銃弾レディ
□第1章 銃弾レディ
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俺の部下としての願いはあえて名前は出さないが、病弱でよく吐血をして、そのくせ煙草を吸い、病院すら行かない夢魔の上司が仕事をしてくれること……まあ、これは気長に行こうと思う。まだ、堪忍袋の緒が切れていないからな。
「今回はエース様が来るの!?やったあ!!引っ越し万歳!!」
……兄としての願いは目の前の妹がまともな、常識のある、歪んでいない、贅沢を言うなら息をしない男に好意を持って欲しかった。否、欲しい。
「ねえ、お兄ちゃん。会合はいつ開くの?ハートの城に用はない?」
ナイトメア様が口を滑らせて「ハートの城が引っ越して来た」と発言をなさってからクリアはこうだ。
「ナイトメア様、この部屋にある書類を全て処理してくださるまで休憩はないと思ってください」
「な!?…い、いずれはわかることだろう!!私に当たるな!!げほっ…」
「ナイトメア様、駄目ですよ!!吐くときはバケツにしてください」
クリアが素早い動きで机の書類に血がかかる前にバケツをすり替えた。
動きだけは素早い可愛い妹よ、流石にトイレのバケツはやめてあげてくれ。
「ねえ、ねえ、お兄ちゃん」
ハートの城の話が出てからクリアの頬は赤く染まり、目がきらきらとしている。嗚呼、どこかのウサギを思い出す。
俺の妹は、兄としても可愛いので悪い虫が付かないか心配だったが本人がこうなるとは思わなかった。
妹は恋をしている。
歪みきったハートの騎士に恋している。
飛び出した銃弾の如く真っ直ぐな女は腹黒い男に恋している。
銃弾レディ!!
「お兄ちゃん、聞いてる?」
「ああ、しばらく外出は禁止だ」
「なんだ聞いて……ないじゃない!なんで?今の話で外出禁止になるようなこと言った?
ねえ、ナイトメア様。白目なんてむいていないで聞いてくださいってば」
クリアはやっと返ってきたグレイの言葉に絶望したように頬に手を当てて、青い顔をする。
「ナイトメア様、しっかりしてください。永眠するならば決済を終わらせてからにしてくださいと何度言えばわかって貰えますか?」
「お兄ちゃん、何気に酷いこと言ってるよ」
グレイとクリアは動かない上司を目の前にため息をついた。
仕事が進まない。
そういうことを考えているのはやはり兄弟だ。
「ああ……ナイトメア様が仕事をしてくれないと、エース様に会いに行けない」
「………ナイトメア様、仕事は後でも大丈夫ですからゆっ………………………くり休んでください」
「お兄ちゃんの鬼!!」
グレイの言葉の真意をすぐさま気づいたクリアは泣き出しそうな顔をして言った。
「何とでも……。兎に角、外出禁止だ」
「お兄ちゃんに拘束なんてされたくない。私はもう、二十歳よ!!」
「駄目だ。許さない」
頬を膨らませて上目遣いは二十歳とは思えない仕草で、これからどう対処するか兄を悩ませる……。
「『昔々、あるところに――――』」
資料室でクリアは新しく入った資料をアルファベット順に引き出しにしまっていく。
整理整頓が好きなわけではないが、自分の仕事上、整理整頓を心がけてはいけない。
「『ヘンゼルとグレーテルという兄と妹が――――』」
整理整頓、沈着冷静―――――自分をコントロールすることが仕事。でなくては弾丸が飛ばない。弾丸が言うことを聞かない。
「『グレーテルは悪い魔女の背中を押して、暖炉の中へ』」
彼女は狙撃手。
石を投げても小さな波面しか生まない水面すら彼女の冷静さに劣る。
「『そして、無事に』………」
のはずだった。以前は……彼女の心の氷の張った水面は突然出来た滝によって、激しく波打つ。
凛とした雰囲気が砕け散って、頬に赤みが挿していく。
「エース様っ!!」
資料の束を兄に見つからないように、適当な引出にしまい込み、嬉々としてドアから出て行く。
背中に狙撃用ライフルを背負った女の目は乙女だった。