「22時、か。」 誠人が昨日の昼に時任を連れて出て行ってから丸一日以上帰ってきていない。別によくあることなんだけど、何かいやな気がする。2人で出かけて連絡なく遅くなる時は、何か事件に巻き込まれることが多い。いつも気付けば一人取り残されて、誠人とその相棒の時任がボロボロになって帰って来るんだ。 あれ。私、誠人の何なんだろう。 ****************** ピンポーン 「百合、開けて。俺。」 一日ぶりなのに、なぜかやけに懐かしく感じる声が聞こえてきた。恋しくて待ちわびていた大好きな声に、帰ってきてくれてありがとうと感謝する思いで彼らを出迎えるつもりだった。 「おかえり…って、どうしたのその怪我?!」 「んー。何でしょうね。」 「…っ、こんな時までとぼけて〜っばか!」 「ゴメンゴメン。でも百合には迷惑かけるつもりないよ、大丈夫。」 「何それ、そういう事じゃないでしょ。…もういい、とにかく手当てするから早く入ってよ、ほら時任も。」 「お、おう。」 百合は怒りと悲しみからか、何とも言えない表情で先に一人リビングに向かった。その後ろ姿を2人の男たちは眺める。 「久保ちゃん、百合何か今日やたらと機嫌悪くねえ?」 「うん、そうみたいね。そろそろ…潮時かな。」 「それ、どういう意味だよ久保ちゃん。」 「ん?そのまんまの意味だけど?」 「…まじかよ。俺、百合いなくなるのとか、いやだぞ。」 「…時任?一人で勝手に考えない。別にそういうことじゃないから。百合次第。」 「あぁ?難しいこと言うなっつーの!」 「大丈夫だから、安心しなさい。」 久保田は笑いながらそう言い、靴を脱ぎリビングへと向かった。 やっぱり私は無関係で誠人とは相容れない、誠人には私は必要ない。どれだけ誠人が私のことを好いてくれようと、ある部分で私を突き放そうとする。 もちろん、彼らが住んでいる世界が普通ではないことは承知の上で百合は久保田についていくと決めたのだ。しかし、久保田は百合に距離を置いて、知らぬ間に百合は置いてきぼりなのだ。たとえそれが誠久保田なりの優しさであっても、今の百合にはつらかった。 「…ばか。」 ********************** 「はい、時任もこれでおしまい。」 「さんきゅ。」 「今回はそんなにひどくないみたいだけど…」 異様な雰囲気がリビングを包む。そこから先は何も言いだせない、けど今日は言わないと先に進めない、そんな気がした。 「百合、ちょっと話そうか。時任ごめん、席外してくれる?」 「…おう、じゃあシャワー浴びて先寝るわ。」 「悪いね、時任。」 時任はいつもなら仲間外れにされることに抵抗するはずだが、今日は何かを感じ取ったのか、空気を読んでいさぎよく浴室へと向かった。 「百合、こっちおいで?」 ソファに座っている久保田が百合を手招きし、横に座らせた。 「…誠人、なに?」 「うん、百合もこんな俺らと一緒に暮らしてると、すっごくハラハラすると思うわけ。いろいろと思うこと、あるでしょ?百合の今の気持ち、言ってごらん。」 「…うん、まあ何というか。こんな怪我して帰って来るのを見るのは、正直心臓に悪いよ。心配だってするし、私はどうしたらいいのかわからないし、手当くらいしかできない。」 「うん、」 「でも、誠人のこと好きだし、一緒にいたいって思うし、」 「うん、」 「でも、一人取り残されてる気がしてさみしくて、私は誠人の何なのかなって思ったりしちゃうの。」 「うん、」 「誠人が私のことを大切にしてくれてるのは十分にわかってるし、だから何も言わずにこんな姿になって帰って来ることだってわかってる…つもり。」 「…」 少しずつ自分の思いを口に出す百合に、久保田は煙草をふかせながら相槌を打ち、聞いていた。 「けど、誠人が足りないの。私、わがままなのかな?誠人がこんなに近くにいるのに、やけに遠く感じるよ…」 百合は横にいる久保田に手を伸ばし、触れる距離であるのに触れずに手を握り、そのまま自分の膝に置いた。 「百合、俺はここにいるよ。」 久保田は百合の拳を上から握り締め、もう一方の手でいつものように煙草を持ち、ふかせた。 「百合にはさみしい思いをさせてるね、俺ってば。どうすれば百合のことを傷つけずにすむかって考えて、結局置いていくことを選んで一人にさせて。」 「私には誠人がいてくれればそれだけでいいの、自分がどんな傷を負おうと、そんなのへっちゃらなの、誠人さえいてくれれば…」 泣きだしそうな声で百合は顔を下に俯かせて言った。それを見た久保田は煙草を灰皿に押し付け、百合の顔を覗き込んだ。 「ごめん、これは俺のわがままなの。俺はここにいるから。」 「うん、誠人はわがままだ。」 顔をあげ、泣きながら笑う百合の顔を見て久保田は心を痛めた。こんな表情をさせたかったわけではない。大切にしたいだけなのに。 久保田はあることを決めていた。いつ言いだそうかと思いつつ、このことが百合にとって本当にいいことなのかとずっと迷っていた。しかし、これは今言い出すしかない、と決心した。 「百合、結婚しようか。」 「………え?今、なんて…」 「結婚しようかって言いました。」 「どこから、そんな事が…」 百合は驚きながら突拍子におかしなことを言い出す久保田に少しあきれた表情で笑った。 「んー。さみしがりでどうしようもない百合ちゃんに、久保田さんからのプレゼント。久保田って名字と、あとー…」 「あと?」 「子どもでも作りますか。」 「…はあ〜?!」 「留守番してる間も一人じゃなくなるでしょ?俺との子ども、欲しくなぁい?」 「そんなこと、急に言われても…」 「でも、厭じゃないでしょ?」 「そりゃぁ、まあ。うれしいけど…」 「んじゃ、決定。」 「ちょ、ちょっと、ほんとに?」 「ほんと。…ああ、ここはちゃんとしますか。」 そう言いながら席を立った久保田は自分の部屋に戻り、少ししてから戻ってきて再び百合の横に座った。 「何?」 久保田は少し百合に向き直り、真剣な顔をした。 「百合、俺と結婚してください。」 そう言いながらポケットから小さな箱を百合に差出した。その一連の動きを百合はまるで他人事かのようにボーっと見ていた。 「百合、返事は?」 「え、ああ。えっと…」 「百合、落ち着いて。」 久保田は百合の慌てている姿に愛しさを感じながら頬が緩んだ。そんな久保田の表情に百合は幸せを感じて再び涙が出てきそうになった。 「こういう時、なんて言えばいいの?」 「んー、喜んで、とか。」 「…うん、わかった。喜んで。」 「うん。じゃあ手、ちょうだい?」 久保田はそう言い百合の左手を掬い取り、薬指に指輪を嵌めた。 「うん、ぴったし。」 久保田は満足げに百合の左手の薬指を眺めた。 「誠人、どうしよう。」 「ん?どうした?」 「嬉しすぎて泣きそう。」 「うん、いいんじゃない?」 そう言い、久保田は百合の身体を引き寄せ、抱きしめた。百合の背中をトントンと優しくたたきながら、百合の身体を強く抱きしめた。 「ふっ、うう。誠人のばかぁ。」 「うん、」 「もう一人はやだよぉ」 「うん、」 百合は体を久保田からそっと離し、久保田の優しい表情を見て思った。ああ、幸せすぎる、と。 「百合、カワイイ。」 「恥ずかしい。」 「カワイイ。」 「うるさい、」 「カワイイ。」 「もう!」 百合は照れて顔を横に背けた。 「顔、赤いね。」 「誠人のせいだからね。」 「うん、そうだね。」 「ばか。」 「うん、百合、こっち向いて。」 恥ずかしがってなかなかこちらを向かない百合の顔を上向かせて、額、ほっぺ、唇と順にちゅっとリップ音を立てて軽く口づけた。 「誠人、」 百合はくすぐったそうに体を身動ぎし、久保田の顔を見つめた。そしてどちらともなく深く口づけをした。久保田は百合のうるんだ瞳とほっぺに欲情し、今すぐにでもここで百合を犯してしまいたかったが、理性を保たせ身体をひいた。 「百合、ありがとう」 「…うん。こちらこそ、ありがとう。」 「どういたしまして。」 「誠人、大好き。」 「うん、俺も。」 「ちゃんと言って。」 「わがままだな〜。」 「わがままなのは誠人もでしょ?」 「うん、そうだった。でも、そんなわがままな百合のことが、大好き。」 「うん、知ってる。」 二人はおかしくなって声を上げて笑った。幸せな家庭が築けますように、そう願いながら。 end |