オリジナル医龍4
□file 4,記者会見
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朝田龍太郎
その名前は、医学に関わる者には知らぬ者はいないくらいに有名だ。
日本で初めてバチスタ手術を成功させ、さらに新術式を考案・実施させた胸部心臓外科医として広くその名を知られていた。
そして、その朝田を中心とするチームでその後何度もバチスタを成功させており、心臓だけではなく、ほぼ全身をカバーすることができ、成功率100%を誇っていた。
なぜ、全身科医化してるのか?
それは、朝田がかつて所属していたNGOやMSAPで戦場で様々な患者を見てきたからに他ならない。
日本の大学の医局にいては一生経験できないくらいの経験を、朝田はほんの10年くらいでしてしまっていたのだ。
そんな臨床経験豊富な貴重な人材こそが大学には必要だ。
だけど、朝田はそういう役職に就くことを極力嫌っていた。
管理職に就いてしまうと患者を診れなくなってしまうからだそうだが、加藤先生が本格的にアメリカに渡ってしまった今としては、朝田先生しか頼めるような人材がいなかったのだろう。
「加藤はどうした?」
もちろん、朝田先生はそう聞いただろう。だけど、事情と現状と未来のことを聞かされて断る程朝田先生はバカなわけではない。
最後は、鬼頭学長らにお願いされる形で明真大学医学部臨床教授に就任する話を受けたのだった。
ただし、臨床教授になろうと胸部心臓外科の教授になろうと、今まで通り患者は診るし切ると朝田先生の意志は固かった。
元々、鬼頭学長らはその性格を知った上で朝田に頼んだのである。
どちらにしても、朝田先生のまわりを取り巻く環境は以前とは違うものになっていた。
医学部臨床教授として医学生に講義をしている朝田先生。
胸部心臓外科朝田教授の総回診
なんてことを想像してしまったら、なぜだか笑いが止まらなくなっておかしく思ってしまう。
だって、以前の朝田先生なら絶対そういうことは受けることはなかったからだ。
どういう心境の変化があったのかはこの時点ではまだわからなかったけど、確実に朝田先生は変わってきていた。