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□最後の日常
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名取準(男子12番)はぼんやりと、窓に音をたててぶつかり続ける羽虫を眺めていた。いじらしいほど必死に前進しようとしているが、無情なガラスは1ミリも先へは行かせない。ぶぶぶ、とまぬけな音をたてて、そいつはせわしなく一点にいつづけるしかなかった。

窓の外はこぎれいな和風の中庭だ。小石がびっしり敷き詰められた地面。濃厚な緑の低い木。ピンクとも紫とも見える大きな花が、ぽつんと咲いている。
旅館のロビーにある休憩場だった。ぽつぽつと並ぶソファ(ふっかふかだ)の一つに腰を下ろし、何の時間かわからない謎の空白をやり過ごしていた。旅館、といえども、準はちっともくつろいでなどいない(いませんとも。ソファはふかふかだが)。バスでの長距離移動を終えた解放感はあるけど、自由なぶらり一人旅というわけではなかった。

修学旅行。普段ひとつの学校の、決められた教室でしか会わないクラスメイトと、まったく別の場所にいる。見慣れた顔ぶれに、いつもの制服。それはそれはどぎつい違和感だ。よくいえば、新鮮。悪く言えば、ちぐはぐ。

あたりは純粋な(なんて言い方も違う気がするけど)宿泊客以外、我らが三年B組の生徒しかいないようだった。A組の顔ぶれは見当たらない。(うちの学校は、3年が二組しかない。少子化、恐るべしだ)たぶんバスでも遅れてて、だからこんな無意味な待ち時間になっているのだろう。

「おおい、おまえらー」
おもむろに響いた声の方へ目をやると、委員長の藤岡圭太(男子15番)だった。常にシャンとした雰囲気をもつ委員長は、準を含むロビーにたむろしていた生徒に声をかけていた。
「B組は奥のお座敷に集合。荷物持ってきてくれー」
ようやっと次の行動の指示が来て、空白時間は終わりをつげた。

準から何席か離れたソファで持参のマンガを読んでいた和田礼司(男子20番)が、マンガに没頭しながら立ち上がった。そのまま荷物をかつぎ、ページをめくりながらすたすた歩く。まさかの二宮金次郎スタイル。
同時にロビーにおかれたテレビの前を占領してた飯塚空(男子1番)、鵜飼陽平(男子3番)、鎌城康介(男子6番)ものろのろ立ち上がっていた。「やっとか」「超ねみー」「つーか、ねた」と呟き、あくびをしながら奥へ向かう。先程からテレビの前で一言も会話がなかったのは、テレビに没頭していたわけではないようだ。旅行初日の大半が移動だから、無理もない話し。

この三人は、クラスの中ではおとなしいグループだ。準にとっては比較的とっつきやすい。空は一見して穏やかだが、運動神経バツグンの陸上部。陽平は少々なよなよして頼りないが、気のいいやつだ。無口な康介はB組名物、双子の片割れ「静かな方」だ。なぜか双子の両方が同じクラスにいた。大人の事情なのか、本人たちの希望だったのかはわからない。

準も立ちあがり、大きく伸びをする。そこで、動こうとしない二人組に目がとまった。
蒼白な顔で,盛大に顔をしかめてる椪田水透(女子12番)と、その背中を心配そうに小さく叩く能登谷紫苑(女子11番)がいた。そういえば、バスの中で具合を悪くした人がいたようだった。見たところ水透が、B組の酔いつぶれ大将のようだ。

一瞬どうしたものかと立ち尽くす。水透は朗らかだが、どこかきつい所のある子だった。別段親しくもない自分が大丈夫かと声をかけても、不毛なこと(「大丈夫そうに見えるわけ?」)になりそうだった。だが、さっさと先に行くのもどうだろう。でぐの棒のようにつっ立ってると、紫苑がふとこちらに気づいた。

「あ、名取くん。すみませんが私と水透遅れます。藤岡くんか先生に伝えてもらえますか?」

こんな時ですら平坦な声色は、育ちの良さゆえだろうか。確か紫苑の親は官僚かなにかだ。それはそうと、準は水透を見て、迷う。

「・・・来れるの?休んだ方が・・・」
「いーのっ・・・」

答えたのは水透だった。苦しげにしゃがれた声。かわいそう。

「様子とか・・・見に来られる方が嫌・・・ドッチか・・委員長に、よろしく・・・」

ドッチは担任のあだ名だ。別にドッチボールが得意なわけでない。戸市という苗字のもじりで、小柄な彼によく似合う。

紫苑が困ったように笑う。彼女のルックスはクラスで上位に入る。かわいいセレブだ。
「だそうです。お先にどうぞ」
少し後ろ髪をひかれたが、二人を見てうなづくと、準はやっと旅館の奥へむかった。

フロントの横をぬけると、広いお土産コーナーがある。呆れたことに、大勢のクラスメイトがお土産を物色していた。もうかよ。

キーホルダーの前の集団に目が行く。ご当地キューピーに黄色い声を上げている北島智見(女子3番)、高原乃慧(女子7番)、橋本亜美(女子13番)。そこまではいいのに、なぜかその中に豊永正和(男子11番)と矢部樹弘(男子19番)が混ざっている。かわいーっ。ソプラノとテノールの合唱。そして爆笑。



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