Halloween Yard (main)

□20151230バードックが調査艦に来た経緯
1ページ/1ページ

1

傾いた鉄塔の上に、黒い仮面がぽっかりと
浮かんでいた。
アルカイックな微笑みを称えた黒い翁の能面
“黒式尉(こくしきじょう)”である。
それは、精霊がこの世に干渉するためにとっ
た一つのカタチであった。
精霊はカタチを成すことで、この世界をはっ
きりと見、聞き、話し、触り、感じることが
できるようになる。
今、千年の大樹と人の魂とが混ざり合って
生じた精霊が、面をカタチとして、眼下に広
がる街を見下ろしていた。


この世界、ハロウィンヤードには人間が暮ら
す土地は少ないが、小さな集落から国家まで
その土地の大きさや在り方は様々だ。

その中でも、この街は極めて治安が悪い。
少ない資源を取り合うように、弱肉強食の社
会構造で成り立っており、支配する側、支配
される側がはっきりしている。

そして、淀んだ空気に沈むように、だらりと
広がる無秩序な街は、この世界で日常的に起
こる怪異に対して無防備であるように見えた。
結界も、物理的な防壁も何もない。
荒野にただ中に、あるがままにその姿をさら
している。

浮遊する黒式尉はそれを幸いとして、街を
存分に見回した。

『もう、この地からは去ったか。』

黒式尉が翁の面に見合った、老獪な男性の
声音で低く呟いた。

一年前、この街に“神威(かむい)”が降りた。
その名の通り、神の力を宿したものが、この
世界に出現したのである。
精霊はそれを探していた。

『この街には神威の影響が微塵も感じられない。』

日常と同化した怪異が生と死のすぐ隣に息づ
いているこの世界で、神威は強大な力を持つが
ゆえに、その強い光は良くも悪くも怪異を引き
寄せる。
自然現象や時間でさえも例外ではない。

しかし、この街にはこれといった変化はみら
れなかった。
なんの防御もない街が神威を迎えて、平常で
いられるとは思えなかった。

しばらくの間、街を眺めていた黒式尉だが、
やがて、面から生えた白い鬚を風になびかせな
がら低く唸った。
街の一角で、数名のガラの悪い男たちが、一
人の青年を小突きながら裏路地に連れ込んで
行くところが目に止まったからだ。
 
裏路地の行き止まりに行き着いた集団は、先
頭の男が何事か喚いたあと、青年に一方的な
暴行を加え始める。
些かの加減もない激しい暴力だった。
主犯格の男には殺意すら感じられる。
 
「いつの世も変わらぬな。しかし…。」
 
黒式尉の精霊はそれだけ言うと、鉄塔からふ
わりと飛び立った。
地面まで数十メートルの高さをゆるやかに落
下しながら、黒式尉のまわりに更なる人のカタ
チを形成していった。
風の抵抗を受けつつも、バランスを崩すこと
なく、両足でしっかりと地面に着地した黒式尉
は、砂除けのフードを目深にかぶった大柄な初
老の男性に成っている。

老いていても矍鑠と、そして逞しさを感じる
姿は、人であったときの姿の時間的延長線上に
あるものだった。
一方で、彼の顔には黒式尉がつけられたままである。
フードからのぞくその容貌は、面だけが空中
を浮遊していたときよりも、更に奇妙に見える。
精霊は目立たぬように注意を払いながらも足
早に裏路地に向かった。


そこに着いたときには、すでに暴力の嵐は去
り、褐色の肌をした青年が一人、ガラクタを枕
に無気力に四肢を投げ出して天を仰いでいた。
服の布地はあちこち破け、切れた口の端から
流れる血はまだ止まっていない。

「随分と派手にやられたのう。」

黒式尉の精霊が青年に声をかける。

「…なんだ、お前?」

青年は地に転がったまま、気怠げに黒式尉を
見上げた。
警戒する力もないのか、起き上がろうとはし
ない。
しかし、フードの下の黒い仮面を目にして、
青年の鮮やかな万緑色の瞳が、刹那、キラリ
と鋭く光った。
その瞳を見ただけで、大抵のものはすくんで
しまいそうな強い力を宿した光。しかし、
それは気がつくことが難しいほどの刹那のこと。
青年の瞳はすぐに力を霧散させ、何にも関心を
示さないような空虚なものになった。

「精霊か。」

「おや、これは珍しい。
 初見で、この姿をした儂の正体を見抜いた
人間は、そうはおらんよ。」

「そんな怪しげな面で、人になったつもりとは
笑止だな。」

「先ほどの男はおぬしの雇い主だったのだろう。
 何をしたのかしらぬが、もう、あの男のもと
では働けまい。」

「あんたには関係ねぇだろ。」

「どうだ、儂と一緒に来ぬか?さすれば、
仕事をやろう。
 多少の危険があるが、寝る場所と食べるもの
の手当はつく。
ちょうど戦力になる人材を探しておってのう。」

「戦力だと?あんた馬鹿か。俺はボコられて、
無様にここに転がってんだぜ。」

「若造よ、儂の目はごまかせんぞ。
おぬしは、相手にそれと分からぬように、急所を外させ、威力をいなしてい
たであろうが。
あれは、武術の心得がなければできない芸当だ。」

青年は、小さく舌打ちして横を向く。

「反撃して怒りを買うより、弱く、無抵抗な
ふりをして事なきを得る、か。
 処世術としては悪くないが、失業してしまっ
ては、やられ損ではないかね?」

 青年は押し黙っていた。

 その目は暗く沈んでいて、無気力だ。

 やがて、ため息をつくように小さく言い放った。

「もう、どうでもいいんだよ。
 野垂れ死んでも、何でも…。」



「ところで、おぬし。」

「?」

「一年前、この街におったか?」

黒式尉が突然話をがらりと変えたことに、青年
はその意図を図りかねた。

「儂は、人を探しておる。」

「・・・。」

「金色の髪、空を飛ぶがごとくの跳躍力をもっ
た獣のような青年らしい。
 儂も実際に会ったことはないが、一年前に、
この街で目撃されて以降、所在がつかめておら
ぬのだ。」

「知らねぇな。」

「実は、褐色の肌をしていたという情報もある。」

「…俺は見ての通り黒髪だ。」

「髪は染めれば、それとはわからぬが、肌の色
はむつかしい。」

「俺じゃねぇ。」

「この辺りで、そのような肌の色ものは至極
珍しい。」

「しつけぇな、俺じゃねぇ。」

「どうしても、会いたがっているお人が…。」

「おい、人の話を聞け。」

「ふむ。まあ、違うならそれで構わんが、一緒に来て、
その髪の色が本物か確かめさせてくれんかの?」
 
「いい加減にしろよ、じーさん。
もう、俺にかまうな。」

「なぜ断るのかね?
野垂れ死にするなら、その前に儂に少し付き
合うくらい、よいではないか。
最期の晩餐くらい用意できんでもないぞ。」

「…なんだよ、それ。」

「儂は、この地を巡る調査艦MAZICAWに乗って
おるロウというものだ。
 この街は物騒なのでな、街道の少し東に艦を
置いておる。」

そう言いながら、ロウは青年の前にしゃがみ
込んだ。
 青年は彼の意思とは無関係に進行していく
ロウの話に、戸惑いと苛立ちを感じつつ、
その顔をねめつけた。

「さあ、怖い顔をしておらんで、さっさと起き上がらんか。
 大した怪我もしておらぬだろう。」


納得も承諾もしていない。
それなのに、青年はゆるりと上体を起こした。

なぜ、従おうとしているのか。
武術の心得があること、誤魔化しの喧嘩
を見抜かれたこと、それもある。
しかし、それだけではない。

その理由を自分の中に探そうとして、
ふいに虚無感に襲われた。
思考が止まり、投げやりになる。

なるようになればいいのだ。
騙されて、利用されて、挙句に殺されても、
それすらどうでもよかった。
こんな世界で生きていても、何の意味もないの
だから。

「あんた、滅茶苦茶だ。」

今だ地面に座り込んだままの青年がもらした
つぶやきに、黒式尉がゆっくりと立ち上がった。

「儂を人の常識で測らんでほしいのう。」

黒式尉の笑みが影を伴って深くなる。

「何せ、儂は、精霊であるからして。」

青年の肩がピクりと動き、緑の瞳がわずかな
驚きに揺れた。
表情にも、ほんの僅かに哀しみの色がに
じんでいる。

「おぬし、いつのまにか、儂が人でない
ことを忘れておっただろう?
我ら精霊を人と等しく扱うものは、我ら
との関わりを深く持っていた証。
そういうものは誠に稀有であるぞ。」

「さあ、行こう。
 おぬしが神威であろうとなかろうと、儂は
おぬしを連れていくと決めたぞ。
 この街は、おぬしの居場所ではない。」

黒式尉の精霊はカッカッカッと高く笑い、
青年に手を差し伸べた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ