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□決戦 ―FINISH―
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ちぎれた断面から滴っているものが、皿のあちこちに飛び散っていた。凍りついて目も離せずにいる小夜の脳裏に、言葉が蘇る。
「戦いましょうよ。潔く」
弾かれたように立ち上がり、その勢いのまま後ずさった。椅子に足を引っ掛けてよろめくと、左の太腿から鋭い激痛が上がる。
ーどうしよう
夢でも嘘でもなかった。みんな、現実だ。
パンッという破裂音と、吹き出す赤い血。崩れ落ちる凪の身体。助けられなかった。もう、凪は、
「ごめん…なさい」
あの時、能登谷紫苑(女子11番)を撃つことができなかった。死なせるかもしれないー自分が人殺しになるかもしれないというのが、恐ろしかった。
そんな二の足を踏まなければ、凪は無事だったかもしれないのに。
殺してでも、紫苑を止めていれば…
でも、人殺しなんてそんなの
「できるわけ、ないじゃん、って……言ったよね…?」
親友の最期の言葉を、貫こうと思った。だけどそれは親友の為でもなんでもない。
自分が人殺しになるのが、怖いだけだった。
「ごめんね…凪……ごめん……智見」
どうして間違わなかったのに、正解じゃないんだろう。凪は死んだ。小夜が人殺しにならなかったばかりに。
後悔と恐怖がとめどなく巡る頭に、ぽん、と手が乗せられる。
「しょうがないねー、小夜は」
暖かい掌が、今はもうただの夢でしかない。この声もそうだ。
そんなことを信じたくないのに、涙が溢れてくる。
「どうすれば良かったの…?」
どんなに願っても、凪も乃慧も、圭太も隆宏も、クラスメイトたちもみんな、帰ってきてはくれないのだ。もう、間違いたくない。
智見の掌が優しくあやすように、繰り返し頭を叩いた。その動作や上から降りてくる気配で、彼女には小夜の求める答えが、何もかもわかっているのだと悟った。
思えばかつてもそうだ。ややこしい数学の公式に、漢字の読みだの、熟語の綴りだの。小夜がウンウン頭をひねっていると、智見はハキハキと教えてくれる。
「簡単だよ、小夜。あのねー」
次の瞬間。小夜は膝の上に組んだ両腕から、ゆっくり顔を離した。
さっ、と視界に明確な光がなだれ込む。夢の余韻が、急速に遠のいていった。
「…………大丈夫…?」
右側から優也の掠れた声がした。小夜は余韻を断ち切って、その心配気な声色へ応える。「うん。…優也は」
ずっと伏せて黙り込んでいたからか、それとも他の理由かで、小夜の声もかなりひしゃげたものになった。
それに「ああ。」とだけ言って、彼は自分の膝へ視線を落とした。
凪を殺害した後、突如いなくなった紫苑。彼女のもとから逃げるようにやってきたのは、会場北に広がる畑だった。優也と樹弘の三人で、凪の亡骸を抱えて走った。
そして一番に音を上げた小夜がその場にうずくまると、もう一同はそこから一歩も動かずにいた。畑地のどことも取れない地点に座り込んで、そのままだ。
深い眠りについた心地だったがどうやら、せいぜい5・6分しか経っていないみたいだった。昼の12時をとっくに過ぎたこの時間、普通の学校では昼休みを迎えている頃だろう。
小夜は更に首を上げて、正面へ目を戻した。そこに横たわる小柄な亡骸に、畳んだシートが被せられているのを見て少し驚く。さっきまで、なかった。
「……樹弘が拾ってきた」
小夜の様子を察した優也が、聞かれる前にそう教えてくれた。
土埃だらけのシートからは上を向いた靴先だけが覗けている。その小さな両足のすぐ隣に座り込んで、樹弘は亡骸を見つめていた。
そんな二人を視界に入れたまま、小夜は優也へもう一度口を開いた。
「ねぇ」
「…ん?」
「凪と………最後に何か、話してたよね…」
聞いてもいい?とたずねると、右側からは暫く沈黙しか返らなかった。
あの時、二の足を踏んだ自分と違い、優也は紫苑に引き金を引いた。
勿論、牽制するためだ。最初にマシンガンの銃口を向け、紫苑への無力化を訴えたのは自分だった。彼はまるっきり、それを引き継ぐ形で撃ったのだ。
「ひょっとして、…凪は、止めようとしたの…?」
「………そう」
優也は機械のように、ぎこちなく頷いて続ける。「俺は……俺は、殺すつもり…だった」
小夜は堪らなくなって、口を引き結ぶ。
「でも、止めてくれて………。手を引かれてさ、外れたんだ、弾が」
「………ごめん…」
やっぱり、間違っていた。
躊躇わずに撃たないといけなかったんだ。人を殺めるのはいけないことで、怖くても、あの時は私がやらないとダメだったのだ。
「本当に、…ごめんね………」
さもないと、それ以上に恐ろしい事態になってしまう。こんな風に。
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