君影草

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明治十一年

滋賀県大津

天気 大いに曇り






「ぶわっはっはっは!お兄様に勝とうなんざ百兆年早ぇえー!!」



台所でお茶を淹れる鈴蘭は、庭先から聞こえる天火の独特の笑い声に耳を傾けた。
いつもながらその明るい声に、無事に帰って来てくれたと頬が緩む。
曇天に負けない彼らの底抜けの明るさは、いつだって鈴蘭を元気づけてくれる。

そんな事を考えていたらふと、湯呑みの乗ったお盆が目の前から消えた。
突然の事に軽くまばたきを繰り返す鈴蘭の横から、優しい声が掛かる。



「淹れてくれてありがとう。これは俺が運ぶよ」

「白子。大丈夫よ、私が運ぶわ」

「人数が多くて思いだろ。鈴蘭はそっちをお願い」



そっち、と云われて白子の視線を辿れば、美味しそうな練りきりが目に入る。
彼お手製の和菓子はいつも、食べるのが勿体無い程に綺麗だ。



「ありがとう。そっちはよろしくね」

「うん、任せて」



にこにこと笑う白子に負けて、鈴蘭は和菓子のお盆を持ちながら庭を目指す。
途中で、自分にも稽古をつけて欲しい、と頼む宙太郎の声が聞こえてきて嫌な予感がした。



「稽古もいいけど怪我はしないでくれよ……って」

「少し遅かったみたいね」

「やー、ハリキっちまった」



嫌な予感は見事に的中してしまい、二人は苦笑いを零す。
お盆は白子に任せて鈴蘭は自室へ向かった。



「(そう云えば、包帯がもうなくなるんだった。それに消毒液も……。今度先生の所に行かなくちゃ)」



空丸と宙太郎の手当てのために救急箱を確認していたら、不足しているものが目に付く。
必要なものを書き出せば意外と多く、思ったよりも時間を費やしてしまった。



「空丸、宙太郎。手当てをするからこちらに……」

「まだ逃げた罪人がいる!?」



戻った鈴蘭が二人に声を掛けるも、空丸の大声にかき消されてしまった。
仕方なく白子の隣に腰を下ろし、会話に耳を傾ける。
ばつが悪そうにお茶を啜る警官は事の顛末を語った。



「へい。護送していたのは一人じゃなくて」

「見事に隙をつかれ逃げられやした」

「早く云えよ。あんたらそれでも警官か」

「そうか……。その失態、上官には知られたくないだろう」



呆れたように頭を抱える空丸。
その横で天火は立ち上がりながら言葉を紡いだ。
悪い笑みを浮かべて。



「黙っててやるから誠意を見せな」

「兄貴!!!」

「兄上、口元にあんこが付いています」

「おっ、悪いな鈴蘭」

「構いませんよ」

「って、和んでる場合か!恐喝は違うだろ」



警官に銭を要求する天火に空丸が声を荒げる。
天火はその声に不満げに口を尖らせながら、走って玄関を飛び出した。



「俺は裕福な暮らしがしたいっ!!!」

「叫ぶな!はずかしい。仕方ねぇ。行くぞ、宙太郎」

「っス!!」



その背中を追おうと、意気込んだ二人の目の前で戸がピシャンと閉まる。



「何やってんだ!」

「お前等は駄目」



当然怒った空丸はまた声を荒げるが、天火の一言に一蹴される。
悔しそうに眉を寄せ、口を結ぶ空丸に天火は続けた。



「さっき連れて行ってやっただろ。今回はお兄ちゃんに任せなさい」

「……俺だって曇家の次男だ。罪人を獄門処に送り届ける義務がある」

「オ、オイラも!オイラも天兄の役に立ちたい!!」

「空丸、宙太郎。兄上の云う事をお聞きなさい」

「姉貴……」



天火に付いて行こうとする二人を、静かな声が制した。
声の主に空丸が抗議の瞳を向けるも、真っ直ぐな眼差しが返ってくるだけだった。



「鈴蘭の云う通りだ。出来もしねぇ事云ってないで大人しく留守番してろ。てか埋まってろ」

「兄貴!」

「しつこいぞ」



畳み掛ける天火になおも食い下がる空丸。
しかし、天火は首を縦に振らなかった。



「足手まといはいらねぇ」



それどころか、更に冷たく突き放す。
空丸は警官と共に階段を下りる天火の背中を睨み続けた。

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