女優

□01
1ページ/1ページ




いつも通りの病院からの帰り道。

だが今日は、珍しくいつもとは違うルートを歩いていた。


昔よく兄さんと遊んでいた公園のある通り。


普段なら、絶対にこんなところには来ないのに。来たいとも、思わないのに。
急に、この場所が懐かしくなって。


(…何やってんだ、俺)


――今更。

兄さんの足が、戻るわけでもないのに。


ひとつ重い息をついて、俺が足を進めようとしたとき。


「きゃあああっ!!」


公園の中から、甲高い女の悲鳴と木の枝が折れるような音。

見ると、悪い思い出しかない『あの』木の下で、足を押さえている女の姿。

俺だって腐っても善良な人間なわけで、ましてや木の下でしりもちをついている女ともなると、あのトラウマが蘇ってくる。


俺は早足で彼女に駆け寄った。


「おい…大丈夫かよ?」
「えっ?あ、大丈夫大丈夫。ちょっと木から落ちただけ」
「っ、ちょっとじゃねえだろ!」


俺の怒声に、乾いた笑い声を漏らす彼女。

捻りでもしたのだろうか、足首が少し赤くなっている。
…いい年して木登りなんかするからだ。枝が折れるのは当たり前だろう。


「…立てるか?」
「…んー、なんとかね」


ゆっくりと、女は立ち上がる。

まあ、手を貸す必要がないくらいなら、大丈夫だろうか。


「ったく…」
「あはは、ありがとね。君、名前は?」
「はぁ?なんで名乗らなきゃいけねえんだよ」
「まあまあ、悪用はしないからさ」


…胡散臭い。
大体、サングラスに帽子に、真冬でもないのに分厚いコート。見るからに怪しい。


「…人に名前を聞くときは、自分から名乗るモンだろうが」
「ははっ、面白いね君。私は水無月椿。知ってるかな?」
「ハァ?」


何なんだこの女、わけがわからない。

なんで俺が初対面のお前を知ってるんだよ。


「分かんない?あ、女優とか興味ない?」
「…だから、なんなんだよ」
「この顔、見たことないかな」


そう言いながら、女はサングラスを外し、帽子を脱ぐ。

……見覚えは、あるような気がする。
どこで見たのかまでは…いや、

―――…思い出した。


水無月椿。
名を聞いた時点で、思い当たるべきだった。


今や若手No.1とすら言われる、歴代切っての実力派女優だ。


唖然とする俺を他所に、目の前の大物女優は腕時計に目をやった。


「あ、ヤバ。撮影遅れちゃう」


トントン、と履いている靴を整えて、彼女は俺に向かってにっこりと微笑む。

はっと俺が我に返った瞬間、化粧っ気のない淡麗な顔が近づいてきて、


「………ッ!?」


――唇を、重ねられた。


「んっ!?……ふ、…んーっ!!」


待っ…こいつ何して、っつーか待てお前いきなり、…マジかよ。


「ん…はっ、てめぇ…どういうつもりだ!」
「あ、もしかしてファーストだった?」
「ッ!!」


こいつ…!!


「ごめんごめん、でも私の初めては売れない男優とだったわよ」
「んなこと聞いてねえ!!」


なんなんだもうこいつぶっ飛ばしたい。
女を殴る趣味はないがこいつだけは例外だ、今すぐぶん殴りたい。


「気に入っちゃったんだ、君のコト」
「はぁ!?」
「名前、教えてよ」


鋭い目付きでこちらを妖艶に見つめてくる『水無月椿』に、俺はぐっと言葉につまる。

さすが腐っても女優、目力が半端ない。


「つ、るぎ……」
「剣城くん?そう、じゃあまた近いうちに会いに行くからさ。そのときは宜しく」


嵐のような女は、最後にウインクを残して去っていく。

その後ろ姿を、俺はただ呆然と見つめていた。


(なんなんだよ、あの女……)


心臓が、ドクドクと普段より早く脈打つ。

テレビ番組に出演しているときとのギャップに驚いたのか、それとも…テレビ越しなんかよりも遥かに綺麗だった彼女に魅せられたのか。


どっちでもいいが、それならこの苛々は、まったくどこに持っていけばいいのだろうか。


「何が…宜しく、だよ」


絶対、もう二度と会わない。
あんなやつ、もう、見たくもない…っ!!









帰宅して、何気なくつけた家のテレビに移るとある生放送を見て、またも俺は唖然とする。


いつもと違う道を通るとか、人助けをするとか。


滅多なことはしない方が身のためだと、どうしてその言葉を身に焼き付けておかなかったのか。



『今日、スタジオに来る途中、とっても親切でかっこいい男の子に会ったんです。えへへ、かなり惚れちゃいました!』


…声が、出なかった。





 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ