戦国KISEKI


□第壱話
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あまりの驚きに、真麻は喉の奥が渇いていくのを感じた。



(この方が、将軍様…?)




「…ん?」



真麻が固まっている事に気付いた赤司は顔を覗き込むようにして視線を合わせる。



そして目と目が合った瞬間、彼自身も驚きの表情に変わった。



「…へぇ、驚いたな…太夫と言うくらいだからもっと歳のいった女かと思えば…僕と同じくらいか?」


「え?あ…あの……」


「濁りのない、美しい目をしている…世の中にはこれ程までに端正な顔立ちをした人間が存在するのか……まるで作り物だ…」


赤司は真麻の頬を両手で固定し、まじまじと見つめる。



(は、恥ずかしい……!)




「…こんな極上が公家の手に渡るのは、些か癪だな…」




真麻が顔から火が出る思いをしながら視線に耐えていると、ふと赤司はそう呟いた。



そして、彼女の顔の角度を少し上げて目線を合わせる。



(な、何…?)


次に何か考える間もなく、気付いた時には、真麻は赤司に唇を奪われていた。


「……んっ…!」



「接吻は初めてか?」



少し顔を離して赤司が聞くと、真麻は真っ赤になりながら無言でこくこくと頷く。



「そうか、ちなみに僕も初めてだ。」


真顔でそう答えると赤司は再び、今度はより深く口付けた。


(だから何なの!?というか、この人…絶対初めてじゃない!!)


息をする間も与えられずひたすら唇を塞がれて、真麻はしばらくすると壁に寄りかかってそのままズルズルと崩れ落ちていく。




「…すまない、日頃鍛えているからか常人の肺活量が今一つ分からなかった。」



申し訳なさそうにそう言う瞳は本当らしく、真麻は違う意味で恐ろしさを感じた。


「(慣れてるんじゃなくてただの超人だったのか…)…あの…将軍様、なのですよね?」


「あぁ、名乗るのを忘れていたな。江戸幕府]代将軍、赤司征十郎だ。」


江戸幕府、という言葉で急に状況が現実味を帯びてくる。


(や、やっぱり本物なのね…新しい将軍様がこんなに若かったなんて…でも何か、黒子が言っていたのと全然違うような……)



「お前の名は?」


ちらりと見上げると同時に名を聞かれ、真麻は慌てて姿勢を正して頭を下げた。


「し、失礼致しました…!真麻です、真麻と申します。」


しかし赤司はその肩に手を置いて顔を上げるよう言う。



「そう畏まるな。歳も変わらないようだし、仲良くしようじゃないか、真麻。」


「ですが将軍様、」


「征十郎だと名乗った筈だが。」



「では…せ、征十郎様……」



頬を染めて俯く真麻に赤司は目を丸くした。



「そこまで照れる事はないだろう。」



「申し訳ございません…殿方の御名前を口にするのは、初めてで……」


物心付いた時からひたすら芸の稽古に励んできた真麻にとって、それは嘘偽りのないものである。


名前を呼ぶのはおろか、父親や師範、そして黒子以外の男性とは話をした事もない。



しかしその純真さは逆に赤司の心を捕らえたようで。



「まさか、これ程の女がいるとは…」



「…あの…?」



「来るまでは殺すつもりでいたんだが…気が変わった。」


(殺っ…!?)


突如飛び出た物騒な言葉に真麻が固まるのを見逃さず、赤司は肩を掴んで押し倒した。



「……?」


真麻は一瞬何が起こったのか分からず、畳に張り付いたままきょとんとしている。


「少々手荒な真似をするが、許してくれ。」


しかし赤司がそう言って帯を解いてきた事でようやく状況を理解した。



「し…将軍様!」


「征十郎。」


「征十郎様っ…まだお食事もなさっていないのに、そんな…」


「あんな物を食べている場合ではない。」


真顔でそう言われて真麻の顔からサッと血の気が引く。



(…黒子のバカぁぁぁ!全部嘘じゃない!!色恋に関心がないのに何でこんな超展開!?しかも湯豆腐スルーなんだけど!豆腐将軍、湯豆腐に目もくれないどころか“あんな物”扱いなんだけど!!)



そんな風に心の中で絶叫していると、赤司が耳元で低く言った。



「…替えの着物は持っているな。」



「え…?」


「着替えだ。ここに連れられた時に着ていたものがあるだろう。」


「あ、はい…あります…一応。」


真麻は頷きながらも何故か気まずそうな顔をして言う。


「一応…?まぁいい、今すぐそれに着替えるんだ。」



そして、言われるがままに着替えを済ませた真麻の姿を見て、赤司も歯切れの悪い返事の真相を知る事になった。



「なっ……経帷子…!?」



経帷子とは、所謂死に装束の事である。


つまり、その衣装だけで十分真麻が訳ありである事が窺えたのだ。



「ですから、一応、と…」


真麻は後ろめたそうに目を逸らす。



「なる程……だが、むしろ好都合だ。」


しかし、赤司は構う事なくそう言って、徐に脇差を抜くと真麻の長く伸びた髪を腰より下でバッサリ切ってしまった。



「えっ…!?」


真麻は信じられないとばかりに赤司を見る。


「ほんの尺寸だ、心配ない。」


そして、その髪を乱雑に剥ぎ取られた着物の腰紐で束ねて横に据えると、あたかも太夫が自害もしくは殺されたかのような図式が完成した。



「…今日からしばらく、お前は死人だ。」


赤司はポカンとしている真麻に、真顔で一言そう告げ更に混乱させる。


「……は、い…?」



「先程部屋に入った時、お前は外に焦がれているように見えた。一緒に来い、そうすれば想像もつかないような世界を見せてやる。」


「…来い、って……まさか……」



赤司は頷いた。




「お前をここから連れ出す。」




「そんな…無茶です!私も今まで何度か脱走しようと試みましたが嶋原の警備は厳重で…それに、いくら将軍様でも太夫を連れ出したとなれば朝廷の方々がお怒りに……」


真麻がそこまで言ったところで赤司はニッと不敵な笑みを浮かべる。



「…それでいい。」



「え…?」



「時間はない、選ぶんだ。遊女とは言っても嶋原太夫であるお前は既に朝廷から正五位の位を授けられている身…一応意志は尊重してやる。」


「…………。」



待ち望んだ瞬間がようやくやってきたというのに、真麻の心の中には曇りが残っていた。



(…どうしよう……外に出たい、でも…私が逃げたら監視役の黒子はどうなるの?それに将軍様だって…下手したら朝廷を敵に回してしまうかもしれないのに……)




その時、少し暗めのこの部屋に後ろから光が差したと思うと、同時によく聞き慣れた声が飛んでくる。


「何を躊躇っているんです。ずっと外に出たかったんでしょう。」



「!黒子…」



黒子はつかつかと部屋に入ってきて、真麻の手を取った。


「またとないチャンスなんですよ。このまま25、6までを遊女として過ごすんですか?」



しかし、真麻は表情を曇らせて伏し目がちに言う。


「…でも…私がいなくなって大丈夫なの…?あなたは…酷い目に、遭うんじゃないの?」



すると黒子は優しく微笑んだ。



「見逃してあげるという約束をしました。」



「じゃあ…黒子も一緒に行きましょう?私、置いてなんかいけない…」


真麻がそう言うと黒子は困ったように溜息を吐き、そして手を離して赤司の方を向く。



「…将軍様、彼女が外に出たいという意志はもうお分かりいただけましたよね。どうか、このままお連れしてください。」



赤司はそれに頷き、真麻を抱え上げた。



「ひゃっ……黒子!どうして…」



「僕には、まだ京でやるべき事が沢山残っているんです。」



「京で、やるべき事…?」



真麻の疑問も解けないうちに、赤司は窓枠に足を掛ける。


「色々と世話になったな。」


「いえ、お気を付けてお帰りください。」


そう言って再び微笑む黒子の表情は、さっきよりも少し晴れやかだった。




一方、真麻は恐怖の淵に追いやられる。



「し、将軍様っ…」


「征十郎だ。」



三度目になるやり取りも頭に入って来ない程真麻はパニックになっていた。



「あの、ここから…?」


抱えられた状態で下を見下ろす。


地面は遥か遠くに感じた。



「当たり前だろう。僕はこれからお前を盗むんだぞ。」



「で、ですが…きゃあぁぁああぁあっ!!」


ここは二階だ、と言い切らないうちに赤司は窓枠を踏み切って飛び降りる。



着地はあまりにも鮮やかで、真麻はしばらく何が起こったのか分からなかった。



「叫び過ぎだ。折角殺したと見せ掛けたのに台無しじゃないか。まぁ、元々あんな工作は時間稼ぎにしかならないがな…」


まだふわふわしている頭で説教を聞きながら路地裏に連れ込まれる。


そこには、馬の世話をしながら赤司を待っていた実渕達がいた。



「あら、もう出てきたの?って…ちょっと、その子…」


実渕は瞬時に赤司のやらかした事を理解したらしく、サッと顔を青くする。



だが、そんな事はお構いなしに赤司は真麻を馬に座らせた後自分も乗って、出発の準備をし始めた。



「…行くぞ。」




嶋原が大騒ぎとなるのはそれから約5分後の事であった。





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