OBR

□終盤戦
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それを聞くと真紀は、目の前にいるのが冷たい「死」などではなく、うろたえたちっぽけなクラスメイトでしかないことに気がついた。それが拳銃を持っているだけなのだ。

その途端、圧倒的な恐怖の中に、ふつふつと別の感情が割り込んでくる。同情とか、怒りとか、安堵のようなものだった。それが震えて強張る口を無理やり動かした。

「な…んでも、何も…そうやって、撃ってくるから…!だから、隠れて当たり前じゃない!」
「俺が…銃持ってるって、分かってたのかよ?」
「知らない…誰のことも、なんにも知らないよ…。だから怖くて、隠れたんじゃんって話…!」
「んなこと言って…影から狙い撃ちするつもりだったんじゃねーのかよ!」

そう吐き捨てる亮の片腕。学制服の袖が黒地とは別の色で汚れているのに、真紀は気がついた。さっきからあまり動いていない事も。

「しないよ!そんなの持ってないし!できないし、したくないし!だからっ、撃つのはやめて」

傷を負って、気が立っているのだろう。声もかけずに問答無用で撃ってきた所からしても、余裕を失っているのが一目で分かる。
でも、そんないきり立ったり、攻撃する必要なんか無い。自分は一刻も早くここを離れたいだけなのだから。それが伝われば、落ち着いて武器を降ろすに違いない。

しかし、真紀の見当は大きくはずれていた。

「そんなのいちいち聞いてたら、こっちが撃たれんだよ!」

鼓膜を突き破るような轟音が再び響き、真紀は「ひっ」と身を竦ませた。ローファーの爪先から少し離れた床に、穴と土埃が生まれる。亮が叫んだ。

「なに考えてるかなんて、分かったもんじゃない……どっちにせよみんな死ななきゃ、生き残れないんだ!」

どん。音と同時に強い衝撃が真紀の下腹を襲った。恐怖からではなく、ただその強烈な反動で悲鳴が出る。それはすぐに度し難いほどの激痛になった。

体をよじり、床に額を押し付けながら頭に浮かんだのは、何の関連もない昔の思い出だった。

真紀の無意識が、耐え難い現実から目を背けようとしたのか。あるいは今この時だから、突如脳裏に現れたのかもしれなかった。


地下鉄だった。椎名さんと二人、兄がトイレか何かから戻るのを待っている時の、何ということのない会話だ。今の今まで、あまり思い出さなかったほど。

「おんなじ顔つきだなぁ…」

椎名さんはそう独り言のようにこぼした。前後左右に伸びる、地下鉄の通路。そこを思い思いの方角へ進んでいく人たち。それらを眺めている。

「どいつもこいつも、同じ場所目指して歩いてるんじゃないかって思えるな」
「そうかな…。そんな事ないと思いますけど」

あまり深く考えずに、真紀はそう返した。道行く人は、付き添いと楽しそうにお喋りしているのもいれば、一生懸命電話で話している人もいる。行き先だっててんでバラバラだ。まぁ確かに、むっつりした無表情を崩さず黙々と歩く者がほとんどだが。

「そんな事無いのは、わかってんだけどさ」
椎名さんは、やる気の無いような笑顔で言った。
「たまーに、思うだけだよ。人間ってあきれるほど、動物にはない本能で生きてるよなぁって」
「人ごみ、嫌いですか?」
「いや。好きだよ」
「変わってますねー」
「落ち着かないけど落ち着くだろ……何だろな。人間にしかない本能だな、きっと」

真紀は人ごみが嫌いだった。少しイラッとしながら、年中気だるそうな男に食って掛かった。

「それじゃ、わたし人間じゃないんですか……」
「あ…、そういうことになっちまうな…」


きつく握った手のひらに、温かなものが触れた。自分の血だ。
痛みのあまり下腹に添えた手は、地肌の色がどこにもない。赤一色に染まっていた。怪我ではすまない傷を負ったのが、嫌でも理解できた。

「うぅぅ…うぐ……ううっ」

痛い。このまま気絶して、痛みから逃れたかった。だが他にやり場の無い激痛は真紀の腹を焼き尽くすように苛んだ。

やっぱり、自分は動物だ。真紀は静かにそう思った。
あの人の言う、人間の本能を自分はついに持てなかった。自分の足取りで、迷わずしっかり地下鉄を進むような。




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