家宝(頂き物文)

□心地好い温度
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遥か頭上で朧気に霞む月は夜の静寂を縫う様にして存在し、生きとし生ける物の住まう下界は、その不穏とも言うべき空気に為す術も無く呑み込まれる。
満月が近付くにつれ淀んでゆく空気。肺胞に幾ら酸素を取り入れても、それは体内に蓄積され、やがてはどろりと液状の汚物と化して腐敗するに違い無い。
血液から皮膚迄全てが淀んで汚物に塗れた身体は、やがてそう遠くは無い或る日を境に、泥の中で藻掻く様に抵抗も虚しく朽ち果ててゆく気がした。

(俺と、お前は、決定的に違う場所に居るんだ)

昔の様にベッドに潜り込んで来ては安らいだ顔付きで眠っている幼馴染みの表情。とても懐かしい、それでいて相変わらず庇護欲さえ掻き立てられる、その寝顔。

(もうこの阿呆みてえな寝顔を見るのも、あと僅かか)

不思議と、この男の隣に居ると淀んだ空気が浄化されてゆく感覚がした。それは思い過ごしに違い無いと脳は理解しているのだけれども、思わず己の勘違いな御都合主義を笑い飛ばしてやりたい衝動に駆られるのだけれども、心の深淵では石粒程度の期待感を持っている己がいる事もまた事実なのである。
眼前にいるこの男は特別な存在だ。少なくとも己にとっては。命に値する。
強引に肢体を抱き寄せると、寝苦しそうに眉間に皺を掻き集めて男は呻いた。舌打ちをしたくなる。それもそうであろう、普段は能天気な頭をして人目も憚らずべたべたと触れてくる癖に。

(今だけ独占させろってんだ、馬鹿)

朝になったら思い切り蹴飛ばして、暴言と共にベッドから叩き出してやろうじゃ無いか。それ迄は、こうして、何も知らない二人の様に。
心地好い温度にただ寄り添いながら。







心地好い温度
(服越しから伝わる柔らかな温もりが胸の奥に染み込んで、最悪な事にその日見た夢は――――幸せそうなお前の夢だったんだよ)
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