戦国KISEKI


□第壱話
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そしてそれからの3日は呆気なく過ぎ去る。




「京はやっぱり遠いわね〜…雨が降らなくて本当に良かったわ。」



すでに京に入っていた赤司一行はここまでの旅路において天候に恵まれ馬の調子も良く、この上なく順調に嶋原へ近付いていた。



「僕と出掛けて雨が降った事が今までに1度でもあったか?」


赤司にそう聞かれ、実渕は今までに遠出した旅を思い起こす。


「そういえばなかったような……征ちゃん、あなたもしかして天気を操れるの?」



あまりに非現実的な問い掛けに赤司はフッと笑った。



「出来る訳ないだろうそんな事。ただ、天も僕の味方というだけさ。」



「それはとっても心強いけど…今回ばかりはどうかしらね…京に将軍が遊びに行くなんて敵陣に単身で乗り込むのとそんな変わらないようなものだし…」


実渕は憂鬱そうに溜息を吐く。


「永吉はともかく小太郎まで連れてきたのはそれを案じてか。」


赤司がそう言って降りてこい、と命じると、すぐ傍の木から黒装束を纏った男がスタッと彼らの前に着地した。



「あははー…バレてた?」


気まずそうにしつつ人懐っこい笑顔を向けるこの男は、江戸幕府御庭番頭、葉山小太郎である。



「さっきから呼吸数が不規則になっている。御庭番の筆頭が、聞いて呆れるな。」


文字通り赤司に呆れたような視線を向けられ葉山はビクッと肩を震わせる。


「えっ…まさか、クビとか…?」


「それはないだろ。大体お前の気配に気付くのなんて赤司くらいだし。」


ずっと今まで実渕と赤司の馬を先導してきた江戸幕府小十人番頭、根武谷永吉はそう言い葉山を宥めた。



「征ちゃんが何と言おうが今回は危険なの。でもあんまり大勢になると却って警戒されるからこの2人を付けたのよ。」


実渕の言う通り、江戸幕府内でも陰密な仕事を行う言わば“裏の始末人”である御庭番と普段から城の警備に当たっている小十人番のトップがいれば、下手な大軍を付けるよりも安全なくらいであった。


「本当にお前は心配性だな…相手を挑発する際にリスクが伴うのは常識だろう。」


赤司が煩わしそうにそう言った瞬間、実渕はあからさまに顔を顰める。


「やっぱり公家を騒がすのが真の目的だったのね!全く、本当に仕事の事しか頭にないんだから…」


「適当に遊びはするよ。今日は嶋原でも1番の芸妓が迎えてくれるという話だ…太夫ともなれば教養もあって退屈はしないだろう。」


「女の子に政の話なんてウケないわよ。」


呆れ顔の実渕と飄々としている赤司がそんなやり取りをしているうちに、嶋原の入り口である大門が見えてきた。










その同じ頃、いつもより一段と豪華な着物を着せられた真麻は部屋の隅で沢山の妓夫達が慌ただしく準備を進める様子を見ていた。



(将軍様が来るんだもんね…そりゃあ念入りにもなるか……でも……)






「…何なの?これ。」



皆が去った後、唯一部屋に残っていた黒子に真麻は問い掛けた。


目の前でぐつぐつと煮立っている土鍋とその横の皿に盛られた具材は、将軍を遇すものとしては些か質素過ぎる。



しかし、黒子はきょとんとして言った。



「湯豆腐です。」



「いや、分かってるけど!いいの!?将軍様へのお持て成しこんなのでいいの!?もっと刺身とか珍味とか…」


「将軍様は湯豆腐が大の好物らしく、江戸に倹約令を発令しまくり動物性蛋白の代わりに豆腐を食べる事を推奨しているそうです。」


それを聞いた真麻は、いつか史書で読んだ、江戸幕府五代将軍の政令を思い出す。


「何か生類憐れみの令みたいね…」


「ちなみに付いたあだ名は“犬将軍”ならぬ“豆腐将軍”だそうですよ。」


黒子は真顔で答えるが、真麻の中では今まで思い描いていた将軍像が一気に崩れ去った。



(豆腐将軍…弱そう…)




「…あ、いらっしゃったみたいですね。すぐお連れしますので待っていてください。」


蹄鉄の音が近付いてくるのに反応した黒子は立ち上がって窓から様子を確認する。



「将軍様は色恋に関心の薄い方だそうです。頑張ってくださいね。」


そして、こんな言葉を残して去っていった。




(き、緊張してきた…何だっけ、豆腐将軍で色恋に関心が薄くて…って…もっとまともな情報置いていきなさいよ黒子ー!!)



「…真麻さん、」


真麻の思いが通じたのか、突然黒子が真剣な面持ちで戻ってくる。



しかし、かけられた言葉は残念ながら望んでいた物ではなく。



「いくらお腹が空いているからといって先に湯豆腐に手を付けちゃ駄目ですからね。」



「分かってるわよ!!ってかそれ言うために戻ってきたの!?」


真麻は大きな溜息を吐いたのち、何とか気を紛らそうと窓辺に立った。










「ようこそいらっしゃいました、将軍様。」


嶋原中の妓夫や芸妓が一斉に赤司を出迎える。


「あぁ、今日は楽しませてもらうぞ。」


社交辞令だけを返して赤司は馬から降りた。


「すでに嶋原太夫が首を長くしてお待ちしております。さぁ、お二階へどうぞ。」


しかし、社交辞令であるのは彼だけではないようで。



「…将軍様。」


案内役であった黒子は、2人きりになるなり玄関の様子とは打って変わって真剣な顔付きで口を開いた。


「何だ。」



「部屋に用意された湯豆腐に、毒が盛られております。」



「!」


ある程度想定してはいたが、それより赤司は黒子が密告してきた事に驚いて目を見開く。



「どうか手を付けなさらず、また太夫の口に入らぬよう計らってはいただけませんか。」


真麻の事を思っての願い出に、赤司は黒子にまだ少し警戒心を向けながらも頷いた。


「承知した。だが、彼女は僕に毒を食わせるのが仕事なのではないか?」


「彼女は年明けに新たに嶋原太夫を襲名したばかり…まだ何も知らされておりません。」



「…襲名して間もないというのに僕の相手を押し付けられるとは太夫も運のない……間の悪い事をしてしまってすまなかったな。」


困ったように眉を下げて言う赤司に、黒子は「滅相もございません!」と首を振る。


「むしろ御相手をするのも今日が初めてな者ですので、御無礼多々あるかと思われますが何卒御堪忍くださいませ。」


「あぁ、分かったよ。」



そんな話をしながら、2人は部屋の前に到着した。



「今、お呼びいたしますね。」


黒子が真麻に声をかけようと襖に手を掛けると、赤司は制止する。


「いや、このまま入る。妙に畏まられるのは苦手でね。」


かしこまりました、と一歩引いて、去り際に黒子は赤司に耳打ちした。



「今宵は裏口も警備の者で囲まれています。お帰りの際は十分お気を付けを。」



まるで赤司が正面からは帰れないような事をするのが分かっているかのような口振りに、当人は苦笑しながら黒子に振り返る。



「随分と過保護で物知りな付き人なんだな……一体何者だ?」



すると黒子はいつも通りとらえどころのない笑みを浮かべて答えた。



「特に何者と言う程の者ではございません……僕は―…」










(よく考えたら一夜で殿方を虜にするなんて到底無理な話だわ…しかも色恋に興味のない将軍様よ?大奥の女性達でも落とせないのに私に出来る…?)



もうすぐそこに赤司が来ているというのに、真麻は気配すら感じず外を眺めながら物思いに耽っていた。




(…ダメ、考えていても仕方ない!この月が落ちて次に太陽が上った時…きっと私は外に出ていて見せる!)


不安を掻き消すかのようにかぶりを振って、ぐっ、と拳を固め月を見上げる。



すると1人きりの部屋にも関わらず、隣から声が降ってきた。




「ここからは月も眺められるのか…いい部屋だな、気に入ったよ。」




「え……」




視線をゆっくり横にずらすと、1人きりだと思っていた部屋は、いつの間にか2人きりになっていた。





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