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□序盤戦
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佐藤千夏(女子5番)はぼんやりとした表情で、寮だという建物の入り口からはき出された。決して小ぶりではない雨が、千夏とその肩に食い込むデイパック(やけに硬く重いので、半ば抱えるようにしていたが、それすら全く気にもとめなかった)を上から染め上げていく。

 夢にも思わなかった。自分がこんなものに巻き込まれるなんて。

それは千夏の周りの大人たちの話題にすぎなかった。あるいは、TVで流れるニュースのひとつ。当然、自分もそれに選ばれる確率があることは知っていた。だが、まるで自覚していなかった。

千夏はぼんやりしながら、あたりを見まわした。本当に大学なのだろうか。自分が今歩いているのは、伸び放題の草の道。欝蒼とした木が林立していて、どう見ても森とか山の中にしか見えなかった。

ところがすぐ前方に建物があるのが目についた。千夏が行きつけにしている大型ショッピングモール並に、広い。物々しい門が場違いにどかんと立っている。その門の入り口にたどりつくと、彫り看板を見つけた。「国立東亜農業大学」とある。

 千夏はそそり立つ建物を仰ぎ見る。無表情の巨人のよう。等間隔に並ぶいくつもの窓が鈍い色の空を反射している。その向こう、千夏の全く感知できないところから、誰かがこちらを見ている気がする。

 ― ―そう。奴は確かに、こちらを見ていた。

 軍人から荷物を受け取り部屋を出る瞬間、そいつは千夏の顔をしっかりと見た。見間違いだとしてもおかしくない、ほんの短い一瞬だ。しかし、見間違いではない。自分もしっかりと、目をそらさずに見ていたのだから。
 それから40分以上たった。何所にいてもおかしくなかった。今この時にでも物陰から飛び出して、銃で撃ってくるかもしれない。あるいは、刃物を向けて突っ込んでくるか。
 
千夏は身震いして、入り口から中へはいった。そしてふと、幼馴染の顔を思い浮かべる。幼稚園の頃に出会い、中学を出る間際になってもずっと一緒にいた彼。

 長谷川達也はA組だった。最後に達也に会ったのは、修学旅行出発直前。それが本当の最後になるかもしれなかったなんて思いもしなかった(というか、わかるわけない)。

 幼いころは、なんとも思ってなかった。二人の母親同士が親友で、他の子よりも一緒にいる機会が多かった。それがきっかけで仲良くなり、やがては親友と呼べるようになった。

 ほんの少し行動の遅い子だった。今に至っても、なかなか要領が悪い。それで片付けや、工作なんかを手伝ってあげると屈託のない笑顔でよろこんでくれた。
 小学校に上がって何年か、お互い同性の友達も増え離れることがあったが、やっぱり一緒にいた。あの時はずいぶんいろんな所を(ただ近隣の川辺や公園なんだけど、当時としては思いっきり冒険に相当した)遊びまわったっけ。

 そうしていつのころからか、達也は千夏の、大切な人になった。
本当に何がどうやってこんなに惚れてしまったのか、千夏は自分でも理解できない。でも事実は、てっとり早くいってしまえば、まぁそういうことなのだ。

中学三年になった今、千夏がよく知るあの頃の達也とは、ずいぶん感じが変わってしまった。髪は明るく染め上げて、耳には穴があいている。
それでも、あの人懐こいお日さまのような笑顔は健在だった。そうやって笑い、「よぉ、元気か」と一言いってくれると、つらくなるほど嬉しい。別の女子と楽しそうに話してるのを見ると、一日中それが頭から離れなくなる。
 
別の女子。

「なぁ、ちい。おれにも春が来たぞ。春」
そいつはそれまで、ただのクラスメイトだった。しかも、極力係り合わないタイプの。
「今付き合ってるやつがいるんだ」
「だれ・・・?」
達也は恥ずしそうに笑った。お日さまのように。残酷だった。

「みどり。おまえのクラスにいるだろ、真中みどり」

 どこか遠くで、物音がした。
 広い玄関ホールにまで、かすかだが伝わってきた音に、千夏は現実に引き戻された。夢中で左右を見渡し、手近のドアへ向かう。が、思い直してやめた。こんなすぐ近くのドア、誰が入っていてもおかしくないじゃないか。千夏は物音の反対方向へ続く廊下へと、小走りに入っていった。

 廊下は広く、タイル張りで、窓の外の景色や天井をぼんやりと一緒くたにして映し出している。今は曇天を映し出していて、まるで薄暗い病院のようだ。

 しっかりと閉じられたドアの内の一つ。たまたま目についたその部屋に、千夏はそっと入りこむ。棚が数台、椅子がたくさん、重なって敷き詰められるように並んでる。小さな部屋だった。人の気配は、全く無い。
 重ねられ、塔のようになっているパイプ椅子の間におさまって、千夏はずるずると崩れ落ちる。



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