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□終盤戦
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「キミだって、いつもいつも現実逃避している訳じゃないんでしょう?」

一年前。彼女のそんな言葉に、自分は返事ができなかった。その頃の自分は、現実逃避しかしていなかったのだ。

自分ではなく、自分の成績にしか関心の持たない両親。その両親による自分への勉強びいきを僻む妹。小さい頃は妹とは仲が良かったが、今では「どうして長男ってだけで、こんなやる気のない人にぜんぶ譲らなきゃいけないの!?」と、事あるごとに恨まれた。

あの家で唯一、「勉強が嫌い」だという拓郎は異端だった。居場所の無い家庭という、現実が嫌だった。

「戻らなきゃ。やっぱ現実って、逃げれるもんじゃないよね」

しかし、彼女はそう断言した。颯爽と己の「現実」へ戻っていくその背中に、自分はむずがゆさというか、イラつきというか、悔しさを覚えた。

眩しい、とまではいかなくても、羨望じみた思いを抱いた。会話をすれば、一番よく実感する。彼女と自分は、考え方とか、見ている所がいちいち違うのだ。

「私たちって、波長が合わないわね」

よくそう言われた。自分も頻繁にそう思った。ほかの友人やクラスメイトたちには通じる言葉回しや意見が、彼女にはちっとも伝わらずに微妙な反応をされる。そんな事が多々あって、寂しく感じたりもする。

けど、ごくたまに合う時があるのだ。
彼女の言う「波長」が、ぴったりと。きっと、彼女だってそれを知っているはずだ。



「奈緒!」

突然くるりと背を向け走り去っていこうとする秋山奈緒(女子1番)に、星山拓郎(男子16番)は焦燥の声を上げた。

横たわる堀川やよい(女子14番)の亡骸が、今しがた怒涛のように起こった出来事を如実に突きつけてきた。涙を浮かべているその死に顔に拓郎は後ろ髪を引かれた。しかし、恋人が何も持たずたった一人で行ってしまったことに気がつき、後を追って走り出す。

拓郎の目にも、やよいが普通の状態でない事くらいは判断できた。

しかし相手は、ただ一人の非力な女の子だ。落ち着いた思考の人間が二人がかりで、どうにもならない訳ではないと思った。なだめれば、普通に話ができたかもしれない。正気を取り戻したかもしれないと。
その考えが、警戒心のピークを喫した奈緒を逆上させてしまった。

―あんたが使わせてんでしょ!あんたがッ、今にも刺されそうだってのに、ちっとも気づかないで…!

奈緒に、人を殺させてしまった。
そのことが、彼女に武器を向けられたという事態よりもずっと拓郎を打ちのめした。

やよいのあまりの変わりように気をとられ、奈緒の心情がどうなっているかを考える余裕が持てなかった。少しの危険にも妥協できない、思い込んだら頑なな彼女の事だ。さぞ自分の行動に焦りを抱いただろう。

今さら気づいたって遅い。拓郎は走りながら、歯噛みをする。やよいを撃ったのは彼女だ。どう考えてもその場で一番動揺したのは奈緒の方なのに、拓郎がかけた言葉は、その場の感情に任せた非難だけ。そりゃ、武器も向けたくなるってもんだ…。奈緒を責める資格なんか、拓郎には無かった。

―謝んないと。

ヘッドスライディングで頭を禿げ上がらせるほどの土下座をしても、許されるものではないかもしれない。それでも言わなければ。
走り去る直前に見せた、奈緒の表情が目に浮かぶ。あれはまた、頑なに何かを思い込んで自分を責めている時の顔だ。しかも、恐ろしく重症だ。

その時、拓郎の耳に突然「ピッ、ピッ、」という奇妙な電子音が届いた。




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