戦国KISEKI
□第肆話
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(真麻…遅いな……)
馬の腰に体を預け、赤司は真麻を待ち続けていた。
「征十郎様。」
突然飛んできた声に顔を上げる。
しかし、そこにいたのは真麻ではなかった。
「…何の用だ、ばあや。」
赤司が今そう呼んだ通り、目の前の老婆は、幼少期の赤司の教育係をしていた者で大奥の最高責任者である御年寄という役職に就いている古参である。
いくら世話になったとはいえ、以前に真麻が大奥の女中から嫌がらせを受けた事もあり、赤司は彼女を少し警戒していた。
「あの遊女をお待ちであるなら、城へお戻りください。彼女は来ませんから。」
「!」
御年寄が単刀直入に告げると、赤司の表情があからさまに曇った。
それを見た御年寄はここぞと言わんばかりに続ける。
「折角の外出にも関わらず、気乗りしないというだけの理由で行かないと駄々をこねて……仕方なくその旨を伝えるよう頼まれてきたのです。」
真麻を陥れるような言葉を並べる彼女もまた赤司が真麻に入れ込む事をよく思っていない一人だったのだ。
「そうか…手を煩わせてすまなかったな。」
赤司は彼女の思惑通り真麻に失望したように見えたが、そう言うと馬を小屋から出して、出掛ける支度をし始める。
「…どこへ行かれるのです?」
「もしかすると体調を崩しているのかもしれない。見舞いの品を買いに行ってくる。」
それは納得のいく反応ではなかったらしく、御年寄はゆっくり馬を歩かせる赤司の背中に呼び掛けた。
「そんなっ…あの女はただ征十郎様の好意を利用して我儘を言っているだけですよ!」
すると赤司は馬を止めて彼女に振り返る。
「真麻の我儘なら喜んで聞くさ。それに……彼女は自分に敵意のある者に伝言を頼む程、馬鹿な女ではないぞ。」
「!」
全てを見透かすような鋭い視線に、御年寄は背筋がひやりとするのを感じた。
「次に彼女の名を語ってふざけた事を言ってみろ…お前も大奥の女達も全員、家に帰してやる。」
赤司はそう言い捨てて再び馬を走らせる。
「…………。」
御年寄はその後ろ姿を眺めながら、ギリッと歯を食い縛った。
「ん……」
我に返った時には、真麻は自身の部屋の布団で横になっていた。
「具合はどう?」
看病してくれていた実渕が顔を覗き込む。
「…私…何故、ここに……?」
「泣き疲れて寝ちゃったのよ。京で稽古場に籠もりきりだったなら死骸を見るのも初めてだったでしょう…ショックを受けるのも無理ないわ。」
それを聞いた真麻の中で記憶が新しい物から古い物へと順に遡っていき、突然ハッと目を見開くと真麻は勢い良く起き上がった。
「私っ…征十郎様の所に行かないと……!」
「ちょっ、急に動いたら危ないわよ!」
真麻は実渕の声も聞かず足早に出口に向かうと、外から先に襖を開けられピタリと動きを止める。
「!真麻…目が覚めたんだな。」
「…征十郎、様……」
「もう具合は大丈夫なのか?」
あれ程会いたかった赤司の顔を見ると同時に真麻は窓からの景色で今がもう夕方である事に気付き、落胆した。
「…っ…申し訳ございません……」
瞳を揺らしながら俯くと、赤司は優しく肩を抱き寄せる。
「すでに玲央から話を聞いた。お前が謝る事ではない。」
「ですが私、征十郎様との約束を…」
「気にするな。今日でお別れという状況でもないのだから、玲央を説得してまたいつでも連れて行ってやる。」
そう言って真麻の背中を擦る赤司から、ふと桜の匂いが香った。
「外の匂いがします…先刻までずっと待っていてくださったのですか…?」
真麻が顔を上げて聞くと赤司は少し微笑んで首を振る。
「いや、それは多分これだろう。」
空いている手に持っていた包みを真麻に渡し開けるように言う。
「…お団子…ですか?」
「友人の行きつけの店なんだ。以前に食べて美味しかったからお前にも食わせてやろうと思って、さっき買いに行ってきた。丁度桜で色付けしたものを出していたからそれにしたんだが……甘い物は平気か?」
薄桃色の串団子を目にした真麻は嬉しそうに頷く。
「そうか、ならばお茶にしよう。玲央、」
そう言って赤司が視線を送ると、はいはい、と答えて実渕は立ち上がった。
(…征ちゃんと会った途端にあんなに元気になっちゃって、真麻も案外単純ね…)
いつも通り楽しげに会話する2人を尻目に、実渕は微笑んで部屋を出ていく。
(2人がこのまま誰にも邪魔されず、ずっと一緒にいられたらいいのに……)
そんな事を思いつつ溜息を吐くと、後ろから名前を呼ばれる。
「…実渕、」
「!大老様…」
やってきた男は、江戸幕府における大名家や執行機関の最高責任者である大老であった。
「将軍様に例の件は伝えたか。」
「…いえ、まだ……」
実渕は気まずそうに目を伏せる。
「早くしろ。いずれにせよ、正室を娶る際に訪れる別れだ。」
そう言って去ろうとする大老の背中に実渕は呼び掛ける。
「で、ですが真麻は朝廷から正五位の称号を授かっています!正室にする身分としては、十分…………っ!?」
言い終わる前に、戻ってきた大老に胸ぐらを掴まれ実渕は壁に背中をぶつけられた。
「愚か者!!将軍家に遊女の血などが流れてなるものか!!」
「!」
悲愴に見開かれた瞳に、大老は面倒臭そうに手を離して再び歩きだす。
「今回ばかりは大奥の女共が正しい。あまりぐずぐずしているようならあの遊女を腕ずくでも江戸から消してやる。お前も将軍様も、もう子供だからと甘やかしてもらえる歳ではないのだ。」
「…………。」
実渕は俯き、悔しそうに拳を握り締めた。
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