長文【零】
□人拐い 弐
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ぺし、ぺし、ぺし………なんだ…
ぺし、ぺし、ぺし、ぺし………あぁ煩いな
ぺし………………………ばちーーーん!!!
「い゛っ!!!」
結構な規模の衝撃を頬に受け飛び起きると、
冷たい目で見下ろしながら男は自分の手を擦っていた。
「っ…………お前っ…!!!いきなり何なんだ!!!」
じわりと涙目になって顔の左半分を押さえる。
「何なんだ、は此方の台詞。猫じゃあ在るまいし…いつまで寝ているつもりなんです?」
そう言ってくるりと身を翻し、すたすたと窓際に移動する男を睨む。
「…もう日暮れだ。」
外を見ながら呟く男の顔が夕日色に染まっていた。
昨日の朝から今朝まで動きっぱなしだったこの身体は、もう半日も眠ってしまっていたのだ。
「昼には此処を出るつもりだったのに。…あんたが朝帰りなんてするからこうなる。」
そう言って盛大な溜め息を吐いた。
…嫌味な奴。だったら私を置いて行けばいいだろう。
突然、あ。と言って拳をぽんと叩き
顎に手をやって…わざとらしく宙を見ながら思い出した様に男が呟く。
「そう…そう、あんたに取り次げ、と客人が訪ねて来ていたんですよ…。
ありゃあ、そう…まるで“死んだ魚の様な目”の男だったが、知り合いで?」
…死んだ魚の目?…そこまで聞いた時、頭だけの鰯が脳裏を泳ぐ。
だが…そんな奴は知らん。
聞かない振りで煙管を銜えた。
男はこちらへ目を遣り、また口を開く。
「…あんたがあんまり起きないもんで、情報収集も兼ねて暇潰しに出ていたら…先刻戻った時に門の所で声を掛けられたんですよ。
『ここに部屋を取っている
“赤毛にど派手な身なりをした絶世の美人”を知らないか』と。
この宿に…赤毛にど派手なんてあんた以外居ないだろうと思ってね。…で、知っている、と答えた。」
どうでも良い事を随分良く喋る…と顰めっ面で男を見ると、
僅かに口の端を吊り上げながら更に続けた。
「それで……私の“妻”はまだ寝て居ります故少々お待ちを、と言った途端
その男…がっくりと 肩を落として、
また出直す、と不機嫌そうに帰ってしまったんだが…。はて、一体何故、でしょうね…。」
私が知るか。そんな事。
………………………………。
煙管を銜えたまま瞬時に零式を抜き、
渾身の力で男に向け投げ付けた。
脳髄目掛けて放たれた刃は、鼻先を掠めた所で、二本の指に止められた。
「危ない、危ない。刺さっちまったら…どうするんです。」
と涼しい顔で座卓の上に短刀を置く。
「何なんだ本当に!!!そんな事を言って何になる!?おふざけも大概にしろ!!!」
どうもこいつは私を自分の所有物扱いしている節がある。
私を剣だと言って連れ去ろうとしたり、勝手に夢や記憶に割り込んだり、
妻などと言ってみたり…
上からものを言うその他数々の言動…
腹立たしい事山の如し。
…まさか私を怒らせて楽しんでいるのか?
依り代の身体にさえ入っていなければ、とうに捻り潰している所だ。
「何を怒っているんで?妹は嫌だ、と言ったのはあんただ。話の成り行き、ですよ。…ああ、それともあの男に誤解されたのが嫌だった、とか…。」
そう言って憎たらしい無表情で此方を伺ってきた
「お前な…。本当…いや…もう…何だ…話しにならん。お前と話すと疲れる…。」
寝台の上
男に背を向け再び横になって、まだひりひりする頬を撫でながら煙管を咬んだ。
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