女優

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最悪。最悪。最悪。最悪。最悪。

あの女…いつかぶん殴る。絶対に。


大体好きでもない奴とむしろ大嫌いな奴とキスだとかそれ以上だとか、冗談はその上っ面だけにしてほしいものだ。

気分は最悪。周囲の視線も最悪。

もうこれ以上堕ちる場所はないのではないかと思うほどに、最悪最低の日。

もういっそ練習もサボってしまおうか。


そう考えながら苦々しい息をつくと、がしっと左腕を誰かに掴まれた。


「は、」
「剣城ちょっと来て早く来て走って!!俺だって見たいんだから!!」
「なんっ…松風!?」


ああ嫌な予感しかしないんだが…なんでこんなに力強いんだどいつもこいつも。

振りほどけない腕を引っ張られ連れて来られたのはミーティング室。

扉の前にはマネージャーや音無先生を含む部員全員の姿。

…練習もせずに何をしているんだ。


「…あの、」
「しっ!今いいとこなんだから!」


とりあえず一番近くにいた霧野先輩に声をかけるが軽くあしらわれてしまう。

というか松風のやつ、無理矢理引っ張り出しておいて放置か。


「あっ剣城、ほら!凄いよ!」


小声で西園にそう告げられミーティング室に何があるのだと少し進んで目を向けると、その先にはカメラやらマイクやらの撮影道具一式。


更にその先は、完全に別世界だった。



「好きなの、私、貴方のこと…っ」



そこにいたのは水無月。
憎たらしくて仕方ない、あの最低女。

その、はずなのに。


「だから、嫌いに、ならないで…っ!」



鳥肌がたった。

表情も仕草も声もひとつひとつの動作も無駄のない動きも、全てが繊細で美しく、魅了される。

『水無月椿』の世界に、引き込まれていく。


誰もが息をのんでいた。

目が離せない。瞬きすら忘れてしまう。

圧倒的な存在感。威圧的な瞳。

神々しくすらあるその姿に、もはや先程までの水無月の面影など皆無。


この場一帯が、彼女によって支配されていた。


「カット!」


鋭い声で、一気に現実へと意識を戻される。

はっとして水無月に目を向けると、そこにはいつも通りの猫被り顔。


あんなやつに見惚れていたのだと自覚すると、自分自身に怒りが込み上げてくる。


「…凄かったね、さすが女優…」


ほうっと感嘆の息をつく部員一同。

…確かに、あれほどなら、実力派と言うに相応しいのかもしれない。


と、ふと水無月と目が合った。

またあの酷く耳につく声で名前を呼ばれるのかと身構えたが、彼女はそのまま何の反応もせずに視線をそらす。

…今まで散々俺をからかってきたクセにいきなり無視とはいい度胸だな。


「…お前たち、何をしている」


ギッと水無月を睨み付けていると、突然背後から鬼道監督の声。

気配すらなかった唐突な登場に、びくりと身体が跳ね上がった。


「か、監督、」
「練習はどうした」
「す、すみません!すぐに戻ります!」


神童先輩がそう答えると同時にグラウンドへ走り出す部員一同。

ため息をつく鬼道監督に、俺は内心救われた気持ちになる。


これ以上、女優としての彼女を見続けるのは危険だと、本能が告げていた。














「つーるぎくん」
「!」


休憩に入るとほぼ同時に聞こえた猫なで声にイラッとしながらも渋々振り返る。

それに対し水無月は満足そうに笑い、俺に近付いてきた。


「…あんなの、見なくてよかったのに」
「は?」


突拍子もない話題に間の抜けた声が出る。
水無月は苦笑して、声を小さくした。


「嫌いなの。演技とか」


常に自分を偽っているクセに何を今更と問い返したくもなるが、あえてここは黙り込んでおく。

じっと見つめていると、彼女のセルリアンブルーの瞳が僅かに揺れた。


「もう、練習始まるね。ちょっと休憩貰ってるから、応援していくねー」
「帰れ」
「やーだ。マネージャーちゃん達と仲良くなっておくからさ」


爽やかな笑顔で手を振る水無月に拳が疼いたが、なんとかこの場は納めておく。

もうこの際なので、先程のミーティング室のことも忘れようと思う。

練習再開の合図と共に俺はそう決めて、FW練習に加わった。



 

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