二次小説部屋

□HOLIDAY(近畿)
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 枕もとで優しい気配がした。ゆっくり覚醒していく意識の中で聞きなれた美雪の声がそれに何か応えるのを聞く。彼女は一人ではないようだった。
 ぼんやりと目を開ける。
「あ、はじめちゃん起きたみたい。あたし、ジュースか何か買ってくるね」
「いいよ、顔見に来ただけだし、すぐ帰るから・・・」
 遠慮から出た言葉だとわかっているからか美雪は笑うと、寝ぼけた顔のまま彼女を見ている一に目を止める。それから目を細めて彼女独特の可愛いらしい笑顔を作った。
「どうせそのわがまま坊主が飲むって云うわよ。何がいい?」
 病室を横切りながら訊いた彼女に振り返って、一の枕元に座っていた耕助が答える。
「じゃあ、コーヒーを」
「わかったわ」
 それを口実に彼女が席をはずしたのだと云うことは一にはわかっていた。別にそんなに気を遣わなくてもいいのだが、美雪はそういうことにはよく気が回るのだ。
 出て行った彼女に向けていたのだろう優しい笑顔のまま、耕助が視線をベッドに横たわっている一に戻した。目が合った瞬間、ふとその瞳がくもる。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「いや、毎日嫌って云うほど寝てるから」
 一は寝起きでいささか回転の鈍っている自慢の頭脳を叱咤した。そこに座って自分を見つめている人物が不破耕助だと云うことはわかるが、その彼が何故ここにいるのかまでは思い至らなかったのだ。ともかく折角見舞いに来てくれたのにいつまでも寝ていてはと、体を起こそうとすると、耕助はそれを押し止めようとする。
「傷はもう大丈夫? ごめん、僕全然きみが入院してるなんて知らなくて・・・」
「ああ、そうか」
「え?」
 合点がいった一の呟きが聞こえたのか、耕助が訊き返す。
「ん、何でもない、こっちの話。いいのいいの、どうせ盲腸なんて病気のうちに入んないから。学校も休めるし」
 冗談めかして云った一に、耕助は乗ってはこなかった。彼の性分ならば仕方がないと思うが、そもそも一に彼の友人の手紙が渡った時にはまだ元気だったのだ。耕助が気に病む必要はない。
「本当にごめん、それに呼びつけておきながら僕行けなくて・・・」
 また体を起こそうとした一に気遣わしそうな視線を向けながら、今度は耕助は手を伸ばして枕を背中に当てるのを手伝ってくれる。そんな動作がごく自然で無理がなく、彼が常日頃どんな人間なのかがあまり親しいとは云えない一にもわかった。だからその耕助の言葉には社交辞令ではなく、当然頷けない。
「俺も引き受けておきながら結局行ったのは美雪だし、あいこだろ」
 彼の云いたいことが違うことはわかっていたが、それでも耕助がその場にいなかったことを幸運だと思っていた。彼の表情が晴れないのは、一のこともあるが、解決までには結局何人もの命が奪われたという事実が頭から去らないからなのだろうと思う。麻痺してしまってはいけない大事な感覚だが、その点に関しては一は語る資格が自分にはないような気がしている。だから彼の心の襞がその痛みを忘れないでいることが羨ましくもあり、また一方ではつらくもあった。現実に見たわけではないのだからまだいいが。
「そうだね、でも七瀬さんにも迷惑かけて・・・」
「あいつはいいんだよ、いつも邪魔だって云うのにくっついてくるんだから、たまにはいい薬だって」
 事実とは違うことだと耕助にもわかっているのか、ふと表情に明るさが差した。綺麗な口元に小さく笑みを浮かべると、
「仲がいいんだな。羨ましいよ」
 一の心臓が止まるようなことをさらっと云う。口調に邪気がないのが救いだが、だからと云って本当に作為がないのかどうかはさすがの一にもわからない。
「よくないって・・・ほんと、くされ縁だってだけで・・・」
 珍しく慌てたように早口になった一に、今度ははっきり笑っているとわかる顔で耕助は訊き返した。
「そうなのか? はじめって七瀬さんと付き合ってるってみんな云ってるけど」
 一は何も飲んでいないのにいきなりむせ返った。動揺するから面白がっているのだとはわかるが、何故そんな噂を耕助が知っているのか。
「・・・みんなって誰だよ、うちの学校に友達でもいる・・?」
 長い間この街を離れていた一と違って耕助は地元育ちだ。中学が同じだった、などと云う奴が不動高校に通っていてもおかしくはない。おもわず伺うような顔になった一をおかしそうに見ると、耕助はさらに吃驚するようなことを云った。
「うちの学校でも有名なんだよ、きみ」
「ええっ!? 何で!?」
 確かに耕助の通う天神学園とは私鉄の駅を挟んで30分も離れてはいないが、校風の違いからか学校間の交流と云うものはあまりないのだ。
「何でって・・、自分のことはあんまりわからないもんなんだね」
 ごまかしたのではないだろうが、感心したように呟いた耕助に一は不安を感じた。知らないところで自分のことが話されていたりすると云うのはあまり気持ちのいいことではない。だいたい、良いことであるとはあまり思えないし。
「・・・なあ、それってどういう風に有名・・・」
 そう云えば耕助の血の繋がらない姉のことは前に一も校内で耳にしたことがある。上級生が廊下で天神学園に美人がいる、という話をしていたのだ。名字が違うのでその時には彼の姉だとはわからなかったのだが。
 でもまさか、この顔で有名になれるとは思わない。今、目の前に座っている少年のような造作ならともかく・・・。
 そこまで思って初めて耕助の顔をまじまじと一は見つめた。人づての顔見知り、というていどの付き合いでしかなかったのだからよく見たことがなくて当然なのだが。興味がないので気にとめたことはなかったが、美雪やクラスメイトに訊いたらひょっとして耕助を知っている女子が何人かはいるかもしれない。
 訊いておいていきなり黙り込んだ一を、不思議そうにその濡れたような黒い瞳で耕助はのぞきこんだ。
「どうしたの」
「な・・なんでもない、それより、だから何で」
「何でって、はじめ自分が有名人だって自覚ないんだな、新聞とかにも載ってるくせに」
「あ、そういうこと・・・」
 頭はいいらしいけどそうは見えないとか、授業中寝てばかりで成績は悪いとかそういうことではなくてよかった、と胸を撫で下ろす。心配するまでもなく、他校の生徒がそんなことを知っているわけはないのだが。
「うん、それでいつも七瀬さんも一緒だろ、だから・・・」
 話題を振ったのは耕助だが、思ったよりも一が大袈裟に反応したので、もしや云ってはいけないことだったのかと遠慮がちに言葉を濁す。顔が知られている分、一がプライベートを詮索されるのを嫌うのではと思ったのかもしれない。
 だが、一が動揺しているのはそれが事実ではないからだ。どうせ耳聡い美雪のことだから、とうに承知で知らん顔をしているのだろうけれど。そう思うと余計に気が重くなった。
「あー、だからそれがくされ縁なんだって・・・」
 短い自分の髪に手を入れてぐちゃぐちゃにかきまわす。ぶつぶつ云いながら横目に見上げると、耕助はこの短い間にもう一が見慣れてしまった、いつもの笑みを浮かべていた。
 向けられた誰もが思わず笑い返してしまうような優しい微笑に、ふと何か引っかかるものを感じて一は真顔になる。
 その瞳に一でなければほとんど気づきもしないくらいのわずかな影があるのを、先刻は自分のせいだと思ったのだが、もしかしたらそうではないのかもしれない。彼はもっと、何か深い悲しみを自分の中に抱えているのではないか。上手く表現できないが、犯した罪に自ら縛られている罪人のようにそれが彼を奔放にすることを拒んでいる。一が今まで数限りなく目撃し、時には追い込んできた人々の目の色に似た、底のない哀しみ・・・。
 でもまさか、耕助に限ってそんなことがあるわけがなかった。付き合いの浅い一にもそれだけは確信できる。彼は罪を犯すような人間ではないし、もし不可抗力でそうなったとしてもそれを隠したまま生きていけるような厚顔さを持っているとは思えない。誰よりも、悪人と呼ばれる人達の心の中に秘めた悲哀を知っている一ではあるけれど。
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