百神
□始まる、神話
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今日は厄日だ。
隣で小忌衣を纏った少女が跪礼をしているのが見えているにもかかわらず、少年はそう思った。
二人は南面し、その先にある御簾の向こうで彼らの主がニヤニヤしていると思うと、一層腹が立ってくる。
なぜ二人がこうしているのかというと、その原因は1時間前に遡る。
「今日は厭な風が吹きますね?」
事の発端、というよりも、それは予兆だった。
枝ぼうきを持った少女が眉を顰めて空を見上げたのだ。こういうときは何かが起こる。
付き合いの長い少年は妙な胸騒ぎを抑えながらそう考えていた。
彼は、……否、男性全般に当てはまるのだが、女性である少女より感知能力には疎い。どちらかというと彼の能力は、戦闘にこそ有利なものだ。
しかし。
「……確かにな」
それに彼が同意できる程度には、今日の風は異常だった。
異常。怪異。妖。化け物。得体の知れないなにか。
今朝の易に出てきた結果を思い浮かべ、少年は唸った。
「ん?ああ……いや」
少女が少年の名を呼ぶ声がした。怖い顔をしていますよ、と眉を寄せてみせ、彼女は掃除を終わらせた。
「考え事。お前は心配いらないよ」
「うそ。だって、私みたもの」
なにをと問うより早く、彼女は「覚えていないの?」と首を傾げる。
「私、あなたの易を覗いていたじゃない」
「あ、ああぁぁあああ!
お前……っ!」
「わ、私は心配しているのですって!……あら」
二人が喧嘩を始める直前、両者の間で風が凪いだ。先ほどまでの異様な風ではなく、神気をはらんだ清浄な風だ。
二人の主からの御遣い。
「若宮様から……ですわね。あなたはどうなさいます?」
素早く話題転換した少女に、彼は舌打ちしながらも「行く」と答えた。
「言っとくが、まだ話は終わっていないからな」
「はぁい……」
うまくごまかせたと内心安堵していた少女は、うげ、と顔をしかめたのだった。
それが今の状況のあらましである。
少年がいらいらと御簾の向こうをみていると、ぱし、とそれが撥ねられた。
御簾が払われたその様子を見て、いい顔をしなかったのは少女のほうである。
「なりません、主(ぬし)……若宮様」
少女の言葉が向いたのは、当たり前だが少年ではない。御簾の向こうから現れた、少女のそれと似た小忌衣の青年、若宮である。
若宮というのは、かつて贄となったり非業の死を遂げたものを鎮めるために神として祀られた、その者たちのこと。このこぢんまりとした社の主が、この若宮だ。
「突然呼びたてて悪かったな。早速本題に入らせてくれ、時間が無いんでな
」
「若宮様はいつも前置きは無いと思いますが」
大して悪びれることなく言った若宮に、少女が突っ込む。少年も同意した。
若宮は咳払いを一つ。
「そういうのはいーんだよ。
で、だ。お前たちの力を貸してほしいと要請があった」
「要請ぃ?」
本当に突然のことだったので、二人とも戸惑いを隠せない。とりあえず少女は無言で先を促した。
「ああ。なんでも、“神封じ”をされた神、数名の封印場所が分かったそうでな。お前らに捜して解放してほしいとのことだ」
「神封じ、だと?」
「……世の中には身の程を弁えぬ阿呆もいたものですね」
驚愕を露わに目を見開く少年と、嫌悪を隠そうとせず吐き捨てる少女。普段ならば正反対の光景に、若宮は無神経にも笑った。彼が関わると少女の人格は変わるのだ。明らかにそれは若宮にも危険性があるということだったので。
「笑い事でございましょうか?若宮様」
「いやいやとんでもない」
底冷えのするような眼光を一身に受けた若宮はしかし、またも笑いながらそれを否定する。
「で、どうする?やってくれるか?」
少女はひとまず考え考え、少年に意見を求めた。
「俺はお前が行くなら行くさ」
「なにそれ……。
私は、…………若宮様が、お望みとあらば。もとよりこの命は若宮様のために」
少年の言葉を受けて、少女の意志は決まったらしい。凛と顔を上げて、彼女は微笑った。
「……それでこそだ。ナビィ、聞いてたか?」
ニヤリ。若宮らしい笑いを見せた彼は、その視線を社の外へ向けた。そこには何時の間にか、可愛らしい天使が。
「はい……っ。協力してくださるのですね!!」
ありがとうございます、と頭を下げる彼女、ナビィ。その役目は、解放者となる二人を導くことだと言った。
かくして、二人は解放者となったのだった。
ーー数ヶ月後
「……おい」
「ハイ?」
中国山脈の木の根元に腰掛け、少女を見守っていた少年は、彼女の現在の守護神を見上げた。
そうしている間にも、少女の痩躯は吹き飛んでいく。
「アレは受け身の修業か?」
「あー、アレ……俺も最初はそう思いましたけど」
違うみたいですね、と言った少年を、フッキは片目を眇めて見やる。次いで少女を。
彼女は、少年の現在の守護神たるナタクに修業と銘打って無謀な挑戦をしているのだった。
それで先ほどから組んでは投げ組んでは投げの繰り返しをナタクはしているのか、と
フッキは密かに納得した。いやそれにしても進歩がなさすぎだろう。
「今回でぶっとび276回目、頑張るなあいつ」
頭使えよと言外に含ませて少年はせせら笑う。たしかにあのやり取りは悲愴感漂うし、むしろ少女に怒りすら湧いてくる下手さだとフッキも思う。まあ普通の人間よりは格段に優れているのだろうが。そうでなければ今頃生きてはいまい。
少年は目線を近づけるために立ち上がる。
数えていたのかとの問に、途中からと答えた。
「だって暇だし」
「ならお前も修業でもしたらいいだろう」
「やですよ。最近あいつ俺が強くなりすぎたって拗ねるんですもん。本当はもっと強くならなきゃいけないんですけど。体力的に」
はははと乾いた笑いで彼はこれまでと今を少女の姿に重ねるのだった。
完