OBR

□中盤戦
59ページ/74ページ










25





真っ暗な廊下を一人歩きながら、鵜飼陽平(男子3番)は、昔見た一匹のトンボの事を思い出していた。

梶原亮(男子5番)を持っていた拳銃で負傷させてから今に至るまで歩き通しで、疲れきっている。とにかく元いたビニールハウスの場所から離れたい一心で、気がついたら建物の中に出戻っていた。休みも取らずにいたせいか、あまりにクタクタだった。

それで頭がおかしくなって、全然関係ないトンボのことなんて思い出しているのかもしれない。


そのトンボは何年も前、遊園地に遊びにいった時に見たヤツだった。
遊園地の中でも大トリのジェットコースターに、陽平はくり返し飽きもせず乗りまくっていた。(それほど特別なジェットコースターというわけではないが、まだ小学生だった自分には十分楽しめた)豪快な音や身をきる風や、独特の浮遊感に夢中になって、わくわくと昇っていくレールを見つめていた。
最上地点を昇りきり、もう何回目になるかも分からない急降下を迎えようとしたその時、レールの上にトンボがひらりと止まった。ほんの数センチ前だった。

あっと思った刹那、自分をのせた乗り物は、その上を無慈悲に駆け降りて行った。

ジェットコースターは相変わらずの速さでレールを滑る。休みなくあがる他の乗客の叫び声。内臓がふわっと浮かぶ感覚。やみつきになった筈のそれらが過ぎていく間、陽平はずっとトンボの止まった地点のレールを振り返っていた。勿論遠すぎて、何も見えないのだけども。

たぶん何も分からないままあっという間に轢かれたんだろう。それとも案外、うまいこと飛び去っていただ
ろうか。ハエとか蚊だって、しとめたと思ったら何事もなく飛んでたりするものだし。


それでジェットコースターが嫌いになったという事はない。今の今まで、憐れなぺしゃんこトンボを思い出したりもしなかった。ずっと昔の、なんということのない記憶だ。
けれど、自分でも驚くほどちゃんと覚えていた。トンボの透明な羽根とか、レールにとまった瞬間ののんびりした動作とか。

やたら後味が悪かったあの時の気分を思い出して、そうかと合点した。今なんて最高に後味の悪い思いをしているものだから、そんな事を思い出したりしたのか、自分は。

「へくしっ!」

予期しないほど近くでくしゃみが聞こえた。誰かいる、すぐそこに。陽平は石像のように硬直して止まった。

「しっ黙れ」
「え〜今のは無理だよ。っていうか、ちゃんと抑えたよ?」
「うるさい黙れ」

さらにヒソヒソ声の会話が筒抜けに聞こえる。陽平はその姿の見えない人物が二人いて、どちらも女子だという事を知った。

引き返そうか。いや、たぶん二人はこっちに気づいてない。このまま通り過ぎようか。
しかし陽平は足を止めたまま、しばし迷っていた。彼はいま自分が会場の何処にいるのかも把握していなかった。(ついさっき物騒な銃声が響いていた。あまりここから離れていない気がする)夕方の放送で流れてた禁止エリアを書きとめ損ねてもいた。かくなる上は、誰かに聞いて確認するしかない。実際、文字通りの死活問題なのだから、別にここで「鵜飼だけど」と名乗って聞きだしてもいいのだろう。場合によっては脅してでも……だがもう、誰とも関わりたくなかった。

もうここはいつもの学校なんかじゃなく、みんなは普通のクラスメイトでもない。殺したり銃で撃ったりし合う者同士なのだ。うかうか話しかけて、また同じような目に合ったら…それどころか今度こそ、こっちがやられるかもしれない。

「だっ誰!?そこ誰か立ってる!」

金切り声に飛び上がった。迷ってもたついたのが仇になったようだ。大慌てで離れようとする陽平の前方。十字路になっている廊下の一角から、二つの顔が現われた。

「なに、覗き?」
「ナンだ、てめぇ」

上ずった場違いな声と、低くどすの利いた声。暗い中で目を凝らすと、その二人は三好里帆(女子18番)と土屋直実(女子9番)だとわかった。思いもよらない組み合わせだ。

「いやっ、覗きじゃな…」

陽平は言ってる途中で喉を強張らせた。直実の手に握り締められてる拳銃がこちらを向いている。圧力のある刺す様な目つきで、彼女はこちらを睨んでいた。
陽平は思わず一番手近な部屋の入口に身を隠す。自分の銃を懐から取り出した。

「の、覗きじゃないし…別になんでもないんだ!ちょっと通りかかっただけで」
「だったら何ビクついてんだよ!男のくせに」
「誰だってそんなの向けられたら、フツーじゃいられないだろ…!」

ムッとして直実を睨むと、睨み返してくる目つきの迫力が膨れ上がった。めっちゃ恐い。それに気圧され、しおしおと反発心がすぼまっていく。

「用がねぇなら消え失せろ」
「その前にそれ降ろせ…てください」
「お前が先だ、このハゲ」
「わかった、キミ。鵜飼君でしょ?」

そう場違いな言葉を挟んできたのは里帆だった。



.

次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ