百神
□小春ノ月ノ舞ノ席
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スタン。
矢が的へ吸い込まれるように当たった音を聴き、少年は息を吐いた。
意識せずとも弓を引いた少女と合った呼吸だけが、静かに場を納めていた。
「難しいな」
「そう見えます?」
響いた声は少年のもの。
彼が難しいと言ったのは矢を的に当てることでは無く、それ以前の作法のことだ。もっとも、少女にしてみれば幼い頃から慣れ親しんできたことなので、さほどぎこちない動きにはならないのだが。
立ち上がり、少女から弓を受け取って立て掛けると、少年は彼女に向き直った。
「さて、俺がここに来た理由なんだがな、……これだ」
そう言って少年が手渡したのは、和紙の書簡だった。少女が訝しげな表情を浮かべたのを見て、少年は一言。
「コノハナサクヤヒメ様からだ」
「ええ? どうなさったのでしょうか」
「俺が知るか」
ぱちぱちと瞬きする少女を一瞥、それだけで彼女は気づいたらしい。
早く読め、そう言いたいのだろう。
「ええと……」
ざっと文に目を通す。
コノハナサクヤヒメは趣味が良い。書簡の紙、使う筆や墨ひとつとっても、少女にはここまで上手に揃えられはしない。
文章も美しく、その分、量が多くもなるのだが。
「要約するとですね、近く舞の披露を海上神社でするから余興をひとつ演ってくれると嬉しい、だそうです」
「ざっくりだな……」
和紙3枚にわたる書簡の内容をあっさりと纏めた少女だったが、その面には少々の困惑が乗せられていた。
「行くべき、ですよねぇ……」
華やかな席は、少し苦手だ。祝賀会は別として、彼女はほぼそういったものに縁が無いので。
ふいに神気が舞い降りた。少女の言に答えかけていた少年は口をつぐむ。
少女がその神の名を呼んだ。
「大黒天様」
彼の黒髪が揺れる。その気配から笑ったのだと、背を見上げている少年にもわかった。
まあ、どうなさったのですか、と少女が言う。
少年の記憶では、昨日まで大黒天が彼女の守護神を務めていたはず。そして今日、久しぶりに弓の稽古をすると意気込んで、一日だけ守護神を外れてもらうよう頼んでいた、ような気がする。
それなのに、なぜ。
「弁財天の遣いだ」
そう言った彼は少しだが明らかに機嫌がよろしくない。
どうしたものかと頭を抱えかけた少年と大黒天を通して目が合った少女は、にっこりと笑ってみせた。
「大黒天様、ご機嫌よろしゅうなさってくださいな」
少年は結局頭を抱えた。神に対してそんなことを言って良いものだろうか、と。
そんな少年の様子は気にも留めず、少女はただ微笑うばかりだ。
「弁財天様が、なにか仰っておられましたか」
「ああ」
短い返答にもさして顔色を変えることはない。彼女にはなにがあったのか予想はついていたが、口にする気はさらさらなかったらしい。というのは、少年が後から聞いた話である。
大方、弁財天の晩酌に夜通し……もしくは一日中付き合われたにちがいない。そう見当を付けて少女が問う。
「お疲れ様でございます。して、その内容とはいかがなものでしょうか? 近々催されるという神事後の宴の事で?」
大黒天は黙然と頷く。
もとより、海上神社の清めの任を授かっていた少女だったが、そこにあの書簡が届いたというわけだ。なんという間合いだと思ってはいたが、なるほど。彼女が一枚噛んでいたのか。
「弁財天から届け物だ」
「……はい?」
納得したのもつかの間。少女はきょとんとして大黒天を見るのだった。