いつかどこかで
□第一章
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目を開けたセブルスはそのままピクリとも動かず、徐々に焦点が定まってくるのを待っていた。時間にしてみればほんの一秒か、二秒の話だ。
意識を取り戻した彼が完全に“彼”と言う形を取り戻すのはとても速い。
思わずよく眠っていたのだろう、随分長い夢を見ていた気がした。辺りはとても静かで、誰かの安らかな寝息と波の打ち寄せる音が聞こえている。
心なしかこの空間自体もゆっくりと揺れているようだ。
眠気はもう覚めてしまったが身体は重く、セブルスは極めて久方ぶりに、しばらくこうしてジッとしていたいと思った。ただ意味もなく、のんびりするなんてことはどのくらいぶりだろうか。
体を支えるマットレスはあまり柔らかくはないが、シーツは清潔で申し分ない。
せっかくなのでこのままもう一度寝入りなおしてしまおうと、例を見ない緩慢な気持ちで彼は目を閉じかけて、すぐそばで聞こえた激しい物音に眉をひそめる。
正確には何か(人間サイズの)重たいものが転げ落ちる音だ。
続いて「いてぇ・・・」と唸るような低い声が聞こえた。
何事かと少しだけ身を乗り出したセブルスの寝起きの目に飛び込んできたのは、短く刈り込んだ鮮やかなブルー。
どうやらしたたかに打ちつけたのはその頭だったのか、しきりに髪を撫でつけている。
「――・・・・なにをやってる、」
「・・・うわっ?!おっさんだれだよ?」
勢い込んでこちら振り返った男の顔は若かった。30くらいだろうか。耳にいくつもぶら下がったピアスと、その細長い体を包む上下の白いコットンのパジャマがどうしようもなく不釣り合いだ。
初対面にもかかわらずいきなりのおっさん呼ばわりに、セブルスは些か気を悪くして眉間の皺を濃くする。
そんな“当たり前”の反応に目の前の男は戸惑ったのか、しばらく視線を彷徨わせていたが、散々ウロウロしたその目線がある一点を捉えた瞬間「なんだ」とでも言いたげに唐突に肩の力を抜いた。
「 やっぱり夢じゃないんだな。俺もオッサンも死んだんだ」
解せぬ思いでセブルスもその視線を追うように自らの首に手をやる。指先に触れたザラザラとした縫い目。
その瞬間火花が散るように彼の頭の中を通り抜けた記憶の断片の猛烈なスピードはとても口では言い表せないものだった。
ダンブルドア、ヴォルデモート、地を這う大蛇、血の匂い。涙に濡れる緑の瞳。そして体がゆっくりと冷えてゆく感覚。
――セブルス・スネイプはようやくその体を起こした。
途端に自分がどれだけのものを見落としていたのか、まざまざと思い知ることになった。
薄暗い中に二つのベッドが並んだ簡素な部屋。その間にある丸い窓にかかったカーテンの隙間から、ぼんやりと目の前の男の髪の色にも似た海が見える。
一体自分は夢でも見ているのだろうか。どう考えても目の前の見知らぬ青年も自分の首の傷もこの部屋も、悪い冗談にしか思えない。
試しに自分の腕を爪で引っかいてみた。ピリリと肌の引きつれる感覚がしてジワリと血が浮き上ってくる。
――おかしい。なによりおかしいのは自分が死んでしまったという前提について何の疑問も抱かないことだ。
「――ここは、どこだ」
自分の声とは思われぬほど擦れたその質問に答えたのは、扉の向こうで響くノックの音だった。
「 俺、いきますよ」
俊敏な動物の様に顔を扉の方に向けたスネイプに青髪の青年はそう言って、たった数メートルしかないドアまでの距離をダラダラと緩慢な速度で歩く。
そうして開け放った扉の隙間から外を窺うように首を突きだし、辺りを存分に見まわしてからまた戻ってきた。
「誰もいなかったっすね。でも廊下にこれが落ちてました。“カーティス・ジェイト様”宛てと“セブルス・スネイプ様”ってオッサンの名前?」
“あんたイギリス人でしょ?変わってますね”と余計な事を言いながら屈託なく笑う男、カーティスを睨みつけたまま手紙をひったくったスブルスは濃紺のインクで書かれた宛名を確かめる。
『0000725号室 セブルス・スネイプ様』
確かに自分宛だ。0000725号室はおそらくこの船室の番号なのだろう。
丁寧に張られた封を破くと「午後8時に展望台へ」とだけ書かれた簡素なメモと、見たこともないコインが一枚同封されていた。
まさか自分の知らない間にイギリスの硬貨は姿かたちを変えてしまったのだろか。
チラリと目をやったカーティスも封を開けたのだろうメモを覗き、そしてコインを取り出している。
「なんだこれ、ゲームのコインか?」
セブルスはため息を吐いた。ますます手の込んだイタズラじみている。手紙に意味深なメモ用紙に、コイン。
「でも、これだけじゃあなんにもわからないっすねえ。展望台がどこなのかさえ書いてない」
「とんだ親切な天国だ」と肩をすくめるカーティスにセブルスはまた眉をひそめた。
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