陰陽小説部屋

□風のソネット(少陰現)
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 美しく着飾った男女、さざめく人声、華麗な大広間には令嬢や令息の奏でる音楽が次々に披露される。ご馳走、世界各国の銘酒、パティシエやショコラティエが腕によりをかけた鮮やかなスイーツがまるで宝石のようにテーブルを飾る。
 お菓子に目がない少年はさっきからその側を離れていない。家ではおやつの時間がないので、自分で買う以外はデザートにしか出ないからだ。
「美味しい〜チョコレートって世の中で一番美味しい食べ物だよね」
 満面の笑みを浮かべる真浩を紅蓮はいささか呆れた目で見た。
「ほどほどにしておけよ、今日は演奏するんだろ」
 真浩が大人のパーティに参加するようになって一年と数ヶ月、未だ楽器の演奏を引き受けたことはない。
 演奏と云ってもプロではないので、親達が自慢の子供を披露したいだけだ。彰子や土御門家の三男雪也のような名手もたまにいるが、殆んどはお上手で、で済まされるような金持ちの道楽レベルである。
 真浩はフルートを吹き、腕前はなかなかのものだ。成人するまでに身につけるものの条件に楽器も入っていて、笛ならば腕に覚えがあったので習ってみた。指使いを覚えてしまえば、感覚はむしろ竜笛よりも難しくない。
 だが人前で目立つことをするのが好きではないので今まで吹けることを黙っていた。
「大丈夫だよ、まだ三つだもん」
「そっちかよ…」
 今日の真浩は正装姿だ。少女のように可憐な面立ちで長髪なので男装に見えなくもない。楽器は預けてあるので手ぶらだ。最初は浩之に付いてきちんと挨拶周りはした。その時の鬱憤をチョコレートで晴らしているのだ。
「それにしても、なんで急に演奏することになったんだ?」
 勾陣が訊く。ちなみに彼女はドレス姿でそこに居るので招待客の一人に見える。常日頃からやむを得ず夜警に出る時やパーティは人型を取った彼女が護衛につく。
 夜と云っても東京は四六時中人がいなくなることがない。中学生が一人でふらふらうろついていれば間違いなく補導される。勾陣が一緒に居れば保護者に見えるのだ。
 ちなみに紅蓮はいつも物の怪姿で共にいるので、初めは護衛を六合、青龍、太裳と変えて試してみた。それぞれ人型を取れば髪も目も黒っぽくはなるものの、六合と青龍は長身で長髪でおまけにとびきりの美男子で、悪目立ちした。太裳は身長こそ二人より低いが、男とも女ともつかない艶やかな美しい顔立ちでやはり目立つ。太陰と玄武は保護者に見えないので除外。朱雀と天一は真浩のたっての願いで常に倉橋家に居るので除外。天空も異界に居るので除外。白虎と天后は人型をとっても日本人に見えない髪と目の色なのでやはり除外。残るは勾陣だけなのだ。
 勾陣も背が高く素晴らしいプロポーションをした美女で、目立つことは目立つ。だが美しい男と違って美しい女は意外と人の印象に残らないものなのだ。
「それは黒田が話したからだよ」
 四つ目のトリュフを口の中に入れ、真浩はうっとりと目を閉じる。黒田とは真浩のクラスメイトで同じ上流階級の子弟だ。今年の新入生歓迎会で真浩は吹奏楽部の助っ人として入りソロを吹いた。今までも時々入っていたが、ソロを吹いたのが初めてだったのでそこで真浩の腕前を知り、家で話題に出したらしい。
「それだけでは引き受ける理由にならないだろう?」
 勾陣が首を傾けると艶のある黒髪がさらりと揺れた。
「わざわざ新しいフルートも買っただろう」
「うん、まあね…それについてはまたあとで説明するよ」
 真浩の目は人波を泳ぐようにすり抜けてくる華奢な人影を捉えた。
「彰子!」
「真浩、勾陣さん、騰蛇さん、今晩は」
「今晩は」
 紅蓮は黙ったまま頷いた。真浩は変わらず紅蓮と呼ぶが、彰子にはそれは主に貰った名だからと説明して納得してもらった。彼女は相変わらず賢く、気高く優しい少女だ。悲壮な運命に翻弄されていない分、幾分明るい気もする。繊細なレースが美しい白の膝丈のドレスを着ていた。まだデビュー前なので夜会服ではない。長い艶やかな髪を一部結ってリボンをつけている。
「とっても似合ってる」
 可愛いよ、と心の中で付け足す。口にするのはまだ恥ずかしくてできない。彰子はにっこりと微笑んだ。
「ありがとう真浩、今日は楽しみにしてきたのよ。何を演奏するの?」
 彰子の顔も期待に輝いている。彰子は同じ音楽教室に通っているから真浩のフルートを聴いたことがないわけではない。
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