OBR

□中盤戦
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飯塚空(男子1番)は心底困り果てて、階段を上っていた。特に当てがあるわけでなく、何となく足が赴くままだった。どこが一番安全か、何をすれば良いのか。それを考える余裕は失われつつあった。
今は何よりも、目下のところある、厄介なこの状況をどうにかしたかった。

かれこれ三時間以上、美島恵(女子16番)が自分の後ろをずっとついて来ている。

その場の流れで尾方朝子(女子2番)から全力逃避した後、恵はてんかん患者のようにぜぇぜぇガクガクと震えきっていた。目に見えたショック状態で、同情した空はしばらく手を繋いだままでいた。
ところが、息が治まってもショックからは抜け出せないでいるのか、彼女はいつまで経っても手を放そうとしなかった。呆けたようにじっと無言で、空について来た。最初こそ少し恵のことが心配だったが、さすがにもう、不安一色だ。

園部と頼春が死んだと言う放送は、頭に重いしこりを残した。二人を最後に見た時を思い出そうとしても、できなかった。浮かぶのは、いつもの教室での姿。プログラム宣告を受けたあそこでは無く、狛楠中の教室での二人ばかり。その二人が殺されたという。
そんな放送で恐怖が膨らむ一方だというのに、恵が怖くないわけがなかった。物も言わず、何を考えているのかもわからない相手にずっと手を握られているのは、恐ろしかった。もっとも、地図にチェックを入れるため何とか放してもらい、それ以降手が自由になったけど。今に至るまで分かれる気配はなく、ぴったりついてくる。

恵は錯乱した朝子がナイフを振り回してきた時、身体を張って足止めしてくれた。だからなのか、朝子から逃げる時に転倒して動かないでいるのを見た時はとっさに連れ起こしていた。あれが間違いだったのだろうか。

いや。あのまま見捨てていたら、どうなっていたかわからない。空は朝子のヒステリックな叫び声を思い出して戦慄した。朝子は普段から怖いクラスメイトではあったが、あの時ほど本気で恐怖を覚えた事はなかった。彼女のナイフでずたずたにされた荷物カバンは(しかも支給された方でなく、空の私物の方だった。中身は半分以上無くなっていた)、今も無残な状態で肩にぶら下がっている。

でも恵だって、今やその朝子と同じではないだろうか。空はだんだんそう思いつつあった。
恵の見開かれた目は恐怖で一杯で、人の気持ちを読み取る能力に欠けた空ですらそれがわかった。彼女は怖さのあまり、自分が何をしているかもわかっていないのかもしれない。何か一つでも今と違うアクションを起せば、彼女も朝子のように錯乱しだすのではないか。奇声を発して暴れだすのではないか。

―だけど、いつまでもこうしてる訳にはいかない。

あれからもう三時間。このままずっと、親しくも無いクラスの女子とい続けるのは、危険でしかないように思えた。
相変わらず恵の様子は恐怖しか窺えないけれど、心中お察しのスキルが乏しい自分でなくとも、今の恵が何を考えているのかわからないと思う。ひょっとしたら、表面上の様子はただのカモフラージュかもしれない。恐怖などとっくに通り越していて、隙をついて空を殺す気なのかも。

今の彼女からは、そんな気配は欠片も見出せない。しかしそうだとして、後々どうなるだろう。一寸先すら見えない極限状態で、だんだん殺人者になる決意を固めるかもしれない。取り返しのつかない事になる前に、ここでいち早く決別すべきだった。

何よりも、こんな風に人を疑い、絶えず怯え続けなければいけないのが嫌でしょうがなかった。
こんな状況じゃなきゃ、むしろ喜んで一緒にいたかもしれないのに。女の子と手を繋いで走ったり、何時間も一緒に歩いたり。運動会のサンバでもなきゃそんな機会はめったにない。まさかのプログラム内でこれだ。くそ。1ミリも嬉しくない。

階段を登りきって廊下に出る。構造は階下部分と変わらないようで、瓜二つな光景がひろがっていた。タイル張りの廊下と幾つものドア。窓の向こうには中庭のほんの一部と、北東校舎が確認できた。つい先程、初めて聞くような轟音がしたのは、たぶんあの校舎じゃないだろうか。

空がその北東校舎を眺めて立ち止まると、すぐ後ろの恵それに合わせて止まった。目線はちょうど陸上部ウインドブレーカーの背中に入った「HAKUNAN」のロゴ部分に当てられている。けれど今彼女は、何処も見ておらず何も認識していないんじゃないかと思えた。

やはりこのままでは、埒が明かない。以前として恐ろしかったが、ここへ来てやっと意を決した空は恵に向き直った。



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