掌編

□ロンドンタイムズ
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もう今となってはスネイプ自身にもなぜ摂氏40度を超す真夏のエジプトのそれも砂漠の真ん中へ行って見ようかなどという気を起こしたのか思い出せないでいる。



はたして仕事であったのか。それともあの地方の砂地にしか存在しない特殊な植物でも探してみようと思っていたのか。あるいは――・・・。

とにかくあの日、太陽の照りつける灼熱の砂地の上にセブルス・スネイプは忽然と姿を現したのだった。

呼吸をするたびに肺を蝕むような熱気が砂と共に押し寄せ、彼の黒いローブの端をユラユラと陽炎のように揺らす。

スネイプはその風から身を守るようにローブを深くかぶり直し、砂に足を取られながらゆっくりと歩みを進めつつ、果てしなく続く黄色い大地をグルリと眺めた。

自らの呼吸を除いては辺りに風のうねる音以外何も聞こえない。ひたすらに短調な視覚と嗅覚、聴覚そして暑さは生きる物の思考を奪う。

その言いようのない“静寂”をスネイプは愛していた。もしかすると彼はただそれだけを求めにわざわざこのエジプトくんだりにまで足を向けたのかもしれない。

もっとも現実にスネイプがその空間を楽しみ得たと言えるのはたった数十歩の間だけだった。ほんの小さな砂丘を上りきった彼の目の前にエジプトの砂の色に似た小さな飛行機が止まっている。


「――あなた一体どこからきたの?!」


驚いたのは相手も同じだったのだろう。

呆然と立ち尽くす彼の元にいかにもパイロットらしい服装をした人物が羽根の下の木陰から出て走り寄ってきた。

耳を覆うような布の垂れたヘルメットの下の大ぶりなゴーグルが太陽の光を反射して眩しく光る。姿を現す場所についての配慮を怠った自分にスネイプは内心舌打ちをした。


「あの・・・ボンジュール?グーテンターク!・・・・ボンジョルノ、ニーハオ、コンニチハ・・・」


反応のない彼に英語が通じないとでも思ったのか、向こうは手当たり次第に知っている限りの言語で挨拶を繰り返している。

その声色でどうやら相手は女であると言うことが判断できた。スネイプはため息を吐いて仕方なくさっそく乾燥してピリピリと痛む唇を開く。


「そっちこそ、一体こんなところで何を?」

「 やだ、英語が喋れるんならそう言ってちょうだいよ。てっきり言葉の通じない相手に身振り手振りで現状を説明しなくちゃいけないのかと思ったじゃない」


その言葉以上に女はホッとしたらしく息を吐いてゴーグルを押し上げてみせた。

埃か日焼けか、その両方か。黒ずんだ鼻から下とはうって変って真白な目の周りと愛嬌のあるハシバミ色の瞳が覗く。


「カイロを経由してギリシャまで行くつもりがエンジントラブルを起こしちゃったの。どうにかこうにか無傷で不時着できたんだけど、降りてみたらこんなところで」


「それからもう三日もここにいるのよ。信じられる?」と半ば自嘲気味にそう言いながら彼女は背伸びをしてスネイプの背後を覗くような仕草をした。

つられて彼も今来たばかりの方角に目をやる。


「 何を見てる」

「何って、あなたの旅団よ。どうやって着たの?ジープ?ラクダ?」


スネイプは眉をひそめて首を振った。そんなものあるわけがない。彼は所謂“姿現し”を使ってひとっ跳びでここまで来たのだ。見たところただのマグルの女にそのように説明する訳にもいかないが。

浮かれていた女の顔が一気に暗くなった。


「じゃあもしかしてあなたも“迷子”なの?」


もちろんそれも事実とは異なるが余計に話がこじれても面倒なのでスネイプはあえて否定をしなかった。

実際ここが何処であるか、と言うことを正確に把握していないという点では彼女と変わらない。


「・・・・――しょうがないわね。それなら屋根がある分私の方がマシみたい」


言葉が通じたとはいえとことん愛想の悪い目の前の男に向かって溜息を吐き、軽く肩をすくめてみせてから唐突に――少なくともスネイプにはそう思われた――「来て」と言った女は手招きをしてみせた。


「もうすぐ日が暮れるわ、夜の砂漠って寒いのよ。火を起こすのを手伝って」


状況を呑み込めないスネイプがその後ろ姿を見送っていると彼女は後ろを振り返りもせずさらにそう言いつのってスタスタと飛行機に向かって歩き去ってゆく。

彼女の無造作に脱ぎ捨てたヘルメットから豊かな髪が零れ落ちた。


もちろん彼は決して道に迷った旅人ではない。帰りたければ今すぐにだってイギリスの乾いた煉瓦の道を踏めるのだ。

事実女の髪がスネイプの目の裏に焼付いたあの燃えるような赤ではなかったら、この若い遭難者を砂漠の真ん中に打ち捨てていくことに彼は何ら良心の呵責を覚えなかったかもしれない。

女の言う通り晴れ渡っていたエジプトの空にはいつの間にか茜が差して足元の砂に細長い影を描いていた。


   ***


「何を燃やしてる」


パチパチと音をたてる薪に何かをしきりに千切っては投げ入れる女は一瞬スネイプの癖である上がり調子のない疑問を理解し得なかったと見えて困ったように瞬きを繰り返す。


「――ああ、これ?」


しかし彼の視線からおおよその意図は読み取ったのか、今また火の中に放り込んだ残りをしかめ面の男に差し出してやった。


「地図よ。正確には私が今までたどってきた道だけど」


言葉はなくとも返事には十分すぎるスネイプのそのあからさまに訝しげな顔が可笑しかったのだろう。彼女は口の端を吊り上げる。


「この辺は砂ばかりで燃やすものが何もないでしょう。初めは本なんかを燃やしていたんだけど・・・・バカだったわ、戻る気もないのに」

「・・・・どこへ行くつもりだったんだ」


出発点だったのだろうか黄ばんだ固い紙の地図には赤いインクで何か書き込みがなされていた。すべてを読み切る前にスネイプはそれを炎の中に投げ込んでしまう。


「目的地はない――と言うと嘘になるけど、どこに行くのかはその日の気分次第ね。色々よ」


その言い草にスネイプは呆れた。


「 いつか死ぬぞ、」


それもたった一人で。

目的もなくここまでやってきた自分のことは棚に上げた言葉だったが、ため息交じりに呟いた彼に現に死と生の狭間を彷徨っている女は「本当にね」と言って笑った。


「自分でも時々、バカみたいだと思うわ」


それでもやり遂げなければならないことがある、と女は言う。

そんな彼女にスネイプは「それでいいのか」などとつまらない質問を重ねそうになって口を閉じた。自分がしていることだってこの女どう変わると言えるだろうか。

決してもっと上手い方法があることを知らないわけではない。

ただ悔いる己に罰を与えたくてしょうがない自分がいると言うだけの話だ。


「 あのね――・・・あなたが来た時私もとうとう会えたかと思ったのよ」

「 誰に」

「王子様よ。そう言うにはいくらかとうがたっているみたいだし、可愛げもないけど・・・ねえ、羊を欲しがらないの?」

「羊なんか何になる」


真面目くさって答えたスネイプに女は「あなた意外と本を読まないタイプなの?」とまた声を上げて笑った。思えば良く笑う女だった。

月明かりを浴びて彼女の髪は炎の様に燃えている。柔らかい光を受けて彼女のハシバミの瞳は輝く翡翠に見えた。


「眠っていると時々自分でも私は誰でここは何処で、一体何のためにこんな事をしているのか分からなくなるわ・・・・でも、起きたら思い出してしまうの」


“彼を探さなきゃ”という意味深な女の言葉にも彼は黙ったままでいた。

探すことができるなら、ずっといいと思いながら。


「――ねえ、もう水も残り少ないし明日はここを出て歩いてみましょう。きっと何か見つかるわ」

「なぜ分かる」

「・・・・なぜって、あなたって本当に・・・・もう!いいわ、いつか本を送ってあげる。絶対読むべきよ」


住所どころかスネイプの名前すら聞かなかったのに女はそう言ってシュラフの中に潜り込んだ。そのくせ彼女自身その本の題名も作者の名前も覚えてはいなかった。


「目が覚めたらギリシャかもしれないな」

「・・・・ふふ、見かけによらず冗談なんて言うのね」


「おやすみ」と女が独り言のようにささやいた。広大な砂漠で孤独な自分に言い聞かせるようなちいさな呟きだった。


「私は・・・目が覚めたら、あなたはいない気がする」


“宇宙に帰っちゃうのね、きっと”




大方慌て者の新聞屋が間違えたのだろう、スネイプの部屋に今朝は取った覚えもない普通のロンドン紙が突っ込まれていた。

見るともなしにそれをテーブルの上に広げた彼の目に一般の投稿欄が目に留まる。

「人探し」と銘打たれた記事に見覚えのある女のはにかんだ写真が出ていた。行方不明になって3年。

丁度スネイプがあの寂しい砂漠へ行った年と現在の真ん中だ。

ギリシャから一体どこへ行ってしまったのだろう。


『――これ、なんに見える?』

『さあな・・・・帽子か』


どこか遠い記憶の中でそう言って砂に奇妙な図形を書いてみせた彼女の燃えるような髪を思い出しながら彼は、今しがた読み始めたばかりの新聞を千切って火にくべてしまった。





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