二次小説部屋

□冥土の飛脚(組)
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 降り出した雨に藤田五郎は天を仰いだ。斬り結んでいるうちに自軍とははぐれてしまったらしい。夕闇の峠道には敵の姿もなく自らが斬り捨てた屍が転がっているのみだ。いつからこうやって一人山中を彷徨い歩いているのかもうわからない。鉄砲が主の近代戦とは云え、弾を撃ち尽くしてしまえばあとは白兵戦になる。そうすれば鍛え上げた自分の腕がものを云う。役に立つだろうと思っての参戦だが、訳はもっと深い処にあった。
 従軍すると云った藤田に上司は怪訝な顔をした。首都の警官の殆どは薩摩藩出身であったから、元会津藩士の藤田には肩身が狭い職場だった。藤田、山口次郎は先の戊辰戦争の折り、篭城した藩主松平容保と共に最後まで会津藩を守って戦った。降伏の時に新選組隊士としての名乗りを上げようとした山口を、周りの藩士達がこの人は会津藩士だと云い張って庇ってくれたのだ。だがその薩摩が明治政府と袂を分かち衝突が避けられない事態に陥った今、軍人でなければ闘いに赴く義務はない。むしろ、郷里に引き上げた薩摩出身の警官の穴を埋める人材として期待されている部分の方が大きいだろう。それを推してどうしても従軍する意思を固めたのは相手が薩摩だったからだ。
 余人にはわかるまい、と藤田は思う。常日頃無口であまり自分の我を押し通す方ではない藤田の決意に、上司は会津出身であるからか、と呟いた。それは半分は当たっている。だが残りの半分こそが彼をこの戦場に赴かせたのだ。
 容易ではないだろうが自陣に引き上げるべきか、暫し立ち尽くしたまま藤田は自嘲した。周り中全て敵兵に囲まれ戻ることもままならなくなったのは初めてではない。
(あの時も何度も死地を切り抜けた)
 鳥羽伏見で、会津で、雨あられと降る敵弾の中を死に物狂いで駆け抜けたことは一度や二度ではない。藤田自身がそれを望んだこともあるが、彼が自分の技量を信頼して無茶とも思える作戦に行かせたからだ。だがどんなに窮地に追い込まれても駄目だと思ったことはなかった。生きてあの人の下に帰る、それがただ一つの望みだったからかもしれない。
 共に死ぬつもりだったのに、それができずに生き残ってしまった時から藤田の時は止まった。謹慎の間知らずにいた土方の最期を伝えられた時から、やはりあの時に命に逆らってでも蝦夷に行くべきだったのか、それとも降伏の時に新選組隊士として処分を受けるべく名乗り出るべきだったのかと悩み苦しんだ。だが藤田は死ぬことはできないのだ。煩悶を抱えながらこの先も生きていくしかないと思っていた時に起きたこの戦。
(あの人はいつも・・・薩摩だけは許せねえと云っていた)
 今の藤田はあの頃の土方に近い年齢になっている。思えば思うほど凄い人だったのだと分った。当時自分は若く、云われるままに腕となって動いていたのにすぎない。今も斬り込み隊としての参戦ではあるが、大局などまるで分らなかった。自分が勝っているのか負けているのかも分らない。
 仇などと名分を云うつもりはないが、自分の手で薩摩兵を屠るたびに贖罪を求めているような気持ちになる。馬鹿らしい感傷だと自分でもわかっているのにやらずにはおれなかった。
 日が山の向こうに落ちようとしている。まったくの闇になってしまう前に味方に合流しなければ命がないかもしれない。疲労した体に鞭打って峠道を下ろうとした時だった。背後にただならぬ殺気を感じて藤田は咄嗟に手に下げたままの刀を振り上げた。白刃が夕闇に煌いて、ガッと腕に重みがかかる。一瞬でも遅れていたら頭を真っ二つに割られていただろう、凄まじい力だった。
 疲れていたにしても気づくのが遅い。自嘲気味に笑みを浮かべながら鍔を跳ね上げると相対した若い薩摩兵を睨んだ。硝煙と埃にまみれたその顔を見て、藤田は息を呑む。まさか、そんなはずはない・・・。
「お前は・・・」
 隙のない藤田の構えに薩摩兵も斬り込んではこない。剣術に覚えのある者である証拠だった。
「市村か・・・!?」
 自分が見たものが信じられないように藤田は訊く。背も伸び、別れた頃の無邪気な少年の印象はない。そこに居るのは凛々しく成長した青年だった。違うと云ってくれることを祈るように返答を待ったが、藤田の顔を見眇めると青年はあっと驚いたように目を見開いた。
「・・・斎藤さん」
 願いは虚しかった。自分の名を、しかも今では知る者もない名を青年が呼んだと云うことが何を意味するのか。驚きのあまり暫く二人は声も出せずに向き合ったままだった。
 数瞬ののち、藤田が静かに刀を下ろすと、市村もそれに従った。自分達が斬り合うことはできない。
「お前・・・何故薩摩に」
 土方が憎んでいたことを知っているだろうに。半ばで止まった藤田の問いに市村は表情を変えずに吐き捨てる。笑顔の似合う少年の面には荒んだ色があった。
「俺は新政府軍が許せないんです」
 明治と改まって何年も経つが、そう呼ぶ気はないようだった。
「薩長土ではなく?」
 今となっては同意義ではないが。だが土方が戦った相手はそうだった。
「違う、俺が憎いのは今のうのうと新しい政府に仕官している恥知らずな奴らのことだ・・・!」
「・・・?!」
 市村が云うのは恐らく最後まで土方と行動を共にした蝦夷共和国政府の首脳のことなのだろう。だが、その時には会津に篭城し、そののち謹慎に処せられていた藤田にはわからない。警察に入ったあと榎本武揚には会う機会があったが、面識がないので興味もなかった。土方の最後を知る人間としての榎本に嫉妬を感じたこと以外には。
「何故だ、お前は何を知っている?」
「斎藤さんは副長の最期をご存知ですか」
 問いかけは胸を刺し貫かれるような痛みを持っていた。藤田の後悔がそうさせるのだろうが、市村の声の苦しさも云葉に険を持たせている。苦しげに顔を歪ませながらも藤田は口を開く。
「・・・五稜郭の降伏の前に、一本木と云う所で銃撃されたとしか」
 市村は引き結んでいた唇を奇妙な笑みに歪めさせた。
「誰が撃ったとは」
「戦っていたのは官軍とだろう」
 市村は笑みを消すと低めた声で云った。まるでそれを口にするのを戒められてでもいるかのように苦しげに。
「副長は後ろから撃たれたんだ」
「・・・何だって・・・?」
 小さな声だと云うのに市村の云葉には雷鳴のような響きがあった。一瞬、理解できずに藤田は訊き返す。
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