百神
□鞘入り劒と抜き身の刀
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「……逆に聞くけどさー、アンタはどーしてそう思うわけー?」
質問に対して質問で返された。こういった応酬は、一度始まればどちらかが答えるまで終わらない。だから少女はすぐに返答することにした。
「わたしがそういう感覚に敏感なのは、ロキ様もご存じのはずでは?」
ああと少女は嘆息する。本当にそれだけかとロキの視線が訴えている。彼は感づいているのだろう。
「質問にはお答えいたしましたが、わたしの質問には答えてくださないのですか?」
「んー? ……ああ、そっか。
それはねー、オレのせい」
ふっとどこか遠くを見たのを、彼女は見逃さなかった。よく見ていた、よく知っている表情ーー諦め。
見慣れすぎていて、忘れてしまっていたソレは、少女の心を図らずも深く抉った。彼には珍しく、本当に、計算などせずに。
けれど少女はそこで訊くのをやめなかった。少なからずロキも傷ついているはずだから。古傷を開いたままにする気は、彼女には毛頭無かった。
「……ロキ様の、せい?」
「そーそ。といっても、魔神のほうだけどねー。
あいつらがここにあるものぜーんぶ、嬲り殺しにしたんだぜ? キャハハッ!!」
彼は気づいているのだろうか。
目の前の少女の淡々とした表情に。
彼は気づいているのだろうか。
自分の声音の震えように。
少女は胸に凝ったものを吐き出す様に息をついた。それでも、胸中の冷たいものを溶かすことはできなかった。
「そっか……それでわたしはここにいるのですね」
だからわたしは、ロキ様を解放したとき、とても嬉しかったのですね。そう、少女は満足げに微笑んだ。
例えるならば、彼は劔だ。
周りに止めるものがなければ、きっと折れるまで暴走を続ける。そしてそれが終わる頃には、きっとすべてが無くなっているのだろう。
だとすれば
「きっと似たもの同士なのかも」
は? と少女を見たロキに、彼女は苦笑する。
聞かれていないと思ったのだが、口に出していたらしい。
「刹那的快楽主義なところとか。……ええと、ロキ様が劔なら、わたしは刀だな、なんて。昔そう言われたのです」
“天狗さん”に、と笑んだ少女に、ロキは微妙な表情をした。誰だよ天狗さんって。
その視線にはあえて答えずに、少女はにこにこと微笑んでいる。もとよりいう気など無かったのだから。
「ロキ様に限って言えば、きっとその刃は今、他者を傷つけることなどできません。……鞘が、あるから」
「アンタは違うって?」
「……」
少女は瞳を震わせた。それに気づかないロキではないが、いつもの気まぐれだ。今回は訊かないことにした。
「オーディン様、トール様、それに“彼”とーーわたしが。きっと鞘としてあなたをお止めいたしましょう。手ごわいですよ?」
何せ、他の神様もいらっしゃるのですから。そう言ったのち、訪れるかと思われた静寂はこなかった。またも少女が話し出したからだ。
「わたしに鞘はありません。解放してきた神様も、“彼”も、そして若宮様でさえ、わたしを止めることなど……ふふふっ、なんてお顔をなさっているのですか」
「アンタってさ……たしかに刹那的快楽主義だよな?」
「ええ。そうです。
ロキ様、この前仰っていましたよね? 大切なものほど、壊したくなるって。……わたしは逆です。大切なものほど、大切だと思ったものほど、どうでもよくなる。あくまで“もの”の話ですが。生きている方なら絶対に手放しませんよ」
静かにそう言ってみせたのはたしかに少女だったけれど、ロキにはいつもの彼女にはどうしても見えなかった。
拭い去れない違和感の正体に、少女の瞳を見ることでロキは気づいた。
この彼女はきっと、昔の少女。幼子であったころの少女の瞳。
あらゆる感情を抑えることだけを知り、期待もせず、諦めも知らず、ただただ総てに飽いていた。彼女にとって世界など存在せず、無意味なもの。神ですらどうでも良かったのだ。
今の彼女からは想像もできない。けれど間違ってはいないだろう。
「わたしは、とある神社の氏子(うじこ)でした」
不意に少女が口を開く。彼女が自らのことを話すのは、これが初めてかもしれなかった。もう既に先ほどの感情の抜け落ちたような表情は無く、いつもの少女にロキはひそかに安堵した。
「だから、若宮様はわたしに、神様方を解放するよう、命を下してくださったのかもしれませんね」
それだけ言うと、少女は口を閉ざしてロキを見た。おそらくは、先ほどの問いに答えた気分なのだろう。それを理解できる程度には、ロキは彼女を知っていた。
しかし、若宮が彼女に命を下したのはきっとそれだけではない。そして、それを少女が知ることはないとロキは思う。
「親の心子知らずってかー……」
「ロキ様何か仰いました?」
「いーやー? さ、送ってくからさっさと帰りな。悪〜い狼の出る時間だからさ、アンタになんかあったらオレやだし」
そののち、ほんの少しの間もう少し話しましょうと駄々をこねる少女をなだめすかして、ロキは彼女を送ったのだった。
おまけ
「さて、こんなに暗くなるまで、お前は何をしていたのかな……?」
「うぅ……だから、」
「キイチゴを採りに行ったってのはもう聞いた」
少女は少年と膝を付き合わせてかれこれ三十分。足が痺れることはないにしろ、不動の姿勢を保つのには少々疲れてきた。
彼女が彼のもとへ帰ったのは暗くなってから十分に時間が経ってからであり、それが原因で彼はご立腹なのだそうだ。
はたから見れば過保護なのだが、二人には日常茶飯事なので、ふたりともそうは思っていない。
「ふーん、言えないのか。そうかそうか、俺はお前にそんなに信用されていないのか、ああ、俺は悲しいよ。
いっそこれ以上心配をかけるようなら、俺はお前に旅を辞めさせるからな」
「言います言います、わかりましたごめんなさい」
平に、平にと少年に謝りながら、少女はロキにも頭を下げていた。もちろん心の中で。
(ごめんなさいロキ様。わたしには彼を止めることはできないようです……)