二次小説部屋

□ただ君の手を(オーラバ)
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 新宿駅はいつ来ても人で溢れている。希沙良は同級生の背中を見るともなしに、うつ向き一歩下がった状態で歩いていた。突然の夕立にコートが使えなくなったので部活は中止になったのだが、いつもならこんな風に誘いに乗ることはない。クラスメートともクラブの部員とも個人的に話すと云うこと自体あまりないからだ。壁を作っているとまでは行かないが、希沙良にはどこか他人を寄せ付けない雰囲気がある。大人しいだけの生徒ならばそれで何も思われないのだろうが、黙っていても目立つのは際立った容姿のせいだろう。女子からは一方的に話しかけられることが多いのだが。
 いつもより2時間近く早くクラブが終わったので、どこかへ遊びに行こうと部員が云い出すのは当然だった。希沙良にも声をかけたのはたまたま近くに居たからで、普段の態度からして頷くとは意外だった。ちょっと驚いたが、希沙良はぶっきら棒だが他人を拒絶しているわけではない。たまにはいいかとどこか軽く食事ができる場所へ移動している最中だった。
 駅の雑踏を抜けていると、ふいに後ろを着いて来ていた希沙良が彼等を追い抜いた。
「和泉…?」
 行きたい店があるわけではないだろう。希沙良の視線はどこか遠くを見ている。
「どうかしたか?」
「……」
 希沙良は何かに気が付いたように目を見開くと、いきなり走り出した。
「おい!和泉!」
「なんだよ、どうすんの」
「どうするって…追い掛ける?」
 10メートル先も見えない人混みをダッシュでもするかのように走って行く希沙良を、見失ってしまわないうちに慌てて追い掛け始めた。



 希沙良には混乱している同級生のことなど既に眼中になかった。雑音に等しい他人の気配の中に感じたもの。自分が間違えるはずがない、このオーラだけは。
 地下鉄の通路を抜けてJRの改札方面に出ると、隅の柱の陰に誰か蹲っている。間違いなかった。
「…っ、十九郎!」
 走り続けて来たのでさすがに少し息が切れる。呼び掛けに自分の腕に顔を埋めていた青年が目を上げた。
「ああ、希沙良」
 希沙良はその場に担いでいたスポーツバッグを放り出した。
「ああじゃねえよ!」
 十九郎のいつも白い顔が蒼白だった。彼には希沙良が焦っていた気持ちが良くわかっているだろうに、呑気に答えられて希沙良は脱力してしまった。オーラの異常に何事が起きたのかと緊張したので、無事な姿を見て安心したと云うこともあるが。
「こんなところでどうしたの、クラブは」
 腕時計で今何時なのかを確認すると怪訝そうに訊く。
「雨だったろ!」
「え…?そうだったのか」
 いつからここに蹲っていたのだろうか。十九郎は夕立を知らなかったらしい。
「どうしたのかって訊きたいのは俺だよ、お前真っ青だぞ」
 十九郎の唇が動く前に希沙良が遮る。
「大丈夫って云うなよ!」
 その語調の激しさに十九郎は苦笑した。心配されているのが分からなければ、まるで怒られているみたいだからだ。
「たいしたことはないんだ」
「妖の者ってわけじゃないんだな?」
 十九郎は蹲っていた状態からゆっくり息を吐く。希沙良はその華奢な頤に指をかけて十九郎の顔を上向かせた。
「ほんとになんでもないんだ、ただ電車が混んでね…」
 JRの中央線は事故が多い。もしかしてそれに当たられたのかと思ったのだがそうではないらしい。しかし感覚の並外れて鋭敏な十九郎には混雑した電車自体辛いものだろう。
「乗ったのか?」
 希沙良の声には暗に不注意を責める調子がある。自然になだめるような笑みが蒼白な唇に浮かんだ。
「乗った時はすいてたんだよ。途中車両故障で止まったから次のに乗らざるを得なくて…」
 希沙良は大袈裟に溜め息をついた。
「だったらそこで下りてタクシー使えよ」
 溜め息をつく希沙良に十九郎は苦笑した。
「あと一駅だったから。でも運悪くて近くに負の感情を持った人がいたみたいなんだ」
 それは運なのか? 十九郎くらい感覚が鋭敏だとそれくらい日常茶飯事のはずだ。呆れながらも頭に疑問符を飛ばした希沙良に十九郎は微笑みかける。
「…まさかこれからどっか用事があるとか云わないよな」
 眉間にしわを寄せて脅すように云う希沙良を見上げると、右手を伸ばした。途差にその手を取った希沙良に捕まるように体を起こす。白い手は氷のように冷たい。完全に貧血状態に陥っていたようだ。希沙良は思わずその手を握りしめる。少しでも体温が伝わるように。
「大丈夫だよ、希沙良の顔見たら治った」
「嘘つけ、鏡で自分の顔見てみろよ」
「…持ってないな、残念だけと」
 希沙良はがっくりと肩を落とす。この従兄弟のソフトな外見と丁寧な云葉遣いに騙されやすいのだが相当の頑固ものなのだ。自分が十九郎に云葉で勝てるわけがない。
 説得は早々に諦めて実力を行使することにした。放り出した自分のスポーツバッグと十九郎の学生鞄を拾い上げ、反対の腕で十九郎の右手を掴む。
「希沙良」
「帰ろうぜ、送ってく」
 十九郎は一瞬困惑の表情になった。いつもの聞き分けのない子供に接する時のような笑みではないのに、希沙良も気付く。
「なんだよ、本当にどっか行かなきゃなんねえのか」
 十九郎の三鷹の本宅ならば学校帰りにわざわざ新宿に出てくることはない。ならばあとは六本木の忍のマンションか。希沙良にとっては鬼門だがどうしても行くと云うのなら仕方ない。この状態の十九郎を一人にすることの方が気にかかる。
 だが十九郎はまた戸惑うような目で希沙良を見た。
「違うんだけど…お友達は?いいの?」
「はあ?」
 希沙良には十九郎が何を云ったのか本当に分からなかった。
「一緒にいたんだろう?」
 十九郎の視線が希沙良の肩を越えて後ろに向けられたので、釣られて振り返る。
「…あ」
 クラブの部員と一緒に居たことをすっかり忘れていた。友達と十九郎は云ったが、同じ制服でスポーツバッグを担いでいるのでそう思ったのだろう。希沙良の友人に会ったことはない。彼等も追い掛けてはきたものの、声をかけられる雰囲気ではなかったのでどうしたら良いのか分からなかったようだ。数歩離れたところに立ち止まっていた。
 正直に忘れていたとは云えないので、希沙良は云葉につまる。
 中の一人と目が合った十九郎はにこりと笑みを浮かべた。
「部活のみなさんですよね? すみません我儘な奴で」
「えっ、いえ…そんなことは」
 その通りなのだが頷くわけにもいかない。微笑みかけられて返事がしどろもどろになる。希沙良は嫌そうに眉をしかめた。
「そう云う保護者みたいな挨拶やめろっつってんだろ」
「ああごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」
 拗ねた希沙良に十九郎は苦笑すると手をさし伸べる。
「なんだよ?」
「鞄、くれるかな」
「いいよ、俺が持つ」
「そうじゃなくて、みんなでどこか行くんだったんだろう? 俺は一人で帰れるから気にしないで行ったらいい」
 端で聞いているとかなりおかしな会話なのだが、本人達にその自覚はないらしい。
「駄目だって云ってんだろ。お前信用できねえ」
「酷いな」
 希沙良は部員達を見ると悪びれもせずに手を振った。
「俺今日は帰るから」
 今日はと云われても次に誘った時にOKするとも思えない。だが希沙良の迫力に圧されてなんとなく頷いてしまう。
「…あ、そうか」
「じゃあな」
 希沙良はバッグを担ぎ直すと十九郎の肩を押してJRの改札方向へ足を向けた。十九郎は残される部員達に謝るように軽く会釈する。
 二人の後ろ姿は人波に紛れてすぐに見えなくなった。
 いきなり走り出した希沙良の後を追い掛けてくると、希沙良はJRの改札を背にした柱の陰にいた。そこにしゃがんでいる誰かを覗き込んで話しているようだったが、人影が良く見えなかったのでみな一旦立ち止まる。見慣れない表情から相手が女の子かもしれないと思ったからだ。
「…どうする?」
「どうするっても」
 一緒に来た手前無視してどこかへ行くわけにもいかない。希沙良にはそうされたのだが。話しかけるタイミングを計れずにただ見ていると、希沙良の手を支えに立ち上がった人物の方が先に彼等に気付いた。
 祥英の特徴のある制服があつらえたように似合っている。希沙良に負けず劣らずの容貌だがまとう雰囲気は正反対だった。



 引き留める暇はなかったが、あったとしてもできなかっただろう。呆然と彼等の後ろ姿を見送ってから、部員達はようやくのろのろと足を動かし始めた。
「…あ」
 一人が思い出したように呟く。
「何だよ」
「あれが噂の従兄弟だろ、和泉の」
「従兄弟って?」
「知らないか、たまに和泉の試合の応援に来るってマネージャーが云ってたぜ」
「ああ、…女子が騒いでたことあるな」
 そこまで云われて納得の表情になる。女子の中では有名なようだったが、来ても名乗るわけではないので顔は知らなかったのだ。
「祥英高校ですげえ美形だって話だったけど、本当だったな」
 希沙良の従兄弟なのだから美貌でも特に不思議ではないが、二人の間に流れていた空気の異質さにどうしてか圧倒されてしまった。
「…ま、関係ないか」
 呟いて会話を強制的に終らせると、地下通路に戻って行く。なんとなく釈然としないもやもやとした気分の説明はできなかったが。


 十九郎が電車でいいと云い張ったので山手線に乗ることになった。まだラッシュには早いが、立っている人も何人かはいる。座らせたかったが空いていないので、希沙良は車両の繋ぎ目の方に十九郎を押しやるとその前に立った。彼の鞄は持ったままだ。
「大丈夫だよ、そんなに気を遣ってくれなくても」
 あまりの過保護ぶりに苦笑したくなる。希沙良は不機嫌そうにそんな十九郎を見た。
「うっかり気に当たって何時間も蹲ってた奴に云われたくないね」
 希沙良の機嫌が悪いのは自分が不注意だったせいか、それとも友人達との約束を振ることになったからか。十九郎の思考を希沙良が聞いたらとんでもなく否定するだろうが。
「ごめん」
 謝った十九郎に希沙良は眉を吊り上げる。
「何謝ってんだ?」
「迷惑かけただろう? お友達にも」
 十九郎が先刻のことを気にしているのだと気付くと希沙良は首を横に振った。
「いいんだって。別にどっか行くとか決めてたわけじゃねえし…なんとなくたまにはいいかって思っただけだから」
 そのたまにはと云う貴重な機会を奪ってしまったのではないかと気にしているのだ。
 十九郎は学校での希沙良を知っているわけではないが、せっかく希沙良と親しくなろうとしていたのだろうに。
「でも…」
 まだ云い募ろうとする十九郎を軽く睨むと、手摺を掴んで彼の前に立つ。必然的に十九郎は連結部分に押しやられた。
「いいって云ってんだろ。だいたい一緒に行ったって喋らねえもん」
「…ちゃんと仲良くしているんだろうね?」
 小さな子供に云うような十九郎の口調に希沙良は顔をしかめた。だが自分勝手だと云われて衝突することも多いので、反論はできない。
「あいつらは暇なんだよ」
 確かに普通の高校生である彼等に比べれば希沙良は忙しいだろう。きちんとクラブ活動をしていることが偉いと思えるくらいだ。
 しかし希沙良の本音は、もちろんテニスが好きだと云うこともあるが、十九郎が自由にならないなら一人でいても放課後の時間を持て余してしまうからなのだが。
「今度誘われたら行くんだよ」
「面倒くせえなあ…」
 希沙良にしてみれば十九郎が何を心配しているのか分かるだけに強気に出られない。
「話してみれば楽しいかもしれないだろう」
 絶対にそんなことはない。彼等とするとしたら部活の話、彼女の話、好きな音楽やテレビの話、どれもどうでもいいことばかりだ。そんな時間があるなら十九郎といたい。
「あ、そうか」
 希沙良の意外に素直な返事に十九郎が目をしばたく。納得しないだろうからもう二三言続けようかと思っていたのだ。
「そうだよ希沙…」
 希沙良の方は十九郎の云葉を聞いていなかった。なにやら自分で呟いて頷いている。
「わかった!今日に限って付いて行く気になったわけ」
 十九郎はきょとんとした顔で希沙良を見ている。いつも冷静な彼のそんな表情は珍しい。
「わかったって…雨で部活が中止になったんだろう?」
「その先だよ。いつもはかったるいからさっさと帰んだけど、今日は新宿になら行ってもいいって気に、なんでかなったの」
 希沙良が何を云いたいのか十九郎にも分かった。彼がそんなに鋭い感覚を持っているとは思わないが。
「…俺の呼ぶ声が聞こえたの?」
 勘のいい十九郎に希沙良はにやっと笑った。
「おまえが助けを呼んでたらどこにいても分かるんだなおれ、きっと」
 やけに自信満々な希沙良に苦笑すると十九郎は彼の手から鞄を取った。
「力と云うより野生の勘て感じがするけどね」
「どっちでも同じじゃん」
「降りるよ」
「ああ」
 渋谷駅の雑踏に紛れる前にホームで十九郎の手を握る。男同士で手を繋いでいるのは妙だろうが、いささかでも外部の気を遮断できればと云う希沙良の気持ちが通じていてくれれば嬉しかった。
 十九郎は薄く微笑んだだけでその手を払おうとはしなかった。
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