《心月》


□一章 三 蠱毒の器
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波乱の一夜は、夜明けと共に沈静化すると新選組幹部達は思っていたが、現実は治まるどころか益々混迷を深める気配を見せている。


「厄介な事になったもんだ」


昨夜『保護』した二人の尋問を終え、土方は眉間の皺を指で揉みほぐしながらぼそりとこぼした。


「まさか、綱道氏のご息女だったとは」


「だがそいつは手札としては悪くねえ。寧ろ、扱いが分からねえ分もう一人の方が厄介だろうよ。山南さん」


土方は、山南があえて避けた「もう一人」を指摘する。


脳裏に浮かぶのは、左半分を肩位の長さに切られた錆鼠(さびねず)の髪を振り乱し、取り押さえられながらも瞳に暗い憎悪の炎を宿した子供の姿。


雪村千鶴とは初対面だと言いながら彼女の解放を願い、それが叶わぬと悟るや土方達の非道を詰って暴れ出したのだ。


斎藤が子供を押さえ込み、原田が雪村を別室に移動させたのはとっさの判断にしてはいいものだったろう。


『あのような化け物を放し飼いにするあなた方に罪が無いとでも?』


『血肉を喰らう化け物の贄にする為に、わたしたちを捕らえたのですか』


『自分達の罪を他者になすりつけ、その命を奪う事を良しとするのであれば、初枝さんのようにわたしを殺せばいい』


呪言とも思える言葉の数々を雪村千鶴に聞かせずに済んだのは、彼女の精神と命を救う事になった。


そして、土方が「初枝という人物は此処に在籍したことはなく、そもそも女中を雇った事が無い」と説明すると「嘘だ」と言って、更に身を捩って抵抗しながら叫んだのだ。


『化け物に喰い殺させたのを見た』


その言葉に幹部全員が凍りついた。


それが真実ならば、新選組以外の何者かが変若水をもって羅刹を造り出していることになる。


最悪な事に、十分な心当たりもあった。


変若水を持って失踪した雪村綱道。彼が関われば、羅刹を造り出す事は容易い。


綱道の手掛かりを求め、幹部等が方向性を変えて訊問を始めると、そこで子供は漸く自分が思い違いをしていた事に気付いたようだった。


一気に虚脱した様子になったかと思うと、がっくりとうなだれて気を失ってしまったのだ。


「さて、どうしたもんか」


「意識が回復したら、お話して貰った方がいいでしょう。今度は冷静に」


「……あの子も女子だったのだろう。二人とも、何とかならんだろうか」


近藤が沈痛な面持ちでぽつりと零した。


『何とか』というのは、助けてやりたい。解放してやる事は出来ずとも、女として不自由無い環境に置いてやることは出来ないだろうかという事だろう。


「近藤さん、あんたの言いてぇ事は分かってるさ。だが、此処からそう簡単に出してやるのは無理だ」


「そう、だろうなぁ。しかし、二人とも女子の身で、片方は小さい子供なのが余計に可哀想に思えてならん」


行方知れずの父親を探す為に江戸から独りでやってきた雪村千鶴。


尼僧の墨染を纏い、裸足で何処からか逃げ出して来たらしい少女。


近藤は、この無辜の命を奪う事を良しとはしないだろう。


男所帯に保護とは名ばかりの、不自由な軟禁をすることも不本意そうだ。


「他に任せれば一件の不始末が幕府の関係者に漏れるかも知れねぇ」


「そうなれば、新選組の存在が危うくなるでしょうね。悩ましいことです」


お人好しの近藤は、土方と山南に厳しい現実を突きつけられて深く嘆息した。


「仕方がないか……。だが、」


幹部の中でも数少ない妻帯者である彼には、彼女達の姿は江戸に置いてきた妻子の姿に重なるのだろう。


「副長」


「斎藤、山崎」


言いよどむ近藤を宥めようと土方が口を開きかけたとき、子供を部屋へ置いてきた二人が広間に入って来た。


「様子はどうだ」


「今のところよく眠っています……それから、身元を示す物は何も所持していませんでした」


「手掛かりは無し、か」


土方は腕を組み、小さく溜め息をつく。判断材料となる情報が無いというのはあまり良い事ではない。
















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