救命医と胸部心臓外科医と脳外科医と小児外科医と…
□Kalute 8,出逢い〜進藤side 〜
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1990年4月
それから全研修を終えた彼らは、それぞれの専攻科へと向かった。
進藤side
東都大学附属病院高度救命センター
そこはまるで戦場だった。
研修時代から知ってはいたけど、改めて来てみるとそれを実感する。
ほぼひっきりなしに急患が運ばれてくる。
ここは高度救命センターである。
救命センターには3段階あり、1次は軽症でその場で処置をして自宅に帰れる者。
2次は骨折などの入院を必要とする者。
そして進藤が自ら希望して来たのは、3次である。
そこは、最後の救命の扉と呼ばれ、到着時には心肺停止状態の患者も多い。
そのため高度の医療技術を必要としまた激務であるがため、常にスタッフ不足と赤字の状態だった。
そんなところに、貴重な人手が来るとあって救命センターはいつもと違う雰囲気になっていた。
進藤が研修に来た当時のスタッフたちの中には現在はいない者もいたため、新しく来る若い救命医のことを知っている人は少なかった。