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□序盤戦
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母沢とかいう女は、頬をほんのり染めて「お父さんたら、もう」みたいなことを呟いた。やれやれ、という顔で黙っている若い男女は、どう見ても二人と血が繋がっているとは思えない。

でも、かなりどうでもよかった。
 全くもって意味のわからないこの男は今、担任といわなかっただろうか。そう言われて思い浮かぶ顔は、智見には戸市先生だけだ。他のみんなも、そのはず。
 
「あの・・・」
 智見の右前方から男子が声を上げている。声色と、その位置からして圭太だとわかった。
 「俺たちは修学旅行の最中で・・・こういう事はいっさい、聞かされてないんだ・・・・ですが」少しためらい、語尾にかろうじて敬語を入れたのがわかった。「どういう事ですか?戸市先生は、何所にいるんですか?」
 「うん、うんうん!いいねいいね!いい質問だ。君はええと、委員長の藤岡だね」
 名前を呼ばれ、圭太の背中がこわばった。そんな様子に構わず、父屋は、ぱん、手を打ってから大きく広げる。クラス中に向けて満面の笑みを浮かべた。喜びのジェスチャー。

 「どういう事かというと!やれ、おめでたや!みんなは、今年のプログラム対象クラスに選ばれたんでーす!」
 
 凝り固まったかのような沈黙。クラスの誰もが、呼吸も忘れて絶句していた。担任教師があげる、気の抜けた一人分の拍手が、ぱらぱらぱらとそこに流れている。

 戦闘実験第六十八番プログラム。
 この国の中学生が、最も聞きたくない言葉だ。それに選ばれるのは、ごまんとある中学三年生の、ほんの数クラス。でもその一握りに選ばれれば、この世の地獄が待っている。
 「みんなプログラムは当然知っているよな。なぁっ。これからみんなには、殺し合いをしてもらうぞ。ここにいるクラス、自分以外のみーんなを、殺って殺って殺りまくっちゃうんだぞ!」
 うそ。どこからともなく、誰かがそうつぶやくのが聞こえた。
 「ところがどっこい、本当でーす。えーとですね。前担任の戸市先生は、相当渋っていたけど、結局は承諾してくれましたぁ。流加、ホラ、持ってきて持ってきて」

 流加と呼ばれた男は(軍人だ。きっと)いつの間にかいなくなり、いつの間にか何やら寝袋のようなものを重たげに引きずって戻ってきた。中に、何か、入っている。
 嫌な予感がして、そこで初めて、智見はどっとあふれ出る恐怖を感じた。見守る中、流加は寝袋のジッパーを半分下げ、それを床へ放り投げた。

 父屋がしゃべりだした。
 「戸市先生は『いなくなる』直前には、ちゃんとみんなが奮闘するのを受け入れてくれました。わかりました、わかりました、承知するから許して下さいって、何度もね」
 寝袋のすぐそばの席についてる生徒が数人、絶叫してその場から飛び退いていた。父屋の言葉はそれにかき消され、ほとんど聞き取れなかった。
 「まぁ、撃っちゃったんだけどさ」
  
 智見は、そこだけ空気が異質になっている、寝袋のあたりに目を向けた。その景色は、無情な正確さで智見の視野にひろがった。思わず自分も、悲鳴を上げていた。
 机やクラスメイトの脚から見えたそれは人の顔だったが、もはや顔と呼べるものではなかった。なのにそれだと判ったのは、鼻の頭から下だけが残っていたからだ。瞼は千切れてめくりあがり真っ赤な球体がほぼむき出しになっている。額から頭にかけては、ごっそりとめちゃくちゃに消し飛んで、血まみれのそれらをさらに覆うようにして、灰褐色のぶよっとした塊が滴っていた。ぽっかりと開かれた大きな口だけが、唯一原型を残しており、その唇や歯もてらてらと血塗られ光ていた。
どす黒く変色した血液は、さぁっと逃げ出すように勢いよく流れ出ている。床に広がりゆくその様をぼうっと眺めながら、強烈な臭いが鼻をつくのを感じた。
 
 ―-先生?

 それは産まれて初めて見る、死体、だった。しかも智見は、その特徴的なマルコメ頭が、元の大きさの半分しかないことを知っていた。今は叫びの形で固まっている口が、大きく歯切れよく笑った所を何度も見てきた。

 その死体のすぐ前に座っていた紺野美香(女子4番)は飛び上がり、転がりこむように離れて二つ後ろの美島恵(女子16番)にすがりついた。自分の腕に顔をうずめて泣き出した美香に負けず劣らず、恵もがたがた震えていた。美香の隣の席にいた和田礼司(男子20番)は、微動だにせず「肉塊」を見ていたが、何の前触れもなく苦しげな声と共に吐いた。

 「うんうん。これぞ、大東亜少年少女の明日を担う教師の鑑!もーね、同じ教員として感銘を受けちゃったよ。ほんのちょびっとしか話ししてないけど」


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