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□序盤戦
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 大学の正面玄関は、南に面している。出入り口はあらゆる所にあったが、生徒たちが入場する一番大きな門はこの南の入り口だった。
 位置的にはそこからすぐ北西、というより斜め左に、別の校舎がある。このうらびれた農業大学はキャンパスが三つの建物で成り立っており、渡り廊下のようにのびる回廊によってコの字型につながっていた。一見すれば三つの建物をつなぐのはその回廊のみだったが、どの建物にも出入り口が数か所ついていたので、それ以外からでも出入りは可能だった。
 
北西キャンパスの二階、無数にある部屋の内のひとつ。赤黒いサテン生地のカーテンが閉められたその部屋に、三好里帆(女子一八番)は座り込んでいた。

 ―最悪すぎる。

 この一言に尽きる。今の今まで里帆にとっての最悪が、日焼け止めのストックをうっかり切らしてしまったり、冷蔵庫にとっておいた大事なおやつを食べられてしまったりすることだった(たいてー、ママ)。だがもう、そんなのとはレベルが違う。それで、最悪が過ぎるのだった。日本語がヘンなのは、百も承知。
 
 プログラムなんて、本当にあったんだ。
 いや、知ってたけども。毎年ニュースになるし、今年はあそこだった、来年はどこそこになる、という噂を耳にした。けれど、里帆にはわかっていなかった。たぶん、誰もわからない。選ばれて、当事者になった者でなければこの本当の意味なんてわかりっこないんだ。昨日までの里帆のように。

――最悪すぎる。あたし、まだ15歳だよ?

15歳。それはどっかの金庫にしまわれている金塊よりもきらきらと輝くものだった。小さな子のように無力じゃないし、大人のように疲れていない。なんでもできてなんにでもなれるものの代名詞。

 別に里帆は登校が待ちきれない程学校が好きなわけでも、ましてや勉強が好きなわけでもないけれど、「女子学生」という肩書は、愛してすらいた。

そう。本来なら、人を殺すか殺さないかで頭を悩ますヒマなど無い。
 本来なら、命の危険に、それこそ死ぬほどおびえるヒマなど無いのだ。

 やりたい事も、やるべき事も山のようにあった(何って聞かれたら、そりゃ困るくらい)。こんな筈じゃなかったのに。
 里帆は大きく溜息を吐く。憂いの美少女のポーズ。いつもはチャンスさえあればケータイかミラーを眺めているが、今その目は膝の上の巨大なスプレー缶に注がれている。
自分の支給武器はメモによると、催眠スプレーだった。

 人殺しをさせるには、意外な一本でない?むしろ、身を守るために使えという事だろうか。もしそうなら、里帆はほんの少しだけ(マジでほんの数ミリね)感謝したい気持だった。
 
この可憐なあたしが、何の罪もない友達を殺す?そんなの絶対、お断りだっての。

 里帆は自分の完璧な容姿を自覚していた。絶対の自信を持っていた。白い肌は、色素が薄いというより明るい健康的な肌色で、かえって柔らかさを際立たせて見えた。そのせいか、絵のように整った両目に、形よくのびた眉と鼻はむしろ人形のような完璧さなのに、ちっとも作り物じみて見えないのだった。
 
 家に帰れば、仕事に疲れきった両親が金欠だと嘆いてるし、おつむの方はせいぜい中の下。けれども、何も気にならなかった。あたしの笑顔は、その他大勢の女の子の笑顔とは一味違う。そう思えるだけで、十分。

 そのおかげで里帆には、恐れるものなど何もなかった。B組の中では男女やグループにかかわらず誰でも気さくに話しかけれるし、(もち、あの不良3人娘にもね。まぁうざがられて、軽く嫌がらせも受けたけど、全く大した事ない)逆にこれといった友達なんかいなくてもへっちゃらだった。里帆はB組の自由人を自負している。

 そんな里帆でも、外見以外にも人に大事なものがあることくらいは、理解していた。それを体現し、そしていなくなってしまったのが、北島智見だ。

 「ばかは、そっちでしょ」

 立ち上がって堂々と、人殺しなどしないといった彼女。その同じ部屋で、自由人のはずの自分は震えて見守ることしかできなかった。あの時の彼女は、自分よりずっと、きれいだった。なのに、死んでしまった。里帆は胸が痛んだ。

 そして情けなく、悔しかった。恐ろしさのせいで、あのぶさいくども(軍人ね)に食って掛かる勇気も持てなかった自分が。だからといって、今から取って返して「あたしも乗らないもんね、ばーか」と言い直す気もない。けれどこのどでかいスプレー缶を見て、決心がついた。
 
 絶対、人殺しなんかしない。

 そういう人が本当にいるのかわからないが、もし殺されそうになったら、全力で逃げればいい。極力誰にもみつからないようにするのだ。




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