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□彼女が水着に着替えたら
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-彼女が水着に着替えたら-
じりじりとアスファルトまで溶かしてしまいそうな強い日差し。
むわっと熱を含んだ空気。
そこかしこでミンミンと元気に鳴く蝉に、誰しもがぼんやりと虚ろな視線を送る頃。
「あぢ―――い。」
「夏なんだから暑いのは当たり前でしょ。」
「今年の暑さは異常ですよ!」
「確かに、いつも以上に暑くて冷蔵庫の冷えも心なしか悪いな。」
「…この気温、後2週間は続くって。」
警視庁緊急特命捜査室の室内では、いつもは真面目(?)な捜査員もあまりの暑さにグッタリとしていた。
もちろん室内なので空調を入れてはいるが、節電のため設定温度は高めだ。
温暖化対策として昨今取り入れられているクールビズにも仕事柄限界があり、どんなに蒸し暑くともジャケットを欠かすことが出来ないのははたから見ても可哀そうとしか言えない。
それでも大きな事件でもあればまだ気も紛れるのだが、幸か不幸か今抱えているのは無銭飲食に露出狂、建造物への落書きなどいずれも軽犯罪ばかりだ。
『うぇ――っ』っと言いながらシャツを肌蹴させながらうちわをバタバタと扇ぐ藤守に、穂積のゲキが飛ぶ。
「シャキッとしろってんのよ!暑いものは暑い!そんくらい耐えなさい!」
「なんで室長は平気なんすか〜。」
「ベストまで着こんで、ネクタイもきっちり締めてんのに……。」
「気合が足りないのよ、気合が!!」
冷凍庫から出したアイスキャンディーを頬張る如月の椅子を蹴りながら、穂積が怒りの炎を上げる。
「…魔王って地獄で氷漬けにされてるはずなのに、暑さにも強いんだ。」
「あぁん?なんか言ったか?」
「いえ、何も。ちょっと小野瀬さんのとこに行ってきます。」
ぼそりと呟いたはずの小笠原の声を穂積の地獄耳が拾い上げ、ぎろりと厳しい視線を向けた。
その視線や室内の空気感から逃げるように、小笠原がノートパソコンを抱えて小野瀬のラボへと向かおうとすると、『ガチャリ』と音を立てて捜査室のドアが開いた。
「お疲れ様。コーヒー、飲ませてくれない?」
タイミングがいいのか悪いのか、いつものようにさわやかな笑顔を浮かべたまま入室してきた小野瀬に、小笠原は顔をしかめ、穂積はにやりと笑う。
離れて様子を見ていた如月や藤守は、笑いをこらえるのに精一杯だ。
明智だけはいつものように『やれやれ』と苦笑いを浮かべている。
「…小野瀬さん。」
「ん?どうした?そんな苦い顔をして?」
「なーんでもないわよね、お・が・さ・わ・ら♪」
小野瀬の背後に逃げようとした小笠原のシャツの襟を掴みあげ、穂積の大きな手が小笠原の頭をギリギリと締めた。
「痛い痛い痛い痛い!!」
「あら、マッサージよ、マッサージ。ありがたく受け取りなさい。」
「小野瀬さん、助けてよッ!!」
「穂積、やめろよ。また小笠原君が鑑識に引きこもりに来るだろう。」
毎度の穂積の行動に一応制するポーズだけは取った小野瀬が、当たり前のように奥のソファーセットへと腰を下ろした。
「はい、頼まれていた分析が出来たよ。わざわざ持って来たんだから、コーヒー飲ませてくれるよね?…って、もしかして彼女休み?」
ジャケットのポケットから取り出したUSBメモリを差し出しながら捜査室内をぐるりと見渡す小野瀬に、分析を依頼した如月が近寄りながら苦笑いを浮かべる。
「そうなんですよ。だから今日はいつも以上に暑い気がします。」
「だよね。いないなら長居する理由は無いや。」
「ベッキーで良ければコーヒー淹れますよ?」
「…えー。」
「お前は何をしに来たんだ、ったく。」
あからさまに『不満だ』と言いたげな表情を浮かべる小野瀬に、ようやく小笠原から手を離した穂積が室長席に戻りながら文句を言った。
「せっかく癒しを貰いに来たのに。これなら鑑識で飲めば良かった。」
「なら、とっとと帰れ。」
「そうさせてもらおうかな。」
如月にUSBメモリを手渡すと、大きく伸びをしながら小野瀬がソファーから立ちあがった。
いつもならタイミングを合わせるかのように見送りに立ち上がる櫻井の姿も、今日は無い。
男たちは小野瀬の行動に全く興味を持つわけでもなく、己の仕事に向かっているだけだった。
「あー、つまんない。」
「だーかーらー、ウチは喫茶店でも休憩室でも無いって言ってんだろうが。」
捜査室から出ようとする小野瀬に穂積が丸めた紙を投げつけようとすると。
RRRRRRRRRR
室長席の電話が突如鳴り響いた。
この電話が直接鳴ると言う事は、何かしらの事件ではないかと捜査室の面々が一様に顔を穂積へと向ける。
「…はい、緊急特命捜査室、穂積。」
強盗か、ひき逃げか、はたまた殺人か。
さっきまで賑やかだった室内が緊張感に包まれる。
響く穂積の声も、心なしか強張っているようにも思えた…
のだが。
「あら、櫻井じゃない。どうしたの?」
先ほどまでの緊張感にあふれた空気はどこへ行ってしまったのか、まるで久し振りに帰省する娘からの電話を受けるような、心なしか少し弾んだような穂積の声に一気に皆の気が緩む。
「なんだ、翼ちゃんからでしたか。」
「休みなのにどうしたんやろ?」
「なんか困っているのか?」
「…どこにいるのかGPSで調べてみようかな。」
事件かと一度は立ち上がり室長席の前に集まったものの、翼からの電話だと言う事で皆、穂積に手で追い払われてしまった。
小野瀬だけは制する穂積の手を振り切り、穂積の椅子の背に手を掛けながら話すタイミングを見計らっているようだが、電話の内容に聞き耳を立てながらも、一応仕事をしている振りを捜査室メンバーそれぞれがしていると。
「…で、偶然盗撮犯を見つけたわけね?場所は?」
またしても犯人に出くわしてしまったようだった。
驚異の検挙率ではあるが、休みなのに可哀そうなものだと男達が苦笑いを浮かべて顔を見合わせる。
「としまえんのプール???」
いつもは冷静な穂積の声が上擦った事に、再び全員が立ちあがっていた。
またしても室長席に集まる男たちを、小野瀬が人さし指で「シーッ」と静かにするよう嗜める。
「非番で警察手帳も何もないから、ワタシに電話をしてきたのね。偉いわ。で、犯人の人相は分かってる?え?映り込むように友達に写真を取って貰った?友達ってまさか男じゃないわよね?…交通課の同期?ならいいけど……。」
今まで幾度となく繰り返されてきた逮捕までに必要な情報を判断して行動できた事を褒めながら、穂積が机上のパソコンのメールフォルダを開くと、確かにそこには翼からのメールが添付ファイル付きで送られてきていた。
小笠原も同時にメールフォルダを開き、犯人の特定をすべく開発途中の顔認識プログラムを立ち上げようとすると。
「なっ!」
「ア、アカン!!」
「うわっ、可愛い!」
「……(赤面)」
「へぇ、可愛いね♪よく似合ってる。」
パソコンの画面上に映し出されたのは、確かにプールには似つかわしくないカバンを持った男の姿が映し出されていたのだが、男達の視線を集めたのは笑顔でピースをする翼の姿だった。
犯人と思わしき男を撮影するために見切れてはいるが、いつものように可愛らしく笑っている翼はもちろん水着で。
日焼けをしていない真っ白の肌に映える赤い水玉模様の水着は、首の後ろで結ぶホルターネックタイプのビキニだ。
寄せられた胸元にうっすら浮かぶ谷間に、思わず全員の眼が吸い込まれそうになる。
「なんで水着なんだ!」
「プールなんだから当たり前だろ。これでスーツなら、そのほうがおかしい。」
受話器を手で押さえながらも耳を赤く染め逆切れする穂積に、小野瀬が冷静にツッコミを入れた。
「この犯人、他の海水浴場でも盗撮疑惑が上がってる人と人相がかなり近いよ。でも、まだ証拠不十分で逮捕できていないみたいだね。」
冷静な小笠原の分析に『はぁ』っとため息を吐きながら再び受話器を耳に当てると、穂積が思いもよらぬ事を言い出す。
「分かったわ。今からそっちに行くから、犯人を見失わないようにしなさい。着いたらまた連絡するから。はい、じゃあね。」
言いたい事だけ言い終え受話器を置くなり、ジャケットやベストを手早く脱いでロッカーに入れてあったTシャツに着替えると、穂積はいつも藤守に任せていた捜査車両のカギを手に取っていた。
「室長!」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。」
「室長が行かんでもええんちゃいます?」
「なんでだ、急いでるんだから邪魔するんじゃねぇ!」
靴までスニーカーに履き替えてラフな格好になった穂積を制するように、明智達が捜査室を出る穂積の後へ続く。
「俺達が行きますから!」
「いい。あんな変態のいるところに大事な娘を置いておけるか!」
「室長ッ!」
「まぁ、せっかくだからみんなで行ってもいいんじゃない?」
何故だかのほほんと着いてくる小野瀬はさておき、言い合いを繰り返す男が向かったのは夏休み真っ只中の都内でも人気の大型プールだ。
先頭を走る穂積は着替えた甲斐もあり違和感は無いが、後に続くのは固いスーツ姿の者たちで。
不審な目を向ける係員に警察手帳を見せて入場すれば、そこには夏を満喫する多くのお客さんでごったがえしていた。
「さぁ、行くぞ!」
似たような水着の女子の中から、果たして誰が悪質な盗撮犯を追う翼を見つけ出せるのか。
全員で出動した真の目的はそこにあるのだ!
決して翼の水着姿を直接見たいわけではない!!
はず?
「あっ、室長!!……と、みなさんまで?」
「お前、大丈夫か?」
「は、はぁ。何ともないですよ?」
「櫻井、犯人はどこだ?」
「明智さん、顔が赤いですよ?熱中症じゃないですか?」
「櫻井、今すぐ逮捕したるから離れとき?」
「藤守さん、どうして半笑いなんですか?」
「翼ちゃんは気にしなくったっていいの♪」
「如月さん、近いです。」
「防犯カメラに映って無かったよ、櫻井さん。」
「またハッキングしたんですか、小笠原さん。ダメですよ。」
「さぁ、君はこれ以上日焼けしないように俺と日陰に行こうね?」
「小野瀬さん、触らないで下さい。」
こんな逮捕劇も、夏の暑さのせいかもしれない。
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