長編小説

□Gatto-April-
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「ん?」
大学に入るとすぐにある掲示板に人だかりができていた。教授たちからの連絡は電子掲示板に表示される。人が少し空いたのを見計らって見てみると、自分がとっていた講義の休講の知らせだった。

「げっ…肺炎で休み?松上先生なにしてるんだか」

「“バルバロイ”は風邪でぶっ倒れて、そのまま病院に連れて行ったら、肺炎だったらしいぜ?」
「西…おまえか。おはよう」
「はよ。今日も相変わらず猫の毛、ついてんぞ」

そう言って私の頭に手をのばし、白い多分ビアンカの毛であろうものを取ってくれたのは同期の西 恭輔(にしきょうすけ)だった。
彼は世話焼き上手で先生たちの評判も良く、様々な情報を知っていてこうして良く話しかけてくるうちの一人だった。

「ずっと気になってが…バルバロイってなんだ?」
休講の知らせをみた私達は一限目の講義に向かうべく歩き出した。
「あ?洋一しらねぇの?えーと、確か…」
「古代ギリシャ人が異民族を蔑んでよんでいた名前のことだ。…おはよう、洋一」
「犬伊崎…おはよう」
西の会話に突然入ってきたのは同期の犬伊崎 安曇(いぬいざきあずみ)だった。彼も同じ講習を受けるためか、入学当初からよく話しかけられていた。

「おっはよう犬!俺はスルーかっ」
「おはよう西。取り合えず、その名で呼ぶことをやめたら無視しないでやろう」
「えーやだ。つまんねぇじゃん」
「…さ、洋一行くか 。馬鹿は放っておけ」
「ひでぇ!」
これが彼らのコミュニケーション。毎朝のことなので気にしなくなった。

教室にはいると毎回のことだが視線を感じる。
理由は明白だ。
「あ。恭輔おはよ!」
「おう。朝から元気だなー」
「おはよー恭輔!あ、二人もおはよう」
「おはよう」
「…はよ」
「お、きょーすけじゃん!はよー」

西はもともと人当たりも良く友達も多い。入学したてだというのに、ともに歩くたび様々な人から声をかけられる。
極めつけは−−視線。
隣にいるとわかるが、どうやら値踏みの視線、らしい。
最初はなぜ見られているか本気で分からなかった為、私の顔に何かついているのかと思わず顔をさすってしまった。

ふと、左隣を見ると犬伊崎が先に行って、いつもの定位置に荷物をおいているところだった。私も、西がまだ此処に留まるだろうことを予想して犬伊崎のところにいった。

隣に腰を下ろすと不意に犬伊崎がこちらを向いた。
「ん?なんだ?」
「いや。…そういえば、洋一は呼びづらくないか」
「?なにが」
鞄から筆記具を出しながら私は問い返した。

「苗字のことだ。犬伊崎、は長いだろう」
「ん。確かに」
素直にこくり、と頷く。それに犬伊崎は面食らったようでではなぜ、という顔をした。
「名前って大事だと思う。確かに長いけど、珍しいし、いい苗字だと思う。それとも犬伊崎は名前で読んで欲しいのか?」
「それはやめてくれ」
あまりの即答に今度は私が面食らった。
「あ、いや…他意はない。名前で呼ばれるのは苦手なんだ」
黒縁メガネの奥の目が少し焦っているように見えた。名前で呼ばれたくないのだろうか。確かに彼の名前は安曇といってあまり、というか私が今までで会ったことのない名前ではあるが。

「今までなんて呼ばれたんだ?」
「…専ら"犬"だな。あとは苗字」
「ふーん。じゃ、私が新しくあだ名を考えよう」
「あだ名、か」
「そう。私は"ネコ"だったが」
「ネコ?好きなのか」
そう言われて私はかぶりを降った。

「いや…愛してるんだ」

そういって微笑んだ私に犬伊崎は顔を背けた。
「?どうかしたか」
「……いや、なんでもない」
「?まぁいい。そうだな…犬。うーん。シアン、はどうだ?」
「シアン?」
表意をついた名だったのだろう。戸惑った様子の犬伊崎を放って、私はノートを広げた。
「Chien、こう書く。フランス語で犬という意味だ」
えへん。とした私の様子にまた犬か…と犬伊崎はつぶやいた。
「まぁ、犬より全然いいな、確かに」
「だろう?じゃ、きまりだ」
「あぁ。ありがとう。でも」

採用された喜びいっぱいの私に"シアン"はストップをかけた。
「でも?」
首をかしげた私にシアンは耳元に口を寄せた。
「"犬"に名前をつけるなんて、これから洋一のことをご主人様とでも呼ぼうか」
「!」

(な、なななっ)
(冗談だ)
(はぁ…)
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