12/12の日記

01:17
ゆーじ
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我が輩はゆーじである
ガチホモでわない



『幸』について語ろうと思う

そもそも
幸せ、幸福、幸運
それら『幸』とは何か

ケータイの辞書によると

こう【幸】
運がよいこと。しあわせ。さいわい。

だそうだ



だが
私は少し違うと思う

確かに
運がよいこと
さいわいなこと

大いに結構

それらも『幸』である

しかし
運がよいと
さいわいだと
いつ気付くだろうか
どんな時気付くだろうか

それは
そうでない時
ではなかろうか

つまり
極端な話しをすれば

運が悪いと思っていた時に
運がよいことが起きると
『幸』を感じる

もっと言えば
運が悪くないと
運がよいことに『幸』を
感じない



このそうでない時が
重要だと私は思う

そうでない時が無ければ
『幸』を感じる事もまた無くなる

だから
ただ単に

運がよい
さいわいである

だけではなく
逆の『気付く要素』である

運が悪い
さいわいでない

それもまた一種『幸』である
と私は思う



そして
ここからは
たかだか18年間の
経験論になるのだが…



そうでない時が
深ければ深い程に
長ければ長い程に
大きければ大きい程に

小さなよい事に
大きな『幸』を感じる



そんな
当たり前のような事を
愚直に信じて私は生きている

よく「若い内の苦労は
買ってでもしろ」
と言う

全くその通りだと思う

つまり
そうでない時を
たくさん経験して
『幸』をたくさん感じろ

と言う程の意味だろう



おそらく
最後まで読むもの好きは
居ないだろうけど



最後に一言



そうでない時を過ごしましょう



☆コメント☆
[けい] 12-12 11:35 削除
ゆーじの日記深いwww

[通りすがり] 12-12 18:15 削除
今ちょっと辛いのでこの文章が心にしみました。

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