milacle
□case6,たとえどんなことであろうとも
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実に、朝田先生が日本を去って1年が経とうとしていた頃だった。
そして、朝田先生は専用機で到着した。
現地で治療にあった医師らが同乗し、出迎えた伊集院たちに引き渡される。
飛行機から降ろされた朝田先生は、車椅子に乗せられていた。
しかしただの車椅子ではなく、頭部には常に脳はを測定する機械が着けられ、目には黒いサングラスがかけられ、両腕は力無く添えられ、鼻には呼吸を補助するための細い管が常に着けられていた。
見るも耐えない状況だった。
だけど、どんな形であれ生きていてくれてよかった・・・・・・
確かに、人間としての脳波は依然として動いていない。
けど、搬送直後と比べて、わずかに音に反応することがあった。
それがどんな音なのか、声なのか音楽なのかはわからない。
だけど、外部から何らかの刺激を与えることはプラスになるはずだ。
意識を取り戻すまで、あと半年かかるか1年かかるかわからない。いや、もしかしたら一生ないかもしれない。
例えそうだとしても、異国の地で死ぬよりも親しい仲間のところで過ごさせる方が朝田も幸せだろうし、万に1つの可能性でも希望があるのならそれに賭けてみたい。
そういういきさつで朝田先生は明真に戻って来たのだ。
ここには、伊集院も荒瀬も加藤教授も里原さんもみんながいる。
それに、朝田先生が1番会いたかったのは小高先生だろう。
あとから聞いた話だけど、ちょうど朝田先生が意識を失った頃小高先生は朝田先生が自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がしたらしい。
そんなことはあるはずがない。
そう思っていたけれど、2人が何にも代えることのできないくらいの絆で結ばれていたとしたら、それはあながち有り得ないことではないかもしれない。
そして、朝田先生は車椅子からストレッチャーに乗せかえられ、明真に戻っていった。