08/26の日記

10:53
とても長いので要注意。
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これは持論であり、正解だと言っているのでは
ありません。
また、理解を求めてのものでもなく単なる持論です。
読んでどう思うかは読み手のかたの自由なのです。
ヤだなと思ったときは中止も任意でお願いいたします。

自分は、本を作る前は必ずアンケートを取る。
それによってどのくらい価値 (値段)があると
判断されているのかがだいたいわかるし、どの
くらいの冊数を買ってもらえるのかもわかる。
そこで印刷代としてはこの程度かかりそうだ
というのもわかる。
その「全額」に対して自腹を切れるかどうかで、
本を出すかどうか決めている。

それは、イベント合わせに本を作っている
のではなく記念に本を出すというスタンス
だからだ。
イベントに参加するのも「イベント買い」を
要望されるかたに応えたいがために過ぎない。
偶然の頒布目的ではないのだよ。

だから、次の記念まで続けているかどうかは
ともかく本を出すことを念頭に、生活が苦しく
ならないくらいの貯金を毎月、積み重ねている。

それが自分の「採算が取れなくても自らの首を
絞めずに済むようにするための努力」だ。
自分のモットーやスタンスを守るためならば
その程度の努力はするのだよ。

努力した上で自分は本の価格設定をしている。
単純な経済的金額論からではない。
自分は「売る」商売なんぞしてはおらん。
自分の趣味につきあってくれている人たちに
なんらかの還元をしたいがための本づくりに
過ぎない。だっていつもサイトで書いていて
それは「無料」で読めるんだから。

自分のスタンスとモットーは読み手のかたを
大事にしたい、ということに尽きる。
自サイトに来てくださっているかたに対して
自分は並々ならぬ愛情を持っている(笑)
だから、自分の負担を読み手のかたには
なるべく背負わせたくないとも思う。

なぜなら、これは「わたくし」の趣味であり
読み手のかたはそれに「つきあってくれている」
とてもありがたい存在だからだ。
読み手のかたに支えられ、この趣味を続けて
いけているので、そこに愛情と感謝の念を
いだいているし、少しでも還元したい。
むしろ無配にできなくてごめんなさい、だ。

無理してないですかと聞いてくださるかたも
いらっしゃるのだけれど。
無理はしているかもしれないが、けして「無理」
ではないのだよ。
それはね、楽しく幸せな無理なのだよ(笑)
そしてその無理が、本当に自分の首を絞め、
苦痛しかない無理ならば、自分はやらない。
だって「趣味」なんだもの(笑)

もちろん。
これは自分のスタンスだというだけのことで
ほかの人がどう思って本を作っているのかは
知らないし、それはその人の価値観で作れば
いいだけのことだと思っている。

たとえばイベント売りしかしないスタンスの
人だっているだろう。それが中古屋で値上がり
して、それを買いたいがためにどこかの新刊を
諦めている人がいないとも限らない。
そういうイベント売りのみスタンスの人に
書店委託もしろよと強制するのかい?
人気がある人なら薄い本でも高額で売れる
けれど、それで買い手の予算がなくなって
ほかの本が買えなくなることもあるよね。
そういう人に、もっと値段下げて売れよ、と
強制するのかい?

分厚い本でなければ買う気がしないという人、
薄い本をたくさん買いたいという人、高くても
クォリティがものすごく高いものがいい人、
多少クォリティが下がっても安いのがいい人、
買い手が媒体に求めるものだって様々だ。
二次なんてローラーで買う人もいるのだから
みんなで相場価格に揃えてしまうと、予算的に
「数が買えない」という弊害もあり得るわけだ。

これって全部「買う側」の価値観での結果次第。
その振れ幅の範疇に過ぎないのだよ。
それを作り手がすべてコントロールできる
わけがなかろうに。

本の厚さや上下巻に分けること、新作か否か
そういうものも事前にアンケートを取って
いるわけだけれど、そこにはバラつきもある。
だから、当然のごとく頁数が見合わなかったり
内容が見合わなかったりするものは買って
いただけなかった。あたり前だ。
350頁250円で売っていてさえ、買い手側の
価値観によって買ってはもらえないのだよ。
それを50頁250円で売ったとしても同様に
逆サイドの価値観の人には買ってもらえない
ことは言うまでもないだろうが。

作り手にしたってそうだ。「利益」をどう
捉えるかでも売り方は違ってくる。
原価回収を利益とする考え方もあれば、
読者拡大を利益とする考え方もあるだろう。
原価回収にしたって大量印刷してしまった
ために、安くして数量をさばかなくては
回収できない場合だってある。
複数人でお金を出し合っている場合、部活の
ような形態で本づくりをしている場合など
様々なスタンスの人がいる。

どの値段でどれくらい売れば採算が取れるか
なんてわかるよね。
それと自分の本がどれくらい売れているのか
ある程度の確実性を持った分析なりをして
いるかい? 事前・事後の調査ができるような
なんらかの工夫をしているかい?

絶対に買ってもらえる唯一の方法に対しての
努力をしているかい?

自分は採算度外視系列に属しているけれども
どうしても採算をとらなければならないと
なれば、方法論を考えるだろうね。
本気でその手法で続けていきたいのならば。

ちなみにオリジナルの頃、自分は完全前予約
制度でやっていた。そこで集まった金額分で
作れる頁数、冊数しか作らなかった。
時々、思った以上に売れて再販になったときは
少し残高出たりして、それはプールしておき
次の本を厚めの本にしたりとかもした。
原価回収という意味だけで言えば、このほうが
確実かつ回転が速く、次の本にすぐ取り掛かる
ことができるということで採用していた。

読みたいと思ってくださる人がいらしたので
できた話ではあるけれど。

たしかに、頁数や版型やジャンルにおいての
相場観というのは存在している。
が、それと個人の価格設定の意識の持ち方は
違うだろう。そのプレッシャーに押されて
なまじ今までより高くしてしまったせいで
売れなくなった場合には誰が責任を取るの?
今まで採算取れなくても細ぼそと低価格で
なんとかやっていけていた人を潰す可能性に
つながるかもしれないよね?
逆に安くしなければならなくなって、採算を
取るためには自分のこだわりを捨てなければ
ならなくなる場合だってある。
こだわりが捨てられなくて採算が取れずに
潰れる可能性も、もちろんあるよね?

結局のところ本の価値は買い手の価値観に
よる承認によってしか成立し得ない。
だとすれば、作り手は自分のスタンスの上で
どうやってリスク回避し、自分の好きなものを
好きに出すかを考えることしかできないよ。

だって、ねぇ。仮に採算が毎回とれたとして
書き手は必ずそのジャンルを続けると確約が
できる?できないでしょう?趣味なんだから。
どんなに買いたいという人がいたって辞める
ときには辞めるでしょう?
そんな最大のリスクを買い手に介在させて
いるのだから、採算がとれないかもしれない
というリスクの介在もやむなしじゃないかな。
書き手がジャンルから離れるのを許容される
のと同様に、買い手がジャンルから離れるのも
許容されなければならない。
とても残念でさみしいことではあるけれどね。

だからこそ、経済的金額論ではないリスク回避
方法を作り手は模索すべきだと思うのだよ。

人はいろいろなことを考えることを許されて
いるはずだろう。
共産主義じゃあるまいし、みんなが同じ価値観
でもって動かなけりゃならないのかい?

おのおのが自分の価値観を守りたいのならば、
それ相応の苦労と努力をしてまで¢アける
必要も出てくるよね。
採算を取りたいなら取りたいなりに。
採算を取る気がないなら首を絞めないように。

そういうリスク管理の努力や苦労も含めて、
結果を楽しめる、それが趣味の本質であろうと
思うのだよ。

自分は趣味で書いている。
自分の価値観で書いている。
多種多様性の中の1つとして、自分の価値観も
人の価値観も認められてしかるべきだと思う。
だから排斥はしないし、攻撃もしない。
守りたいがゆえの攻撃という戦争の論理は
大嫌いだからね。

無理?無理ならしてるよ?
でもね、リスク管理もしているから大丈夫。
それにね、読んでもらえたり感想もらえたり
するんだぜ?そんな大きな還元(結果)が
あるのに、そりゃあ、無理もするさぁ、ってね。

−−−−−余談
いろいろ面白いことできると思うけどな。
「今ならサイトお気に入りにしてくれた人は
5割引き!」とかでサイト読者層拡大するとか。
そこからの「サイトに隠れた数字を集めて
くれたかたのみに別本プレゼント!」とか。
成功するかは知らんが(笑)

それとかレイヤーさんにお願いして、その
写真からイメージされるお話を書いておき
レイヤーさんから写真を購入及びノベルティ
許可をもらって、この写真からこの本が
できました!って、写真付き本にするとかさ。

〇〇グリーン運動じゃないけど、ジャンルの
なにかを身につけてきてくれたら、これを
プレゼント!とかさ。

一般企業の販促・拡販運動とか見てれば
あれこれ考えられるんじゃないかね。
経済的金額論でなく、盛り上げるために。


誰かを説得しようとか、納得させようとか
いった場合、それなりの正当性と「代案」が
なければ人の心は動かない。



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