《心月》


□一章 二・残照に赤く
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一章・二 残照に赤く





「可哀相に。こんな可愛らしいお嬢さんに傷をつけるなんて、酷いことを」


誰とも知れない加害者の非道を責めながら、初枝は少女の首に薬を塗り包帯を巻いてゆく。


五日ほど前、意識の無い状態で運び込まれた当初はすぐに儚くなってしまうと思われたが、二日目には目を覚まし、今では充血した目も治って声も出るまでに回復している。


細く白い首を赤黒い蛇のように一周する内出血の跡と、抵抗した際についた縦に走る幾筋ものひっかき傷が残っているが、経過は順調だ。


年の頃は十歳だろう、見目の良い顔はまだあどけない。


病的なまでに青白い肌、綺麗な手、桜貝のような爪を見て、初枝は彼女を「名家のお嬢様」だと思い込んでお嬢様とかお嬢さんと呼んでいる。


尼僧の墨染を纏いながら長い髪のままでいるのも初枝の想像力をかき立てたが、故郷の話どころか名前を尋ねても困った様子を見せるだけだったので、これは相当の訳ありだと判断して以後詮索を控えた。


「私みたいな女中じゃなくて、お医者様に診て貰った方がいいと思うんですけどねぇ。旦那様が此方には呼べないって言うんですよ。ごめんなさいね」


「いいえ、初枝さん。お気遣いありがとうございます」


最初の頃、治療の為に首元に触れる手に怯えて身を堅くしていたのが何とも痛ましい様子だったが、少しずつ初枝に慣れてきている。


安心させる為に身内の方を呼んであげた方がいいのだろうが、女中の初枝が出来る事は身の回りの世話をする事だけだ。


「隣の部屋におりますので、何かあったときはお呼び下さいね」


「はい、ありがとうございます」


薬や汚れた包帯を片付けて布団に寝かせながら声をかけると、少女は可愛らしく微笑んだ。







薬箱を抱えた初枝は、障子の閉まった病室を振り返る。


此処の場所が何処なのか、主が誰なのか、彼女に一切教えるなと初枝は口止めされていた。


――いきなり知らないところへ連れてこられて、心細いだろうに。


――でも、どうして。


――いいとこのお嬢様が、あんな酷い傷をつけるような手荒な扱いをされるのだろう。


そこで初枝ははっと我に返って、これまでの思考を追い払うように首を振った。


代わりに思い浮かべたのは、付き合いの長い人のいい顔をした初老の主だ。


「旦那様、おかしな事に巻き込まれてなければいいけど」


隣室に向かいながら、初枝は溜め息をつく。


やがて訪れる逢魔が時。


彼女の懸念は最悪の現実となって降りかかる。















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