宝物

□約束
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ぱん、と乾いた音が戦場に響けば、それを合図に彼は走り出した。

(守らなければ)

(拙者が、あの方を、)

(守らなければ)

彼はこっそり、耳に挟んでしまったのだ。

昨日、自分の殿が、彼ですら話をした回数を数えるような、お偉いさんに告げていたこと、を。

(まさか、そんな、拙者の村を巻き込むだなんて)

酷い、あんまりだ。

戦闘にも、学問にも長けた彼ですら、そんな言葉くらいしか思いつかないほどに。

罪無き者への、地獄の仕打ち。

彼が生まれ、彼が育ち、彼が巣立った村を燃やし、敵の気を引く。

そう、殿の唇が揺れた瞬間、彼はただただ、暗い暗い場所で静かに涙したのだ。

彼はわかっている。

それも、自軍が勝利するために必要な作戦なのだと。

そのような重要な任務を自身の寂れた故郷が受けるのは、むしろ光栄なのだ、と。

しかし、彼は耐えきれなかった。

それは故郷に対するものだけでは、なく。

「クルル殿! やはりまだ逃げておられなかったか…!」
彼は、幾年振りに見た玉のような汗を額に光らせながら、戸を開いた。

村に唯一ある、医療所。

中には、薮医と言われ続けた、明らかに西洋の血が混じった、一人の男がいた。

その者こそ、ドロロが一番に涙した、理由。

一生此処から消えないと、幼い頃、小指を絡めて約束を交わした、相手。

天才で、大馬鹿で、彼自身よりも彼を愛す、医者。

「やっと来たか」

男は、これから自身のいるそこが焼かれるというにも関わらず、おかしそうに笑っていた。

それはそれは、自分には関係ございません、とでも唱うように。

「何を笑っておられる! 早く外に避難を…!」

「そいつはいらないぜぇ」

目にも止まらぬ速さで彼の前に移動し、電光石火の速さで男の腕をぐっと、彼は掴んだ。

しかし、医者はそれを拒んだ。ひらり、と、軽やかに、舞うように。

「何を言って…!」

「アンタ、忘れたのかよ?」

男はやはり笑っていた。

「約束しただろ、俺はここから出ていかない。アンタは簡単に破ったけどな」

「もしも今、俺と一緒に猛火に焼かれるのなら、許してやってもいいぜぇ」

彼はまた、泣き出した。

本当に本当に、自分も、男も、とんでもない馬鹿なのだ、と。

『クルル君、クルル君』

『クルル君、ねえ、村を出て行っちゃうの、本当?』

『僕、嫌だよ。クルル君が大好きだよ。行かないで』

『お願い、約束だよ、』

『クルル君』

「クルル殿」

「あ?」

燃え盛る火炎は、止められない。

かやぶき屋根も、男が座っていた板の間も、なにもかも。

すべて火の海に消え、熱気を外界に送り出している。

これでは、助かることなど不可能。

しかし彼は、そんな火が回るよりも早く、男を連れて逃げ出していた。

男も、彼も求めていた言葉とともに、だ。

「約束、変える! ずっと僕と一緒にいて!」

「アンタ、それじゃあただの我が儘…」

えんど

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