君影草
□04
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夜中、街も寝静まった頃。
近江の空を一人の忍が音もなく駆ける。
そして曇家の屋根裏に忍び込み、天火の部屋の上まで来ると絶っていた気配を現した。
天火と鈴蘭もそれに気付き、振り返りながら笑みを浮かべた。
「おう。お帰り白子」
「お帰りなさい」
「ただいま」
「どうだった?」
「今のところ動きはないみたいだ」
「……そうか」
白子とのやり取りに天火は考え込む。
「空丸達は?」
「とっくに寝たぜ。今日は濃かったから疲れたんだろうよ。手当ては鈴蘭がしてくれたが、明日一応診療所に行かせる」
「空丸、あの事思い出したのか?」
あの事、と云った白子に鈴蘭がぴくりと反応する。
空丸の首筋にあった傷と、何かに怯えるような様子。
手当てをしながら鈴蘭の脳裏に過った想像は、残念ながら現実のものらしい。
「兄上、まさか……」
「いや。首絞められた事で断片的に蘇ったんだろ。出来ればこのまま忘れててくれよ」
目を伏せて遠くを見つめる天火に、鈴蘭は内心ほっとした。
どうやら最悪の事態だけは免れたようだ。
あんな哀しい出来事、思い出す必要なんてない。
「っと、悪いな。毎回厄介な事ばかり頼んで」
「こんな事しか出来ないけどな。俺に出来る事ならどんどん使ってくれ」
「白子」
「阿呆か!使ってんじゃねぇ、頼ってんだ」
ガスッと机の下から白子を足蹴にする天火。
鈴蘭も同じ事を考えていたため、彼の暴力を止めなかった。
「白子、外は冷えたでしょう。今温まるものを持って……兄上?」
「だいじょーぶだ!これがあるからな。おら、付き合え」
「天火、空丸にまた怒られるよ」
これ、と云って天火がちらつかせたのは酒瓶。
白子は眉を下げて笑いながら天火を窘めた。
「なら何か摘まめるものを持って来ます」
「おう!頼むわ」
「え、いや……今日はちょっと」
「きーこーえーねぇー!!明日は仕事ねぇし!なっ!?ちょっとだけ」
「……ちょっとだけだぞ」
結局、白子が折れてお猪口を手に取る。
天火は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
酒の肴を持って来た鈴蘭も強制的に加えられ当然、ちょっとだけ、ではない酒盛りになった。
「呑ませ過ぎだよ、天火」
「すぅ……」
「だってぇ、鈴蘭酔うとちょー可愛いんだもん。いや、いつも可愛いけどな」
酔いが回って寝てしまった鈴蘭を眺めながら、天火はだらしなく頬を緩める。
そんな天火を若干呆れたように一瞥した白子は、彼の膝で眠る鈴蘭を抱き上げた。
「だからって……。ほら、俺は鈴蘭を部屋に運んで休むから、天火も早く寝なよ」
「いや!鈴蘭は俺が運ぶ!」
「ふらふらしながら何云ってるの。途中で落としたりなんかしたら、空丸達に怒られるだけじゃ済まないよ」
「うぐ……」
「じゃあ、おやすみ」
「おう」
駄々を捏ねる天火を何とか云いくるめて鈴蘭を運ぶ白子。
今は幸せそうに眠っている鈴蘭だが、気苦労が絶えないのだろう。
うっすらと目の下に出来た隈に、こちらの方が心配になる。
だからせめて今だけは。
「良い夢を、鈴蘭」
まるで願を掛けるように白子は鈴蘭の額に口付けを落とす。
一度だけ振り返ってから、部屋を出て隣りにある自室へ向かった。