裏物部屋

□なみだをふいて
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俺達が暮らしていた施設が他とどう違うのか、知る由も無かったし興味も無かった
少なくとも悪いところではなかった筈だ

ただ、その悪くはなかった筈の所でさえ、『そこ』に居るというだけで周囲から爪弾きみたいな扱いをされるのは気に食わなかった

気に食わなければすぐに手を上げる俺と違い、人形みたいに大人しいアキはくだらないちょっかいをよく掛けられていた
そのちょっかいを掛けた奴らを片っ端から殴りつけて行く事で二人とも更に爪弾きにされたけれど、別に気にしやしなかった
ぐしゃぐしゃに泣いてたアキが最後に笑ってくれさえいれば、それだけで他の事なんてどうでもよく思えた

俺にはアキが居るし、施設に帰ればミキも先生も居る

端から見れば随分と狭い視野だろうけれど、それでもまだガキだった俺にとってはそれが世界の全てだった
『外』なんてどうせ俺達の事を認めない奴らばっかりだと思い込んでいたから

だから、その『外』で知らない男に突然「お前強いな」と声を掛けられた時は、正直警戒心よりも認められた嬉しさの方が強かった

***

近所に住む高校生らしいその男とは、それからもよく会って話をした
「最近ここら辺でしょっちゅう喧嘩してるだろ?何度か見たことあるよ」
いかにも『頭の良い学校に通う良い所の家の息子』の格好をしたそいつが、何で毎日同学年の鼻と乳歯を折ってばかりの小学生の俺に声を掛けてきたのかは分からなかったけれど
『外』の…それも高校生の、年上の大人(10にもなってない俺にとって、制服着てる高校生は皆大人に見えたんだ)と普通に喋ってる自分が、他とは違う特別な奴に思えて内心は浮かれまくっていた

「今度俺の家に遊びに来るか?よく一緒に居る“トモダチ”も連れて来ていいからさ」
「…?アキも?いいのか?」
「真次郎のダチは俺のダチだろ。三人でマリオカートしようぜ」

アキも認めてくれたのがただ単に嬉しくて、馬鹿みたいに素直に頷いていた

笑って言ったそいつの目が全く笑っていなかった事に、何で気が付かなかったんだろう

先生の言いつけを守って、知らない人の所へ行く事を嫌がるアキを何で無理矢理引っ張って連れて来てしまったんだろう

「真次郎、ちょっと近所のコンビニでアイス買って来てくれるか?」

そいつの部屋でマリオカートをやっている最中、奢ってやるから、と言って差し出された千円札を、何で素直に受け取ってしまったんだろう

「あ…シンジ、俺も行く…っ」
「明彦は俺と留守番なー。真次郎が出てる間に二人だけでマリオカートの練習しようぜ〜♪」

初対面なのにすっかりそいつに気に入られて、俺よりもアキが選ばれたのが少し妬ましくて
一緒に行きたがるアキの手を何で振りほどいてしまったんだろう

何で、アキを置いて行ってしまったんだろう

何で

何で

俺はこんなにも馬鹿だったんだろう――

***

「(アイス溶けてねぇかな)」

あまり来た事のない通りだから少し時間が掛かってしまったけれど、それでも勘を頼りに何とかもと来た道を辿って帰った俺が見た物は、今まで見たことのない光景だった

アキが、床に横になって寝てた

人形みたいに真っ白い肌が更に青白くなってるのがよく分かって、何でだろう、ああ、下に何も着てないからか、とアキと比べて出来の悪い頭が理解したのは、今度は真っ赤に腫れたアキの右頬が目に入ってからで、唇の端が切れて血が滲んでいること、妹のミキと揃って長い長い睫毛がぐしょぐしょに濡れてること、それから――「結構遅かったなぁ真次郎」――ああ、腕ぶつけちまったのか、痣も出来てる――「ったく、コイツ最初はチワワみたいに震えてるだけだったのに…急に大声出して暴れ出すもんだから参ったよ」――…うるせぇな、アキ寝てんだから静かにしろよ、起きちまうだろ――「明彦って可愛いよなぁー、遠目から見ててもそこらのクソガキとは違うと思ってたけどやっぱ近くで見たらたまんねぇわ。お前居なくなった途端ずぅっとシンジ、シンジって呼んでてさぁ」――うるせぇ、うるせぇ――「やっぱアレだろ?こんだけ可愛けりゃお前らが住んでるとこでも色んな奴らにマワされ――



ブツリ。



…子供の乳歯も大人の永久歯も、折るのに対して差は無かった
ついさっきまで楽しそうに笑ってたそいつは、今俺の目の前で口元を抑えてひいひいと床上で呻いていた

「……なぁ、もういっぺん言ってみろよ」
髪の毛を掴んで顔を持ち上げる
「…は…はに…っ?」
「アキは可愛いよな」
隙間だらけの口の中に無理矢理手をねじ込んだ
「……あ゛……ぉあ」
「だから何だって?」
ぐらぐらと不安定に歯茎にしがみついている隙っ歯を指で摘まむ
「…っ……っっ……!!」
「なぁ、何だよ。俺あんま頭良くねぇから分かんねぇんだ。教えてくれよ」
「………ひゅっ…ひゅゆひ…っ!」


こいつ何言ってんだろうな、全然聞こえねぇよ


***

――今日は、シンジの友達のお兄さんの家に遊びに行った

先生からは知らない人の所に行ったら駄目だって言われてたから、最初はちょっと嫌だったんだけど
シンジが凄く楽しそうに言うから、ちょっとだけならいいかな、って
思い切って行ってみたら、お兄さんの家はとっても楽しかった!
シンジと三人で一緒にマリオカートしたり、お菓子食べたり、ジュース飲んだり
途中、お兄さんがアイス買っておいでって、お小遣いもくれて…

だけど俺、途中で寝ちゃったのかな
気が付いたらシンジが俺をおぶってて、施設近くの公園の前を歩いてた
シンジがおんぶしてくれるなんて久し振りだったから、このまま寝たふりしちゃおうかな…なんて思ったけど、何だかトイレに行きたくなったから、シンジに「トイレ行きたい」って言ったら、ちょっとだけ頷いてそのまま公園のトイレに連れて行ってくれた

…何でだろう、寝ている間にお漏らししちゃったのかな?
もうとっくに治ったと思ったのに
身体がべちゃべちゃ濡れてて気持ちが悪いや
シンジの服、おぶさってて汚さなかったかな?

「………?」

…あれ…痛い

何か、変なとこ、痛い

やだなぁ、せっかくシンジの友達の家で楽しく遊べたのに
何でこんなに身体のあちこちが痛いんだろう
途中で寝ちゃったからかな?
今度はちゃんと、最後まで起きてなきゃ…

「シンジー、今日は楽しかったね。また遊びに行こう」
シンジの方を振り返ると、俯いてじっと黙ってる
「……ごめん、アキ。俺あいつと喧嘩しちゃったんだ。だから、もう遊びに行けない」
…喧嘩
そっか、だからシンジさっきから元気なかったんだ
「…そうなの?仲直りしないの?」
「しない」
あーあ
シンジはいつもそうだよな、合わない人とは絶対仲良くしないんだ
…でも、まぁいいか
「ふぅん…じゃあまたミキと三人で遊べるな!」
俺は、シンジとミキが居ればそれでいいよ
「………そうだな」
「うん!」

だからシンジ

泣かなくていいよ――
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