寄る。
「園長先生言ってただろ!ミキの分までしっかり生きろって!なのに何やってんだ!」
 ぐいぐいと胸ぐらを掴む少年の手を、明彦が渾身の力で押し退ける。
「……だって!」
 悲鳴のような叫び声を上げた。
「ミキが居ない!今まで、ずっと一緒だったのに!誕生会のとき、一緒に土いじりして、遊んでたのに、ミキが居ない!となりに居ないんだよ!なのにちゃんと生きるって、どうすればいいんだよお!」
 ミキぃ、と明彦がしゃくり上げる。そのままひぃんと甲高い泣き声に変わった。
「シンジぃ、ミキいない、いないよぉ、やだよぉ、ミキぃ、ミキぃーーー」
 ひぃん、ひぃん。明彦の泣き声が公園に響く。少年はしゃくりあげる背中をさすり、一言二言声を掛けている。妻は初めて聞く息子の泣き声に土管の外で立ち竦んでいた。

 自分達は、なんて独りよがりな家族ごっこをしていたのだろうか。
 妹を亡くした兄の心境など顧みず、与えることばかりに夢中になっていた。一緒に居ることが当たり前だった存在が居ない、まだ小さな息子にそんな寂しさが耐えられる筈もないだろうに。知らず、夫婦は明彦の中から妹の存在を消そうとしていたのか。
 ごめん、ごめんなさい、ごめんね。明彦ごめんねぇ。
 気付けばぽろぽろと涙を溢しながら謝罪の言葉が口から飛び出ていた。息子が気付く。おかあさん、と呼んでくれた。
「おかあさん、お母さん、ごめ、ごめんなさい。泣かないで、おかあさん」
 辛くて寂しくて、悲しいのは息子の方なのに。独りよがりな涙を流す親を気遣ってくれる。優しい子だ。妻は、母は、小さな息子の身体を思いきり抱き締めた。

 帰ろっか、明彦。
 汗と涙で化粧が崩れて酷い状態の顔だったろう。それでも笑顔を浮かべた母に、明彦も涙でベタベタの顔をくしゃりと微笑ませて頷いた。

 そっと離れて帰ろうとした真次郎少年をその細腕のどこからと言いたくなるような強引さで無理矢理家に連れ込み、誕生会の仕切り直しだと意気込む母が見たものは今まさに警察に電話をしようとしている夫――父の姿だった。
 開け放された窓や玄関を見てすわ強盗か誘拐かと思ったらしい。二人の無事な姿を見て安心したのか、いつものおおらかな優しい顔でそう答える。が、電話をかけているときのあの殺気を孕んだ氷のような眼差しは多分一生忘れないだろう。明彦と真次郎は絶対に怒らせてはいけない人物を悟った。
 
 少し冷めてしまったけれど母の作った料理は美味しくて、父からは流行りのスポーツシューズをプレゼントされた。
 初めて歌うバースデーソングの音色はくすぐったいけれど、でもどこか心地いい。
 大丈夫。この人たちなら、きっと大丈夫。少年はそう思っていた。


***


 大学を一時休学し武道を極めると海外に出た明彦に対して、近隣の住民は本当に意外とやんちゃな息子さんだったのねと驚きの声を向ける。
 困ったように笑いながらそうですねと答えたあと、真田夫妻は必ずあとにこうつけ加えるのだ。

 “だけど世界で一番大切な、かわいい自慢の息子です”


END.
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