二次小説部屋

□白芙蓉(組)
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「土方さん、入りますよ」
 返事を待たずに障子を開けると、文机に向って何か書き物をしていたらしい土方が視線を投げて寄越す。沖田の顔に目を止めると露骨に溜息をついた。
「いいとは云ってねえだろうが・・・」
「駄目なんですか?」
「駄目とも云ってねえだろ」
 禅問答のような云葉を返して筆を置くと、腰を下ろした沖田に向き直った。手が盆を引き寄せているところを見ると一休みする気になったのだろう。
 いつも部屋に来ると土方はこうやって茶を煎れてくれるので、黙ったままそれを待ちながら部屋の隅に視線を飛ばす。噂は本当だったようでそこにはきちんと畳まれた一組の布団と行李、その上には文箱と何冊かの本が置かれていた。土方の寝所は奥にもう一部屋ある。こんなところに布団を出しているわけはないのだ。
 お気に入りの萩に茶を注いでから沖田の前に置くと、彼の視線の先にあるものに目を向ける。どうせその話に来たのだろうと云うことはわかっていたが。
「ありがとうございます」
 礼を云って湯呑を取り上げる沖田の顔を見ると、柔和だがどこか人の悪い笑みを浮かべていた。
「なんだよ、気持ち悪りいな」
「笑っちゃ悪いんですか」
「そんなことはねえけど・・・何の用だよ」
 俺は忙しいんだと続けられないうちに沖田は口を開いた。どうせ何を云いに来たのかはわかっているだろうが。
「噂は本当だったんですね」
「・・・何だ噂って」
「知らないんですか? 土方さんが馬越くんを稚児にしたって云う・・・」
 飲んでいた茶が吹き出ないように堪えてから土方は盛大に咳き込んだ。気管に入ってしまったらしい。
「大丈夫ですか?」
 体を折って咳をする土方の背を撫でようと沖田が手を伸ばしたところで、気配を察したのか素早く身を起こした。濡れてしまった口元を懐紙で拭うと、相変わらず人の悪い笑みを浮かべている沖田の顔を見る。
「大丈夫じゃねえよ・・・だいだい何だその噂は」
「本当じゃないんですか? だってあれ、馬越くんのですよね」
 指差す方向を見なくてもそこにあるものが何であるかはわかる。今朝起きたあと几帳面な性格の彼は土方の仕事の邪魔にならないように丁寧に畳んでいた。そこまで狭くはないのだが、入ってくる人の目には止まる。
「そうだが」
「でも寝所に入れてあげないなんて、冷たいですねえ」
「違うと云ってんだろうが」
 今日は疲れているのか沖田の軽口に付き合ってくれそうにない冷めた口調で土方は返事をした。出ていけと云われないうちに確認しておかないと、聞き出せなくなってしまう。笑みを引っ込めると沖田は真面目な口調で訊いた。
「何かわけありなんですよね?」
 沖田の声の調子が変わったことに視線を上げると、土方は溜息をついた。答えるまではずっと居座るつもりだろうことは分かっている。さっさと引き上げてくれないと仕事に差し支えるので、仕方なく口を開いた。そのあらましはこうだった。



「副長、入ってもよろしいでしょうか?」
 夕餉も過ぎてあとは眠るだけになった屯所は静けさに包まれていた。土方だけは夜勤の巡察を送り出した後も忙しく書類の整理に追われていたのだが、小さな問いかけが耳に入ると手を止める。いつもならこうやって声をかけてくるのは監察方の人間だが、その声に覚えがなかったのだ。
 首を傾げながら障子に目をやる。
「誰だ」
「馬越三郎です」
 その返事にも首を傾げることになった。彼が自分の部屋に来る用件が思いつかない。だがわざわざ来たと云うことは何か云いたいことがあるのだろう。聞かないわけにもいかない。
「入れ」
「失礼します」
 座ったまま行儀よく障子を開けると一礼してから細身の青年が入って来た。障子を閉め、土方に向き直ると畳に両の掌をつく。
「お忙しいところ申し訳ありません」
 顔を見ると眉間にしわが寄っていて心なしか以前見た時よりも痩せたような感じもする。あまり一人一人の隊士を観察している暇はないので思い過ごしかもしれないが。
「あのう、私事なのですがご相談が」
「何だ、早く云え」
 いつもの土方ならば忙しいのがわかってんなら来るなとでも怒鳴り返すところだが、行灯の明りでもわかるくらいに馬越の顔色が悪い。病気か? と思ったところに馬越は苦悩の溜息をついた。
「夜眠れないのです」
「はあ・・・?」
 思わず呆れた声になってしまったが、それが悩みならば土方にもどうしようもない。医者に行って眠れるように漢方でも処方してもらうしか・・・だが緊急の場合深夜でも起きなければならないからそれは隊士には難しいかもしれない。
「そりゃ俺に云われても」
 しょうがねえだろ、と続けた土方に馬越は重い口を開いた。
「違うのです、・・・あの、副長は最近隊の中で男色が流行していることはご存知でしょうか・・・?」
「はあ、まあそりゃ」
 一応耳に入れた方が良いだろうと判断した監察から聞いてはいたが、その時は特に何も思わなかった。武士のたしなみとまでは思わないが、本人達がいいなら止めることでもないし、血気盛んな若者達が共に寝起きをしているのに女もいない、金もないとくればおのずと方向はそちらに向ってしまうだろう。私闘の原因になるような事態さえ起こらなければ咎めるつもりはなかった。
「報告を聞いてはいるが・・・」
 すがるような馬越の目を見て何が起こっているのか土方は朧げにわかった。この若い隊士はその腕よりも容色で名を馳せているのだ。色白の瓜実型の顔は憔悴しているが、そのやつれも見るものが見れば色気に感じるのだろう。本人達がよければ、と土方は思っていたのだが、望まないのに求められると云うことは想像していなかった。
「眠れねえってのは夜這いされるからか」
 身も蓋もない土方の云葉に馬越は目を見開いた。自分でそれを云うのは恥ずかしいので、助かったとも云えるがやはり聞くのも耐えがたい。真っ赤になって下を向いた隊士を見ると、思案げに土方は腕を組んだ。
 本人が俯いたので遠慮なく観察すると確かに美しい顔をしている。武田が美男に選んでいたことも知っていたが、興味もないので今までは気に留めていなかった。真面目で剣術の腕も立つのだが、その痩躯と美貌で人知れぬ苦労もしているらしい。
「相手は誰だかわかるのか?」
「いいえ、その、一人ではないようなのです・・・」
「・・・大変だな」
 眠れないと云うことは隊士にとっては重大な悩みだ。寝不足で体調が悪ければ命を落とす危険もある。見過ごすわけにも行かないが、いかんせんこの屯所は手狭で一人のために部屋を用意することはできない。助勤でさえ二人部屋なのだ。広いところに移ろうと準備を進めてはいるのだが、今すぐと云うわけにはいかない。
「お前今何人部屋だ?」
「十人です」
「せめて4〜5人くらいがいいよなあ」
 それで夜這いがなくなるのかは疑問だが、外から障子を開けて入ってくればそれなりに気配も読み易いだろう。つっかえ棒をすることもできるし、同部屋の人間は危険ではない者を選べば良いし。とすると次の屯所には最低でも十以上の部屋がいる・・・。
 馬越の話から違う方向へ思考が進みそうになったのを、溜息が引き戻した。馬越は不安げな瞳で真っ直ぐ見つめてくる。剣士なのだから自分でどうにかしろと云いたいところだが、私闘はご法度なのでその不届き者を斬るわけにもいかないし、かと云って襲われろと云うのも可哀想だ。
「副長、何とかして頂けないでしょうか・・・?」
 自分のところに来るまでに随分悩んだのだろうと云うことはその憔悴しきった姿からもわかる。
「お前・・・ここで寝起きするか?」
「え?」
「この部屋ならいくら何でも入っては来ねえだろ、まあ俺が夜中まで起きてるから余計眠れねえかもしれねえけどな」
「・・・よろしいのでしょうか」
「昼間は居てもらっちゃ困るんだが、起きてる時は隊士部屋にいても構わねえんだろ?」
「あの、そうさせて頂ければ本当に助かります」
 平隊士にとっては煙たいだろうに土方の部屋の方が安心できるとは、安堵の表情を浮かべた馬越を見て呆れもするが、それほど悩んでいたのだろう。笑顔になった馬越が身の周りの物を取りに部屋を辞してから、土方も立ち上がって簡単に部屋を片付けた。
 誰かが部屋にいると云うのは試衛館の食客部屋で経験済みだし、よほど疲れていたのか安心しきったように眠る馬越の顔を見て、いつもよりも心が和んだように感じた。



「なるほど」
 頷いた沖田を見ると、湯呑を盆に戻して土方は体を文机に向ける。
「わかったらさっさと行け」
「どこへですか?」
「どうせ様子を探って来いと云われたんだろ」
「・・・ばれましたか」
 照れ笑いを浮かべて頭を掻くと、文机に向って筆を取った土方の横顔を見る。確かに馬越は綺麗な顔をしていると思うが、今ここで自分の存在を無きもののように書類に集中し始めた人物の方がずっと何倍も美しいと思うのだが。黙っていればの話だが。確かめたわけではないが、馬越が狙われるのだってこの人には手が届かないと分かっているからじゃないのか? と沖田は思う。二人は似ているわけではないが、色が白いところとか、痩せていてなで肩のところとか、髪が艶があって豊かなところとか、普通男に対して使わない云葉の部分が何となく共通しているように思う。
「でも珍しいですよね、優しいじゃないですか。土方さんだったら『自分で始末できねえんだったら犯されろ』とでも云うかと思いましたよ」
「総司」
「違いました?」
 名前を呼ぶその声に含まれた呆れた響きを感じてはいたが、無視してしれっと返事を返すと、視線を寄越した土方は常には見ないような顔をしていた。沖田には珍しくはないが、ここで見ることはあまりない。少し困ったような悪戯な笑みをその桃色の唇に浮かべているのだ。
 流し目で見られた沖田が云葉を詰まらせると、その色っぽい笑みを濃くして土方は云った。
「あいつの気持ちはわからんでもねえからな、男に夜這われるのはぞっとしねえよ」
「・・・」
 絶句した沖田を今度は冷たい目で一瞥すると、筆を置いて土方は白い手を振った。
「わかったら仕事に戻りなさい」
「・・・はい」
 黙って頷くと沖田はすごすごと副長室を後にした。
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