OBR

□中盤戦
1ページ/74ページ









11





 持ち合わせのTシャツでぐるぐる巻きにした右腕は、何とか止血できているようだった。数分前にはすっかり血もおさまっている。勿論、吐き気のするような痛みは健在だが。

 名取準(男子12番)はぼんやりと教室の片隅に座り込んでいた。ずんぐりした作業机が並び、黒板が壁の一方を占めている。ごく普通なその教室は北西校舎に位置する。能登谷紫苑(女子11番)から猛ダッシュで逃走した後、結局誰とも会う羽目にはならず、ここまで来れた。血の跡なんかも、ここまでには残していないはずだった。

 準は、紫苑と園辺優紀(女子6番)を殺した人間の事を考えていた。少なくとも二人、自分の命のためにクラスメイトを手にかける気のやつがいる。

 プログラムのルールを考えれば、そういうのが出てくるのは時間の問題かもしれなかった。負ければ、残念賞で終わらない。殺さなければ、死ぬしかないのだ。
 もはや誰も、信用するべきではないだろう。というか、ドクドクと痛む腕を抱えた今、信用なんかできない。あのお嬢様が、ガンアクションをこなされたのだ。持ち前の人間不信に拍車がかかる。おかげさんで。

 となると紫苑は、あるいは優紀を殺した誰かは、あるいはその他の人間は、出会った人に片っ端から襲い掛かるのだろうか。刃物を振り、銃を撃つのだろうか。自分は今は、怪我ですんだ。
 けれど―

 プログラム宣告を受けた教室での事を思い出す。出発直前の2分間、その子はじっと、クラスメイトの事を見つめていた。準とも目が合った。短くとも、しっかり。
 涙を目にたたえて怯えきってたあの表情を、きっと自分は一生忘れないと思う。

―もし今この瞬間に、横森真紀(女子20番)が襲われていたら。

 準はTシャツの上から右腕を握った。頭の中で、かつて聞いたピアノの音がする。

 そのピアノを聞くまで、真紀はただのクラスメイトの一人だった。親しくもせず薄っぺらなつながりを持つだけの。きっかけがなければ、話しすらしない部類の女子だ。それは今もそうだけど。


 珍しくさっさと帰らなかった、ある日の放課後。
 たまたま通りかかった音楽室で、きれいなバラード調の曲が聞こえてきた。時々微かにつっかえたりするので、誰かがピアノを弾いているのだとわかった。

 準は思わず足を止めていた。本当にきれいなメロディーだった。太陽が沈む前の、紺色の空のような、しんとしたどこか寂しげな曲だ。(詩人じゃね?おれ。あえて恥ずかしげもなく言うけど)

 隙間の開いたドアから音は漏れていた。準は気づかれませんように、とガンかけしながら、それでもそっとドアを開けた。

 ピアノは部屋の奥にあって、しかも演奏者はちょうどむこうを向く位置だったので、気づかれることはなかった。ベージュのカーディガンを羽織ったセーラー姿が、一人きり。

 準は今でも音楽に疎いし、そんなに興味も無い。物々しく顔をしかめ、体をくねらせて演奏するミュージシャンは、正直見ていて冷めるくらい。
 でもそのときの真紀の様子は、ずぶの素人の自分にも、際立ってみえた。ピアノの上手い下手など、準には分からない。ただ技術がどうというわけではない。ひたすら一心不乱に弾いているのが、その背中だけで伝わってくるのだ。

 高い金を払って生演奏を聞きにいく人の気持ちがわからない、という持論が砕かれた瞬間だった。CDじゃなく生演奏だから、伝わる何かもあるのだ。なんかよく知らないけど。

 なんかよくわからないけど、心の底から、聞惚れていた。

 やがて曲が終わり、しんとする音楽室。余韻が残る中で、準は思わず呟いた。

「・・・いい曲だな」

 すると、やはり視聴者がいたことに気づかなかったのだろう。真紀は驚いて振り向き、ぱっとピアノから離れた。顔が一瞬で赤くなっている。

「聞いてたんだ・・・うわ、恥ず・・・」

「ごめん、なんかおどかして・・・なんて曲?」

 真紀は顔を赤くしたまま、困ったように口ごもった。何故かはばかるような様子で、答えない。黙って後ろで立ち聞きされ、内心怒っているのかもしれない。まずい。

「あ、えっと・・・別にいいや。すごくいい曲だったから気になって。悪かった」

 慌てて謝った。基本的に、誰かに何かを強要したり催促するのは反感を買うのだと、何となく学んでいた。なのでここ最近は一切、周りにしたことはなかった。
 しかし真紀ははにかんで、少し緊張を解いて見せた。

「本当?やった。私も好きなんだ。「エブリブレスユーテイク」って曲だよ」

 真紀はこちらを窺うようにしながら、その聞きなれない題名を教えた。準はそれで気がついた。
 恐らくそれは、教師にばれれば問答無用で内申にダメージがくる類の音楽なのだ。アメリカを「米帝」と呼び敵視するこの国では、このきれいな曲は「退廃」に属するのだろう。




次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ